第86話 にやつき
崩れかけた玉座の間に、再び音が走る。
鉄と鉄がぶつかる、鋭い打撃音。
イグニスの焔の拳と、“欠落者”の剣が正面から激突していた。
熱と鋼のせめぎ合い。その一瞬に、互いの命が削られていく。
「......やるね」
“欠落者”は淡々と言う。剣の形状は変わっていない。ただの直剣。だが、その一振りは、どんな能力よりも脅威だった。
イグニスの脇腹に浅く切り傷が走る。
目にも映らぬ速度で、最小限の動きで、最大の殺傷を与える――まさに研ぎ澄まされた技術。
「……チッ、地力で押してくるタイプかよ。厄介すぎんだろ」
イグニスが舌打ちしながら後退する。火花が舞う。
“欠落者”は追わない。静かに構えを取り直すだけ。
「お前の焔は力任せだが、芯がある。だが、それが甘さでもある」
淡々とした声。その刃には、一切の“感情”がない。
イグニスは苦笑した。
「芯があるから、こうして立ってんだろうがよ」
そして次の瞬間、踏み込んだ。
焔が爆ぜ、床を焦がす。真正面から突っ込むイグニスの拳に、全力の一撃がこもっていた。
“欠落者”も迎え撃つ。
剣が、わずかに右へと滑る。斬るのではなく、受け流す――イグニスの突進が空を切る。
そこに、返しの一太刀。
だが。
「狙い通りだ、欠落者ァ!」
空振りしたはずの焔が、後ろに跳ね返った。
あらかじめ床に散らばせていた火種が、爆ぜる。
視界が焼かれる。
その一瞬、“欠落者”の動きが止まった。
イグニスの拳が、その隙を突いて撃ち込まれる。
“欠落者”の身体が、数メートル吹き飛び、玉座の脇に激突した。
がらん、と剣が転がる音。
静寂。
セリーヌが思わず息を呑んだ。
「やった……?」
イグニスが、ゆっくりと歩み寄る。
剣が落ちたまま、“欠落者”は立たない。
そのまま、焼け焦げた衣の中で、静かに身じろぎもせず――
そして。
「……なるほど」
聞こえた声に、イグニスが反射的に構える。
立ち上がった“欠落者”の瞳には、やはり何も宿っていなかった。
だが、その動きには、ほんの僅かに。
戦意とは別の、“興味”のようなものが滲んでいた。
「やっぱ、あいつの言ったことは当たるんだな。にしても......コイツとなら久々に楽しめそうだ」
そう言って、彼は再び剣を手に取った。
「――俺のすべてを奪ってこい」
彼は、にやついていた。
奴の顔は、確認できない。確認できるのは、口元が異様な程に歪んでいることだけだった。




