記憶48:紫の誰か
分かりづらいこと
採集…自然の恵みを採る時は基本こっち
採取…研究や調査のために採る時はこっち
中央の実験室は今まで見たどの実験室よりも設備が整っていて豪華だった。
円形の実験室というのも今まで見たことがないから多分、利便性の面から却下されていた。
実験室に所狭しと並んでいるカプセルの全てが今も研究員たちの手で稼働されていて、コポコポと泡を立てながら緑色の人工羊水に浮かんだ肉塊を育てている。
肉塊の一つは魚のような形をしていてまだ培養の初期段階であると分かった。隣も同じような段階だけど尻尾が無くなっているため成長が早い個体か、早くに培養を始めた個体なのかもしれない。
この場所は賢者を生み出し教育するための施設ではないようだから、その施設はここから離れた別の場所にあるのだろう。
工業製品でもより優れた製品を研究する場所と商品を作り出す工場を別にしているみたいに、ここでは賢者の能力を改良する研究を行っていて賢者そのものを生産するのは各地に作った工場のような生産施設から作るのかもしれない。
一体の賢者生産するためにかかる費用がどのくらいなのか知らないけど、戦闘や魔術を使える人間を生み出し教育するんだからけして馬鹿にならない値段のはずだ。
「ミラル様、その個体が賢者を強化するためのヒントとなる個体ですか?」
「ああ、その通りだ」
「では早速研究に取り掛かるので?」
「いや、まずは話しておきたいことがある。皆を集めてくれ」
さっきまで連れ添っていた研究員は、それまで作業をしていた研究員と比べて服装が畏まっている。態度も身分が上のものに対することば遣いで、クローンの研究を任されている所長かそれに準ずる立場なのだと予想できる。
そのミラルに命令された部下は大きな声を出して他の作業をしていた研究員の手を止めさせ、ミラルのもとに集合させた。
作業の手を止めることが出来ないものはそのまま作業を続けさせ後から説明させるそうだ。四半分ほどの研究員は作業の手を止めず培養中の細胞の観察や薬品の調合、部品の組み立てを続けている。その殆どが円の一角にあるスペースにいる研究員なことから、元々後で説明する指示が出ていたんじゃないかと思う。
集まった人はミラルの前で扇状に並び聞く姿勢をとり、声をかけた人もその中に入って研究対象の私はミラルのとなりで立つことになった。
研究員たちは私に好奇の目を向けているが、ちっとも嬉しくないし鬱陶しいだけだから目を背ける。
それでも構わず私の身体を隅々まで見てくるのは気持ち悪い。特別薄着というわけでもないし隠す所はしっかりと隠れているが粘着質な視線は目を逸らしても感じてしまう。
「紹介をする。賢者の強化に必要なパーツとされているO型012番だ。まずは仕組みの調査を行うため設備の調整を急げ」
「「「了解しました」」」
流れるような指示で集まっていた研究員は一斉に何かの準備をし始め、私はさっきと同じ研究員に連れられて円の中心点に位置するほかと比べて大きいカプセルの前へと案内された。
カプセルの中は空で緑色の羊水は入れられていない。これから何をするのか気になるが私が知ることは多分出来ない。
私は無抵抗のまま研究員が指した注射針を受け入れ意識が微睡んできた。
早いうちにここから出たいと思うが、警備が厳重なこの場所では計画を立てることさえ一苦労だ。
あぁ、ここで死にたくは ないなぁ
「ねぇ、お母さんはどうしてそんなに綺麗なままなの?」
「急にどうしたんだい息子よ」
「みんなから僕のお母さんは年をとらない魔女だって言うんだ。お母さんは化け物なんかじゃないよね?」
可愛らしい息子。あの人との間に出来た愛の結晶。交わした約束。
私の全てを話してしまいたいが、まだこの子が知るには早すぎる。
せめてもう少し、成人を迎えて成熟した心ならばしっかりと受け止められるだろう。
それまでは私が塞き止めこの子の成長を邪魔することはしてはいけない。
「くすぐったいよ」
「お前さんがたいそう可愛らしくね。つい触りすぎてしまうのだよ」
「ずっと触るお母さんは嫌い!」
「おやおや、それは困ったね。どうすれば許してくれるかね」
「ん〜とね、甘いものを食べさせてくれたら許してあげる」
「ならば森に行ってチィトの実を採ってこなくてはね。お前さんはチィトの実が大好物だっただろう」
「うわぁー良いの!?あれ酸っぱくなくて好きなんだよ」
「森は危ないから良い子に待ってておくれ。もうすぐお父さんが帰って来るはずさ」
「うん!分かった!」
前回の薬草採取に使った時から机の上に置きっぱなしの籠を持ち、家からほど近い森の中へと進む。
