記憶46:紫の物思い
グルリと世界が回りその全てが置き換わった感覚がした。
私はちっぽけな存在で巨大を認識するのは難しく、小ささと大きさを図り間違えるのは常なのかもしれない。
「・・・」
薄目を開けて直前の記憶を元に考えれば私は危機的状況に置かれているだろう。テロ組織の賢者と思われる人物に後ろから刺されて意識を失った。油断していたとはいえ気配を刺してからも全く悟らせなかった手腕は見事と称賛を送りたくなってしまう。
私は床に寝転されていて眼球を上下に動かせば顔の正面の景色はおぼろげながら見えてくる。
「・・・」
鈍く重い灰色ばかりが映り視覚から得られる情報はあまり多くない。
まぶたを完全に開くことが出来ず口や手足の感覚もない。毒が身体に回って反応を麻痺させているのか、いつにもまして鈍重な感覚が私にのしかかる。魔道具を発動させようとしてみるが魔力が素通りしてしまい発動できない。
刺された私を軍が保護して病院に運び込まれた可能性も考えたけど、この状況ではテロ組織に攫われた危機的状況と捉えたほうが正しそうだ。
「っぁ・・・」
目を覚ましていると麻痺から立ち直るのも早くなって舌で音を出せるようになり手足の指の先もほんの少しだけ動かせるようになってきた。
ベッドの上に寝転されていて薄目で眼球を上下に動かすが灰色の壁とくすんだ白いシーツ色だけしか見えない。身体を紐で縛られているわけではないけど、麻痺毒を入れてあるから拘束しておく必要があったのか、毒の効果が効きづらくて巡りも悪い私の身体に医療中の全身麻酔のような痺れを与える毒を用意したのには意味があるんだろうか。
母だったら毒の種類も判別できると思うけど薬学に興味のない私はどんな効果があるのかしか分からない。そういえば明来も薬学に詳しかったからこの毒も判別できるかもしれない。
「こんにちは」
「・・・」
首が動かせずに眼球だけで足元を見ようとしていたらガチャリと音がして、会場で戦った賢者の中の一人に似ている顔をして女が私の正面に立った。女は研究者らしく白衣を着ているから目覚めてからの色彩が乏しいが、天井に備えられた電球の光が白衣の胸ポケットに置かれたペンの金属部分に反射して僅かに虹色をつくっている。色覚の異常で見える景色が白黒の濃淡でしか処理できなくなったのかと思ったが、杞憂だったみたいで良かった。
「身体は動かせないだろうから視線で“はい”か“いいえ”を答えてください。視線を動かすのが“はい”で、動かさないのが“いいえ”です」
「・・・」
「まずは私の質問が聞こえてますか?聴覚に異常がないなら視線を動かしてください」
「・・・」
「あ~そうですね〜。やっぱり逆にしましょうか。でもどうしましょうか。はい、こうしましょう。“はい”と答えるならまぶたを二度連続で閉じてください。“いいえ”と答えるなら視線をぐるりといっかいでんしてください。では改めて私の質問が聞こえてますか?」
「・・・」
こいつに似ている賢者も一番初めに喋りだして勝手に話を進めて隣りいた賢者を困らせていたな。全く同じクローンではないだろうが同じ遺伝子を基礎として編集したのか用途は違っていても身体的特徴は似ている。
このテロ組織がクローン技術を手にした時期から逆算してクローンの最高年齢は3歳ほどだ。私が研究所にいた頃は培養に一年人並みの大きさに育てるのに三年そこから教育課程を終了するのに三年かかっていた。クローンの実験でつくればつくるだけ段々と研究所の収容室を圧迫していって、発展性が低く能力も低い個体か遺伝子群から捨てられていった。
初めに作られたO型は元の遺伝子が優秀で特に優秀な私もいたし、収容室にも余裕があるときだったから心配はなかった。だけど私が研究所から脱走する頃になると次代の方が優秀で、特別優秀な個体は私だけで再現も困難と判断したからO型の姉妹はすべて捨てられてしまった。
