第77話 過去編:転移者の少年
かつて、カルロは“街の厄介者”であり、“逃げ足だけは世界一”の悪ガキだった。
警報をかいくぐっては商店から物を盗み、通行人の財布を抜いてはニヤリと笑う。悪い仲間とつるみ、逃げ足だけは一級品。
転移能力が発現してからは、それに拍車がかかった。
転移能力――一瞬で空間を飛び越える力を得てからというもの、街のルールも、警報も、すべてただの“遊び”になった。
「オレに触れたら最後だぜ。
どこにでも逃げられるんだからな」
そう吐き捨てて、大人たちを嘲笑っていた。
痛みも、罵声も、罪も、届かなかった。届かないと信じていた。
まるで、世界をからかうように。
「つかまえられるもんなら、つかまえてみな!」
そう笑いながら、屋根を、裏路地を、警備の手をすり抜けて、自由気ままに生きていた。
自分は誰にも捕まらない。捕まえられるはずがない。
そう、思っていた。
その日、カルロが忍び込んだのは、廃棄された旧研究区画。
ガラクタと瓦礫の中に、妙に浮いた白い部屋があった。
中に足を踏み入れた瞬間――背後で、扉が閉まる音がした。
「君、転移のタイミング、分かりやすいね。空気が歪むから」
不意に、少女の声がした。
血のような衣を纏い、白い仮面をつけた少女。
瞳だけが、深く、暗く、凍っていた。
「だれだ、てめぇ……?」
「君は“逃げること”しか知らない。
だから、捕まえに来た」
カルロは咄嗟に転移した。
なんだ、こんなものか。
何が、捕まえるだ。
「くだらねぇ」
呟くように言う。
「何がくだらないの?」
「……は?」
もう一度、転移する。別の部屋、別の階層、さらに別の外壁へ――
だが、行く先々の場所に、必ず彼女は来た。
赤衣の裾がひらめき、冷たい声が追ってくる。
「転移の“出口”を先に潰せば、君はどこにも行けない」
「な、ん……で……っ!」
何十回、何百回と転移を繰り返しても、少女は必ず“そこ”にいた。
逃げても、逃げても、逃げられない。
まるでこの世界そのものが、彼女の手の中にあるかのようだった。
「君の力は、優秀だ。だが、“運命”の外には出られない」
転移の力が切れ、膝をついたカルロに、少女は歩み寄った。
そして、小さく囁く。
「私は、ダチュラ。訳あって、世界を救うために旅をしているんだ。
君は今日から、私の研究対象――いいや、私の“可能性”になる」
カルロは、そのとき初めて知った。
本当に怖いのは、力じゃない。
“逃げられない”という絶望だ。
その日、人生で初めてカルロは、恐怖した。




