記憶41:紫の面談
テーブルの上には食べ終わって空いたお皿が残されていて、私たちが話していた話題も終わりを迎えたから、食堂の横にある回収用の棚に片付けることにした。
「もう部屋に戻って良いかな?」
「まだ駄目よ。学長と面会まで待つために食べていたのだから」
「面会か、また面倒だ」
「正式な場所であなたの扱いを伝えるためね。これが終われば当面の予定はなくなるわよ」
「なら行きますか。櫻井さんは?」
「私は面会に参加することは出来ないのでこれでお別れになります。元々紫さんの薬を届ける役割だけだったので、こうして一緒に食事が出来て楽しかったです。これから忙しくなりますし担当する学年が違うので顔を合わせる機会は少ないかもしれないですけど、また一緒に食事をしたりカフェでお茶をしたりしましょうね」
「じゃあ落ち着いたら誘います」
「うん、お願いね」
上級生が使うの建物は学長室がある建物とは進む道が違っている。向こうは食中毒が起きた時の余波が続いているらしく、まだ制限されていて許可された職員しか立ち入れない。
学長室はたった今食堂で昼食を食べた建物の近くにあって、雨でもなければ余計な遠回りをせずに十分程度で到着する位置にある。二つの建物を繋ぐ道は外に野晒しだけど、その道が一番早い道だし雨も降っていないから濡れることもない。降っていたとしても走れば服の上にポツポツと雨粒の跡で済むくらいには短い道だ。
「保護者面談って憧れてたんだよ。学校に通ってときはなかったから」
「普通の保護者面談とは話す内容も立場も離れているが、教育者と親と子供の最低限の立場はありはするわね」
「でしょ」
「それでもふざけることは許されないから気を引き締めないさい」
「分かってるって」
学長室の扉はは他の扉と比べて豪華に作られていて、軍事学園の最高峰としての権威と象徴を示している。豪華にするのは強さの差別化でもあるし、舐められないようにするのは大事なことだ。国で三つしかない魔法科がある特別な軍事学園だから外からメディアも沢山来て、やっぱり舐められるわけにはいかない。
コンッ
「学長、水瀬識です。水瀬紫を連れてきましたので開けてください」
扉を叩く合図は一回だけで済まして、中からも合図が返ってくるまで待つのが礼儀だ。母が開始時間を間違えるはずはないから、学長がすぐに対応できなくてギリギリまで仕事をするくらい忙しいんだろう。
その証拠に扉を挟んだ向こう側からは、ガタガタと書類や用具を片付ける音が聞こえてくる。私たちは待つしか出来ないから、扉の前で視線を見合ってまだかなと面白がるしかない。
「ど、どうぞぉー」
「はい、失礼します」
「失礼します」
学長室の中は扉と同じで豪華な装飾が飾られていて、机や棚は金色の細工や色彩豊かな模様が施されている。カーペットに小物にティーカップも高級品らしい美しさとか麗しさとかが溢れている。
まあそれが大量の書類の山と床に転がっているゴミが無ければだけれども。
「ごめんねぇ、上級生の食中毒に加えて街がテロ組織に襲われた時の避難とかぁ、収容状況を考えないと考えないといけないのでねぇ」
「面会が始まっていないので口調は直さなくても良いですが、始まったら時と場合を考えたものにしてくださいね」
「しますって、しますってぇ。本当に本当に忙しくてこの面会だってみっちりな予定表にビュウビュウして押し込んだんですからぁ」
「学長ってどこ出身なの?」
「私ですかぁ。私はですねぇ、北ですよぉ」
「母に聞いたんだけど」
「そうですかぁ、しょんぼりです」
「私だったのね。たしか最北の山の盆地だったわよ。名前は、篝森だったかしらね」
「はぁい」
言われてもどんな地域なのか検討もつかないから説明してもらいたい。私の行動範囲が御空学園と家がある街を中心として車で行ける場所までだから、他人よりも狭い範囲にしか行ったことがない。