魔力は似ていたから他の姉妹でも共鳴の魔法は使えたけど出力は弱まっていた。脱走するには研究所の構造を把握していないとだから増設される前に脱走した。この施設からも脱走しないと出し、同じ技術で生み出されたクローンってことで共鳴の魔法を発動できるか試してみないといけない。今は魔道具も使えないから試すのは、時間が経って身体が十分に動かせるようになってからかな。
「聞いてますか?それとも聞こえないんですか?聞こえているなら目を動かしてください。ぼんやりしてないで質問に答えてください」
「・・・」
「困りましたね。拷問のやり方は教科書の半分までしか覚えてないのですが。どうしましょうか。それに私って貴重だけど汚い物には触れたくないですし。いくら先輩だからって無視するのは酷いです。あまりに酷いです」
私が考えている間も賢者は一切口を止めること無く喋り続けた。それが私に質問を答えさせるための誘導だったりするわけでもなくただただ本人が喋りたいからという理由だけで喋っているのが余計に退屈にさせられる。
「必要になったら呼んで。それまでは眠る」
「えぇ~話せたんですか?それならそうと初めっから言ってくれればよかったのに。でも技巧手様は麻痺毒の効果は明日まで抜けないって言ってたけどなぁ。どういうことなんだろう。教えてくれない?」
「・・・」
「また無視かぁ。悲しく思っちゃうな。せっかくの姉妹出しイキてる中では一番上のお姉さんなんでしょ。だったら可愛い妹の面倒を見てあげようとか思わないの?ここのお姉さんたちは私に優しくしてくれるよ。もしかして外では姉妹は仲良くないの!?やっぱり外は腐っているから姉妹の愛情も育まれないのかぁ。でも安心してね。ここで生活していればみんなが幸せな家族になれるよ」
やっぱりここの生活は私が拒絶するしかないことだ。研究の女の姉妹に対して懐かしさは覚えども、もう一度会いたいだとか研究所暮らしが良かっただとかは微塵も思っちゃいない。むしろ二度と会いたくないし研究所が自得で押し潰されて清々している。
環境的要因と遺伝的要因の二つが人間としての自我を形作るが、遺伝的要因はキッカケに過ぎず徒競走の走り始めだとか卵焼きの卵を生んだオケカの品種だとかだ。キッカケを悪く思うことはあれど、重要なのはキッカケではなく底から歩んでで行った道のりだ。遺伝的要因を強く持つ人間は色が染まりづらく環境的要因に強く影響される人間は色が多彩になる。短距離の才能があるなら短距離の力を伸ばし、パン作りの才能があるならパン作りの力を伸ばす。
賢者たちの遺伝子は優秀なものを選別しているのだろうけど、私たち最初期のO型は生き残れる生命力の強い細胞という基準だけで選ばれた。軍事転用するくらいには戦闘目的でつくったわけではなかったし、研究開始直後の培養の過程で安定していたけど能力が低いと判断されたものを放置して、不完全な技術で培養段階で細胞が崩壊していたのを成功例を出す目的で棚から引き出したのがたまたま成功して最優秀の個体と優秀な個体たちが生まれただけだ。
軍事転用をすることになったのは会社の上層部からの命令だと研究長が愚痴を零していたが、始まって何年も経ち私が脱走する頃になっても本格的に軍事利用されているわけではなかった。
御空学園に保護されて母と会話をするようになってしばらく経ってからクローンの話を切り出したがクローン兵を使った戦争は行われていないそうだった。そもそも戦争自体が王国の幕引き戦争から無く、小さな内戦や国境問題なら幾つかあるが基本的に平和で大量の兵隊を使う場面は全くといって良いほどないらしい。任意教育学校に通うようになって退屈ながらも授業を受けてた中に世界史の授業があって、その近代史のページには幕引き戦争以降の戦争の記録は載っていなかった。
