第89話 夜の底に、君がいた
アザミは立ち上がり、ダチュラを背に庇うように一歩前に出た。
対するエーデルは、敵意もなく、ただ穏やかに笑っていた。その笑みは、優しさにも見え、狂気にも見えた。
「久しぶり、アザミ。……君も、無事でよかった」
「来ないで。これ以上、私たちに関わらないで」
声を震わせるアザミに、エーデルは小さく首を傾げた。まるで、冗談でも言われたかのように。
「関わらない……? いやいや、もう手遅れだよ。僕は“関わりすぎた”側の人間だから」
その言葉に、アザミの眉がわずかに寄る。
エーデルの視線が、ダチュラへと流れる。彼女は震える肩を抑えながら、アザミの袖をつかんでいた。
「……ふっ、なるほど」
その呟きは、誰に向けたものでもないようだった。ただ、少しだけ、悲しげな色を宿していた。
「さっきから何を言ってるの……」
アザミが問いかけると同時に、エーデルが一歩だけ近づく。その動きに、アザミの手が瞬時に腰の短剣に触れる。
だが彼は、それ以上近寄ろうとはしなかった。ただ、まっすぐに言った。
「……手を組まないかい?」
「断る!」
即答した。一切の迷いがない。
だが、エーデルはわずかに肩をすくめる。
「話は、最後まで聞きなよ」
少しばかり口調を軽くし、彼は続けた。
「今からラスボスを殺す。手を貸してくれ」
言葉だけが、空気を切り裂いて消えていった。
焚き火がぱちりと弾ける。風は吹いていないのに、どこか世界が軋むような音がした。
アザミは言葉を返せなかった。
「……ラスボス……?」
ダチュラがそう呟く。震える声で、誰よりも純粋に。
だが、エーデルは冗談を言っている顔ではなかった。ただ、誰よりも静かな瞳で、夜の底を見つめていた。
「魔王ってやつさ」
彼の口元に、もう笑みはなかった。




