記憶47:紫と研究者
あの研究者が言い残した助言によると毒の効果が完全に消えるまで一日以上はかかるらしい。話すことが出来るのはもう数時間後が目安だったが、私は毒の解毒が早いから常人が話せるくらいの時間が経てば実験に参加させられる。
毒で寝ていた人間を起きて直ぐに働かせるのは労働環境が整っていないと苦情を訴えるものだが、ここはテロ組織で狂信者と洗脳済みの人間が殆どの場所で苦情を訴えたとしても届くかどうかなんて目に見えている。
「起きろ」
「そのセリフは二度目だよ」
「崇高な実験がお前を待っているんだ。早くしてくれ」
「アルトアプテアが行う実験は人間を犬畜生とは一線を画す存在だと知らしめるためのものですからね。残念ながら外の世界には魔法という穢らわしい技を使う人間が存在しています。それらすべてを滅ぼすためならばこの身がどれほど犠牲になろうとも至上の喜びを感じることでしょう。どうか私をその崇高な実験二参加させてくださいませ。そして最大限の敬意と尊敬を払います。」
「……安全のため魔力を封じる魔道具を付けてもらう」
「構いません。まずはどのような実験をするのでしょうか」
「実験室に着いたら分かる」
テロ組織の理念の狂信者じゃなくて理性的なこの人が渡しを運ぶ担当になってくれて本当に良かった。狂信者でも問題なく対応できるけど心の持ちようというか緊張しなくて済む。
もちろんこの人に何でも気を許すつもりは毛頭ないけど、話を聞かずに行動原理を押し付けてくるクズよりかはよっぽどマシだ。研究所の職員は殆どまともな人間がいなかったから、御空学園に保護されてクローン以外の人間はみんなこうだと思っていた。そのせいで母に常識知らずに付け加えて人間知らずのレッテルを貼られた。
本当にその通りだったし結果的には役に立っているから感謝している。だけど人間を見る時の先入観は悪いままだ。そこから人物像を観察していって良い人とか悪い人とかに分けている。良い人だったら先入観を消し去って接するし、悪い人だったら嫌悪感を持ち続けるか無視する。
「実験は何をするんですか?」
「それを教えてどうするつもりだ」
「いえ、崇高な実験とおっしゃる程ですからたいそう素晴らしくあると思ったまでです。それに大切な一つに一切を伝えることなく協力をするのは惜しいとも思いましたね」
「駄目だな。実験室まで道がある。他のやつに話しかけられても何も答えるな」
「そうですか。失敗しましたね」
丁寧なことば遣いは慣れないから苦労する。 この研究員が他の研究員と同じように気が触れていれば説得も容易だっただろうけど、まともな常識を持って研究に参加している研究馬鹿だから失敗してしまった。
施設から脱出する手助けには期待できないし、実験に必要なサンプルの私が脱走したいといって脱走させてくれるほどこの人は優しくない。脱走させて得られる利点も少ない上に私がいなくなって研究が進まなくなれば不利益しかないから阻止してくるだろう。
独りで出来ることは限られるから確実に脱走するためには時間を欠けて作戦を練らないとだけど、経過観察状態だった昔の研究所と違って実験に積極的に参加するだろうから自分の身がどこまで持つのか分からない。外の状況も知りたいし、このまま研究が進めば被害が大きくなるから早めに脱走したいが独りは流石に厳しい。
「収容エリアを出たら俺から離れるな。研究サンプルを盗られでもしたらたまらんからな」
「分かりました」
私が過ごすことになる檻がある場所は一面が灰色で、掃除されていない汚れと傷だけが鈍い色彩を作り出している場所だ。檻の中は大体こんなものなのかもしれないが、生憎私が今まで過ごして檻の中は掃除の行き届いた待遇の良い環境だった。
待遇に期待はしていなかったはずだけど、灰色の檻を見たときはつまらない場所だと思ってしまった。今直ぐここから出たいくてもどかしい気持ちでいっぱいだ。
「うっわ」
「引くな。ただ黙って後ろについて来い」