戦争があったら私も自由に食欲を満たせて寿命を気にすることなくおばあちゃんになるまで生きることが出来たのかな。幕引き戦争は大陸の全土を巻き込んだ戦争だけどあまりにあっさりと西部王国が負けてしまったせいで、舞台の終了を告げる幕に例えられた。長引いていたとしても私が生まれているかも分からないし、研究自体が発足されなかったとしたらけして生まれなかったから早めに終わってよかったのかもしれない。
「起きろ」
「・・・」
目を閉じて考え込む時間が好きでその時間を誰にも邪魔されたくないと思うのは当然で、もし物思いに耽っているのを遮られたら軽く睨んだり威嚇したりするのも当然だ。
髪を長く伸ばしているが男性で研究者らしくさっき来た口うるさい賢者と同じく白衣を着て、資料を見続けて視力が上がったのかメガネをしている。手には紺色の板書板に何枚かの紙を取り付けたものを持っていて、ペラペラと一枚一枚めくりながら私の方を見て確認している。
「毒の反応は確かに消えているな。これも旧技術の賜物か?」
「いや違うよ。研究所の研究員は私の再現を脱走する直前まで出来ていなかったし、毒物の同遺伝子間での対照実験で使われた他の姉妹は殆ど同じ時間で死んだからね」
「なるほどな。毒物に対する驚異的な回復速度だ。四肢の関節の痺れは未だあるようだが数時間もすれば良くなるだろう。それまでは大人しく寝て研究所のように脱走などは考えないように」
「それは約束できないかな。私は今直ぐにでもここから逃げ出したい。だけどここの情報が不足している困難だけど、貴方たちとって私は大切な実験体だから殺せないからゆっくりと情報収集する時間は研究所で暮らしていた時のようにあるからね」
「研究所のように十数年も研究するつもりはない」
「私も一年だって待つつもりはないからね。反論をするほど苛つくなら毒で動けない身体を足で蹴るなりすれば良いじゃないか。それは出来ないけど」
「チッ」
テロ組織も私の力を狙っている。再現すれば賢者たちなんかよりも遥かに有用な駒が作れるから。
この研究者はテロ組織の一員だけど信心深い研究者というよりも違法な研究ができるからテロ組織の一員として行動しているんだと感じる。母も爺さんの庇護を受けたままだと興味のある研究ができないから学園に入る時に支援をすべて切って研究し始めた。私だって研究所にいたままだと願いを見つけられなかったから安定だけど退屈だった研究所を捨てて外に出たんだ。
その選択を後悔していないのは自分にとって他の全てを投げ売ってでも叶えたい望みだったからだ。流石にこれは比喩だがあながち間違ってはない。軽い気持ちだったとしても現状を変えたいと願えばそれは望みだし、持ち続けてきた願いは深い所にある大切なものと代えがたい望みだ。
痛覚が鈍いといっても痛いものは痛いし気の進まないものはやる気が起きない。それでも私はここにいるべきじゃないと思って、仲間がいるあの街に帰りたいと願っている。
ここを脱出するために必要な情報が少なくて、今実行したとしても直ぐに捕まるか施設を抜けた後に追いつかれるか野垂れ死ぬ。だから素直に相手の望むままに従順だと行動で示して何日かは信用を得るために使おう。
そういえば魔法は使えるのか。魔法が使えたら内部の構造や外の知識を得るのも楽になるが、同じ技術の姉妹たちが共鳴体になれるかもあやしい。魔法を発動させて施設の機器に察知されたら魔法を認めないテロ組織の連中は貴重な実験体でも処分してくる可能性が高い。
潜入の訓練は受けていないから粗は出るがそこは身体に埋め込まれている便利な魔道具の力で補助しながら進むとしよう。
「魔力」
アルトアプテアの基地に閉じ込められる