御空学園で保護されるまではその場所の地理は分かっていても、その場所の名前や他の街との距離関係は知ってても活用なんて全くしないものだった。保護されてからは行動範囲が狭いし大まかな地理や主要都市の名前と位置を覚えるだけで、多く耳に聞く名前じゃなければ言葉にされたところで分からない。
「ここから遠いんだ」
「車よりも飛行機を使って移動するほうが主流なほどには遠い地ね」
「偉い人は首都から離れた場所よりも、首都の近くで生まれ育った人が多いと思うんだけど」
「何事にも例外は付き物で、学長はその例外なのよ」
「私は優秀なのですよぉ」
ポヤポヤとした喋り方だからあんまり優秀な想像ができないけど、母がこの人に対して一歩引いた接し方をしているからコネだけじゃなくて能力もキチンとあるんだろう。そうじゃなかったら蹴落とそうとするライバルの多い御空学園の学長にはなれないし、学園内の仕事だけじゃなくて街の住人たちのことまで考えて計画を練ることはしない。
今回のテロ攻撃を受けて殆どの街は、街中に魔獣が発生した時の避難経路や避難場所が記された地図を応用して避難計画を立てている。だけど散らばっている地図に赤字で書かれた経路や場所は訓練で習ったものとは違っていて、現在まで発生している化け物の出現法則や被害予測を基に新しい避難計画を立てている。
「あ、その地図の意味わかりましたかぁ。これ以外にも避難計画は立ててますしぃ、それ以外にもたくさんの仕事をしているんですよぉ」
「はい、凄いのは分かりますが三人分の座る席がないです」
「片付けぇ…手伝ってくれるぅ?」
「頼まれたら手伝いますけど、これって訓練生の私が見て良いものなんですか?」
「んんー、色々含めると駄目だけど許可しちゃいますぅ」
「そうね。問題だらけだけど手伝ってくれると嬉しいわね、紫」
「分かった」
駄目とか問題なのは私にかかっている容疑のことだと思う。出自からテロ組織に寝返るかもしれないと考えられているわけで、もし寝返ったら街一つの避難計画の情報を持っているとそれに頼った行動が制限されて後手に回ったり取りこぼしが出たりする。
住民を守る避難計画が敵に知られると人質が取りやすくなるし、先読みして戦力を減らされたりする。ここには戦術の書類はないだろうけど、あって私が覚えてテロ組織に寝返ったら学長は首になるどころか母も一緒に死刑になる。
私に寝返るつもりは毛頭ないし、タイタン社のクローン技術は滅んでしまえと思っている。それでももしかしたらと疑いがかけられている状態でそこそこ重要な情報の片付けを頼むのは、私を信用してくれているようでまぁ嬉しい。
「学長の本名ってなんですか?」
「あれぇ?自己紹介をしてませんでしたっけぇ」
「私もしてないので互いにしましょう」
「それじゃあ私から。私は御空学園学長の役職を務めている赤宮糸です。去年は私達の一人娘が素敵な婿さんを連れてきて結婚したんですよぉ。早く孫の顔がみたいですよぉ」
「あぁー、私は水瀬紫です。六,いや七年前に養母の水瀬識に保護された研究施設のクローンです。一番優秀な個体で私以上の能力を持ったクローンは脱走するまでの一二年間に現れませんでした」
「貴女達、挨拶を片付けが終わってからにしなさい。私が自己紹介をしないのが仲間外れみたいになるでしょう」
「あと少しですから、あと少し頑張りましょうかぁ」
「魔道具は使っても平気ですか」
「警報がなりますぅ」
書類を置きやすいように扉を挟んだ隣の部屋に避かしていたソファーと机を出してきて、この部屋の端には私の膝くらいまでで区切って積み上げた書類の山が十何個も置かれている。人をもてなすには不適切な部屋だけど、学長室を使わないといけない来客は滅多に来ないそうだ。私達がこの部屋に呼ばれたのは面会の直前まで仕事をしないといけないほど切羽詰まってたからで、メディア関係者の取材はこの建物の一階にある応接室で全部対応しているらしい。
「はぁ~、それじゃあ面会を始めますぅ。内容はぁ~、何でしたっけ?」