そうはいってもこれは私でも狼狽えずにはいられない。大扉には防音加工がされているのは外から中も中から外も音が一切漏れない構造だ。だからこそ研究員が扉を持っていたカードキーで開けた瞬間に私を求める狂った喧騒が一斉に聞こえて、耳が張り裂けそうな声と魔術の壁を叩く衝突音が扉を開けてからもしくは開ける前から聞こえていたのかもしれない。
嘆願の声も強欲の声も混じり合って等しく悲鳴の声にしか聞こえない。研究者は平然としているがなれない者にとってはこの狂気を直視するのはキツイものがある。むしろ後退りするだけにとどめた私は我慢したほうだ。そのまま逃げ出して灰色の濃淡しかない場所に戻ったほうが理性的なのではないかと疑ってしまうほどだ。
「これはキツイですよ」
「そのうち慣れる。だが今は研究室に行くのが最優先だ。サンプルの感情で実験全体の進捗が遅れるわけにもいかないから早く足を踏み出しでツフのように後ろを付いて来い」
「貴方は親じゃないでしょ」
毎日に聞いて慣れれば平気なのかもしれないが、私は今日が初めて聞く絶叫だし少しの鳴らす時間も置かずに突っ込むのは戦闘と別方向で勇気がいる。信念のある人は好ましく思うけど、精神病らしき状態の人は拒絶して苦手だ。
「離れないでくださいね」
「そんな事をするつもりはないと言っているだろう」
「信用はできないかな」
とはいえ扉の前でウジウジと立ち止まっていた所で始まらない。ここで魔道具が使えたら真っ先に防音するけど手首にはめられた魔道具を制限する魔道具のせいで使えない。
諦めて一つ溜め息を付いて覚悟を決める。研究者はやっとかという表情でこちらを見て進むのを促してくる。私もそれに付いておおよそ人間と思えない叫び声を上げ続けている奴らの横を通っていく。
「なんでこいつらは魔術の壁を破らないの?」
「通れるのは魔力を登録して権限を持った人間だけだからだ。それに研究はそこそこ出来るが魔術の壁を解除する技量は持っていない」
「研究者としての技能だけだったらその知識を外に使う技術にはできないですしね。開発だったら可能かもしれないですけど、魔術の壁を破るにはそれ以外の技能が必要になってきますね」
「俺は出来るからな」
「さいですか」
私にとっての研究者のイメージが母になっているせいで、研究者は自分の得意分野のことなら何でも出来ると思い込んでいる。研究者として必要のない技能でも知識を応用すれば出来ると思っているが、研究者自身が実験体になって成果を試すわけじゃないし予想外の事故で命を落としら調達してきた実験体が命を落とすよりも損失が大きい。
母の研究室にも研究員はいたけれども深く関わっているわけじゃないから名前どころか顔も思い出せない。多分研究だけ出来て研究の成果を応用することはしないんだろうな。
「後どのくらいですか?」
「もうしばらくだ」
収容室がある所から真っすぐ進んで幾つかの角を曲がってそれなりに経った。途中で別の通路や爆発と悲鳴が聞こえた部屋があったけど、それらを全て無視して奥へ奥へと進んでいった。
灰色の濃淡だった檻とは違い、研究棟と言えば良さそうなこの場所は掃除が行き届いていて壁も床も天井も真っ白だ。床は多少なりとも小さな傷や靴の汚れが残っているけど檻ほどじゃあない。
魔術の壁は収容室の大扉を出て三方に分かれた両側に設置してあった。普段は正面通路が魔術の壁で塞がれているんだろうけど、今回は研究成果を求めてサンプルの私を奪いに来た人間らしき研究者たちを止めるために変えていた。
交差路にはどれも魔術の壁を作り出す魔道具が置かれていて、権限を遵守しようとする厳しさが感じられるとともに魔道具を惜しみなく使える財力と監視の徹底した秘密主義、国が後ろで支援していると母が言っていたのは間違いないのかもしれない。
「ここで最後だ」
研究員が立ち止まった場所から床の色が白から薄緑色に変わっていた。それ以外も乳白色へと微妙に変わっているが、境目を見なければ気付けない些細な変化だ。その境目には今までよりも大きい壁を作り出す魔道具が設置されていて、魔術の壁も三,四割増しで分厚くなっている。
一つ一つの魔道具が権限をまとめるネットワークに接続されて管理されているのかもしれない。でなければ権限を変更する場合に魔道具の設定を一つ一つ変えていかなければいけない。