あいも変わらず森の中は薄暗く、村の子供達が肝試しと称して迷子になるのは毎年のことだ。
そのたびに森について一番良く知る私に捜索の手伝いをされ、見つけ出した後はその子達の母親と一緒に叱るのだ。
息子は森を毎日のように歩いているが、霧が深まる奥への散歩は禁じている。
一度だけ好奇心でか森の奥へと村の子供を何人か連れて探索したことがあった。
なまじ森を知り表層を抜けるだけの技量があったからこそ、次の中層まで辿り着き運によって深層へと到達したため、捜索にかかった時間は他の年と比べてかなり掛かった。
私の息子が先導したとなれば余所の息子と娘さんに対していつものように叱ることが出来ず、その子どもたちの両親に謝罪することにした。
息子には家に帰って夕食を食べ終わった後にこってりと説教をした。
それ翌年は肝試しをしようと言い出す子どもたちはいなかったが、次の年そのまた次の年になれば子供達にとっては関係がなく以前と変わらず肝試しをするようになった。
毎年のことだ。きっと今年も肝試しをしに森へとやって来る子供達がいるだろう。
今年はどんな子供だろうか。
「今年は豊作だね」
花をつけても実になることが少ないチィトが、低木全体に赤く美味しそうな実をつけている。
チィトと共生関係にある植物も色が濃くなり茎と葉も丈夫になっている。
「何が原因だろうね」
実が沢山あるからといって、ただ喜ぶだけではいけない。
一つ一つの味が落ちているかもしれないし、虫や鳥が集まって食い散らかすかもしれない。
そうなれば他の果物にも影響が出て、村の畑の作物に増えた虫や腹を空かせた草食獣が被害を出すかもしれない。
被害を食い止めるのは村人の役割だが、その被害を事前に察知して沈静化したり被害を避ける方法を教えたりするのは私の役割だ。
何より原因を探らなければまた同じことが起きた時の対処ができない。
人間の本分とは知識を蓄積することにあるのだから。
「このチィトの実、味が違うね」
「やはりお前さんもそう思うかい。味が落ちているというわけではないのだが、気になるね」
「俺にはさっぱり分からんな。同じに感じるぞ」
「それはあんたが大人で普段もあまり食べないからさ。食べ慣れていないものを鈍い大人の舌で感じるなんて無理なことなのさ」
「お、俺だってお前の作る料理と他の女が作る料理の判別はできるぞ」
「それは当たり前さね。もし判別ができなかったら丸一日森の深層に放置するね」
夫はブルリと身を震わせたが、むしろ必ず判別してやると夕食の時間を待つために農作業に行った。
息子は味が変わったチィトの実が気に入らなかったのか半分残して遊びに行ってしまった。
日も傾き夫も息子も家に帰ってきた。
夕食の準備は済ませていて、余った時間でチィトの実をジャムにしていた。
原因の調査は明日行うことにして、今日は家族の団らんを過ごして眠ることにする。
翌朝、空はよく晴れていて雲一つ無い天気だ。
チィトの実はまだ残してあるが昨日のうちに鳥が食べてしまっているかもしれない。
低木だけでも調査は出来るが詳しく調べるためにはすべての状態が保たれていたほうが良いだろう。
朝食と昼食を作ったら早速向かうとしましょう。
「お母さん、僕も森に連れてって」
「今日は薬草採集ではなく、植物の調査を行うんだ。残念だが村の子供達と遊んでいなさい」
「やだやだ、いやだぁ!絶対に行くもん。連れてってくれなかったら...駄目だもん。泣いちゃうよないちゃうんだよ!」
これが反抗期というものなのだろうか。
子育ての経験が少ない私には息子への対処の仕方が分からない。
だが息子が私の仕事に興味を示してくるのは嬉しかった。
調査は遅れるだろうが、将来に息子とともに採集ができることを考えると連れて行った方が良い。
この子は私と同じ歩み方は出来ない。
だから私から教えられることも少なくて、そのうちのほんの一握りの技術に興味を持ってくれるのは本当に嬉しい。
親の跡を継ぐ子を見守る親は、こんな気持になるのか。
「よし分かった。調査中はけして邪魔をせず近くの岩に腰掛けていること。それが終わったら森の表層での採集の方法を教えよう」
「ありがとうお母さん!」
「なに、気にすることはないさ」
息子の満面の笑みを見ただけで気苦労はすべて吹き飛ぶというものだ。
まずは息子と私の弁当を用意しなければならない。
昼頃に一度帰ってきて昼食にする予定でいたから食材を詰め直さなければいけない。
とはいってもすぐに終わる。
時間がかかるのは息子の装備や調査用の皮紙などの荷物の準備だ。