「私の扱いについてです」
「そうでした、そうでしたぁ」
「早く始めてください」
このあとの予定がないとはいえ面会の予定時間から一時間以上も過ぎている。そろそろ母の我慢も限界に近づいてきていて、足を揺らして頬杖をつきながらジト目で私たちを睨んでくる。
これはヤバイなと学長と二人して思ったから姿勢を正して話をする体勢をとった。母がゴホンっと一つ咳払いをして始めようと目で訴えかけてきた。
「と、言う事で水瀬紫もといクローンO型012番さん。あなたに幾つかの質問をし、その後処遇を言い渡します」
「はい」
「あなたの出自については隣りにいる水瀬識さんからの報告書によって把握してありますが、それを裏付ける証拠が少なく僅かな情報を繋ぎ合わせた結果、暫定的に正しさを証明されているに過ぎません。それは理解していますか?」
「はい、もちろんです」
「よろしい。あなたが保護されてからの三年間はこの御空学園で様々な検査をし、あなた自身が知りえない能力も調査しました。その情報を閲覧し水瀬識さんの仮説は正しいと認識しましたが、政府上層部が抱いている懸念を払拭出来ないこともまた正しいです」
「分かっているわ」
「はい」
「水瀬紫さんを危険視する一番の問題は不確定な部分が多すぎることです。人間にも不確定な部分は存在しますが、クローンとして生まれたあなたは兵器としての強制力や人間ではないことからの異なった精神構造などと、こちらからの不信感はただの人間へのものとは比較が困難を極めます」
「・・・」
「ですから私と政府の間で決定したあなたの処遇は、テロ組織が関わる事象への介入を禁ずることです。これはテロ組織が関わる事象についてあなたは一般人以下の権利しか持たないということであり、破った場合には状況に応じて罰が下されます。そしてその罰の基準は重いです」
「・・・」
「以上で終わりです」
静まり返っていて誰も物音一つない。
息をする音だけが止めることをせずに微かに聞こえているが、あとは何も紙の擦れる音や窓の外側の風の音、身動いをしたソファーの軋む音まで何もしなかった。
「ふふッ」
「びっくりしましたかぁ」
「ええしたわね。久しぶりに笑わしてもらったわ」
「ついこの間笑ってなかったっけ?」
「いえ?ないと思うわよ」
「何と勘違いしたんだろう」
「どちらにせよぉ、私に感謝してくださいねぇ」
「そうですね、本当にありがとうございます」
「私からも感謝するわ」
「紫さんがいなくなるのは私も嫌ですからねぇ」
赤宮さんは面会が始まってから仰々しい口調で私達に話しかけていたけど、最後に伝えた私の処遇は赤宮さんじゃなかったらもっと酷い内容になっていたと思う。
これだけで済んでいるのは赤宮さんが優秀で私のことを守ろうとしてくれているからだ。なんでここまでしてくれるのかは分からないけど好意を受けて受け取らないわけにはいかない。
「なんでここまでしてくれるんですか?気になります」
「歩ちゃんと仲良くしてくれているからよぉ。あの子は親がいなくなっちゃったから娘が独り立ちした部屋もあって引き取ったんだけど、なかなか心を開いてくれなくってぇ。吸血鬼が好きなのは分かってたからゲームとかを買ってあげたんだけど距離が縮まらなくてねぇ。貴女達と出会ってからはあの子の方から関わるようになってくれて嬉しいの。だからこれは感謝の気持なのよぉ」
「ああ、それは、どういたしまして」
「渡しができる限り守ってあげるから、あの子とこれからも仲良くしてねぇ。あら、これだと交換条件を突きつけているみたいで嫌だわぁ」
「言われなくとも仲良くしますよ」
「よろしくねぇ」
うあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっ
糸さんは年齢56のお婆ちゃんです。
当然!「設定」だッ!
構想から積み重ねた「設定」ッ!
それが信条ォォッ!