これが扉の横にある接触式の魔力や権限の認証技術だったならネットワークに接続する必要もない。侵入を防ぐのは物体の壁が担ってくれて魔術で動く部分は少ないし、認証も手動だから回路も少なくて済む。軍事基地の扉もそうだったように守る面では物体の壁のほうが安心だ。色々隠しやすいっていうのもあるし魔術は不安定な部分もあって強固な守りに使うより撃退する武器として使うことのほうが多い。
魔術の壁は私みたいな人がいると音も痕跡も残さずに解錠できるから重要な場所の守りには使われない。術式と技術によって異なるけど解除がバレるのは数分から数時間まである。もっと雑な管理体制だったら一年以上バレないこともあるかもしれない。
「少しの間ここに座っていろ」
「分かりました」
色が変わった境目の先は通路が円形状に曲がっていて、中央にある円状の部屋が私の実験室だそうだ。外周に取り付けられた扉には資料室や倉庫の札が掲げられていて、中央の部屋に入る扉と行き来している人が多く見える。向こうもチラチラと私の方を見てくるが自身の仕事が終わっていないのか手出しを禁止されているのかそれまでだ。
ここに来る途中に出会った人は全くいなかったのは権限の低いものを私に触れさせないようにするためか、魔術の壁で一時的に遮っていたからだと思う。白い通路にある部屋にいた人は扉から出られなくなるのか、それは分からないけどテロ組織なんだし気にすることない。
そもそもこの施設が本当にテロ組織のものなのかすら怪しい。国が後ろについているといっていたがお金が掛かり過ぎで、国も一枚絡んでいるどころか共生しているようにさえ見える。後ろめたい実験設備を国が主導で行っていると知られたら政府の信用は地底に落ちる。
そもそも漏れるような真似はしないだろうけどもしかしたらを考えたら、いや無いな。
実験に必要ような物資を運び込むためには大型車が何台も通らないといけないし歩いた距離から考えても地上の土地の面積も広いはずだ。そういえば窓がないから地下と判定しているだけでここが地下地上どのくらいなのかさっぱり分かっていない。
研究所は地上に建てられていたから脱出も通路を通って壁を壊せば外で逃げるのも容易だったけど、ここが地下なら外へ出るための道は地上に進む道も加えて長くなるし警備員も設置された魔道具も質と数の両方が勝っている。考えれば考えるだけ億劫になってくるが、考えなければ脱出の手がかりさえ掴めないんだから頑張らなくてはいけない。
あぁ、企業や個人の実験施設と偽っている可能性もあるな。もうここらへんは考えるだけ無駄か。相手の偽装がどうであれ私の脱出に必要な情報ではない。そこらへんは私が脱走した後にこの施設の管理者か一番偉い人が迷惑を被ればよいのだから。
「準備が出来た。入れ」
「分かりました」
通路にベンチなんて便利なものはなく立ちっぱなしで考えていた。正面にある扉から出てきた研究員は私を中へと招き入れた。中は先程までいた通路の天井と比べて二つ分ほど高くなっている大広間だった。
その大広間には机に椅子、小さな実験器具から大人の男性が十人は入れそうな巨大なものが様々置かれている。そのせいで広いはずの大広間は手前までしか見通せず、対面にある天井の端が遠くにあることだけがその巨大さを表している。
円形状の通路を一周回ったわけではないからこの円環と中央の円がどのくらいの大きさなのか知らなかった。だけど円の曲がり方からして教室よりも少し大きいくらいかと思ってた。刺客だったら見慣れてて大きさを測りやすいけど、円状の建物を見る機会が少ないから測り損ねた。
「凄いな。研究の知識は少ないけど、この設備がどれだけ優れているかは分かります」
「当然だな。お前がいた施設がどんな所だかは知らないが、ここの実験設備はかなりの資金を積んで作られたんだ。世界トップクラスとまではいかないが、非人道な実験も出来ることを含めれば研究の進歩は最も早く進めるだろうな」
「まぁ、そうだね。そうですね」
医学を最も進歩させたのはナチスドイツだとどこかに書いてありました。
はい。