整え終わった頃には家の前で待ち切れない様子の息子がはしゃぎ回っており、私が鎮めるまで薬草採取の真似事をして畑の雑草抜きをしていた。
それはありがたいが雑な抜き方で根が地中に残っている。
教える時は丁寧に適切な採集方法を教えられるように心がけなくてわ。
「足元に気を付けなさい」
「う、うん。分かった」
山歩きに慣れているとはいえまだ幼い少年の体では勾配が激しく段差も大きい山道を登ることは難しい。
時折息子に手を貸しながらチィトの実を付ける低木の群生地まで登っていく。
「お母さんまだぁ」
「あと少しさ。この川を越えて山の平らな部分に生えているのさ」
「僕こんな川渡れないよ」
「私が担いでひとっ飛びすれば直ぐさ」
息子は訝しんで私の方を見てくるが、心配ないと視線を返して荷物をまとめる。
川渡りの時に飛び散ってしまわないようしっかりと身体で固定しなければならず、 力に任せて行えば籠やお弁当が壊れてしまう。
「さぁ、しっかり掴まっているんだよ」
「大丈夫。バッチリ掴まってるよ」
川幅は山中にしては広いという程度だが、ゴツゴツとした岩の足場は安定しづらい。
超えるためには息子の身体能力では難しく、荷物を全部持ったとしても途中で転げて川に落ちてしまう。
危ない目にさらしたくわないから私が掴んで運ぶ。
「お母さん凄い」
「もっと褒めても良いのだよ」
「お母さん凄く凄い!」
「語学の勉強もさせようかしらね」
「やだぁ!」
冗談だとは言わなかった。
語彙を増やしてほしいとは常日頃から思っていたことで、採集の方法を並行して知識を教えていこう。
あぁいや、一気に詰め込みず切ると子どもの成長を妨げると書いてあったから段階的に進めるか。
子育てというのは難しいな。
「チィトだ」
「洗わずに食べては駄目だ。それに調査のためにここに来たのだ。座って待つという約束だったらだろう?」
「ううぅ…はい」
「良い子だ」
チィトの実の状態は昨日と殆ど変わらない。
周りの植物は大した変化が加わってないことからチィトの木に何かが起きたと推測される。
それを探しだしたら今日の調査を終わりにしよう。
息子に教えることもあるのだし、植物の変化はよくあることだ。
大方虫か菌の仕業だろう。
村人だってこんな些細なことは気にしない。
私が趣味で時間を潰すために始めたことだ。
それが夫との出会いになったのは幸せだがここらへんの植物の調査も一通り終わってしまった。
夫が死んで、息子も成人したら村を出よう。
それくらいが丁度よいのだ。
「手が痛いよ」
「まだ最終に慣れていなからさ。そのうち手の皮も剥けて一人前に成れるさ」
「そっか、僕頑張るよ」
「ああ、応援しているぞ」
永年に続くと思っていなかったが、こんなに早く終わるとは思っていなかった。
私は今どんな表情を浮かべているのだろうか。
きっと村で暮らす前と同じ、失意と失望を浮かべている。
「穢らわしい魔女め!」
「この村から出ていけ!」
夫が死んでしまった。
何が不満だったのか私を敵視した村人たちは農作業のために村の畑に来ていた夫をなぶり殺し、森で採集をしていた私と方法を教えていた息子がいない間に家に火をつけた。
家先には顔の判別はできない夫が倒れ伏し、息子は呆然としながら焼ける家と昨日まで仲良くしていた村の子供達からの罵声に困惑して泣いていた。
大人たちはこちらを静観し敵対的な行動をすれば直ぐに殺すと言わんばかりの目でこちらを見てくる。
子供達は大人たちよりも煩く感情のままに言葉を放っていてどれも無責任で刃物のように突き刺さるものから人への期待を失望させるものまで多々あった。
「お前たちさえいなければ・・・」
「この村にいなければ・・・」
意味もない言葉ばかりを口にする村人たちを横目に私はただ夫の亡骸の方へ歩いていった。
殺したくなるような怒りと苦痛を与えたい憎しみは湧いてこなかった。
眺めてただ眺めて、夫の亡骸を持って村を出ることにした。
復讐をしたいとは考えなかった。
それをしたところで何の意味もないうえに、今はただ泣きたかった。
亡骸はどこへ埋めようか。
この土地の近くに埋めたくはないが早くしなければ腐り落ちてしまう。
「そうか、なら私たちはこの村を去るよ。貴女達とは少なからず良い関係でいると思っていたのだがね」
「ふん!何が良い関係じゃ。穢らわしい化け物め、二度とこの土地に足を踏み入れるでない!」
「そうさね、私もこの場所には近づきたくはないからね」
息子はまだ困惑していたが強引に手を引き森の奥へと進んでいった。
過去の記憶を主観的に見る。
記憶は同じでも土台と方向が異なれば『地の文』も異なる。
この記憶には五感の他にも感情や思考も含まれている。




