第74話 アザミが咲かせた運命
アザミは躊躇わなかった。
ナイフを逆手に握り、音もなく踏み出す。闇に溶けるように距離を詰め、最後の一歩で跳んだ。
「――ッ!」
刃が、肉を裂く感触を確かに伝えた。
喉元を狙った一撃は、寸分違わず深く突き刺さった。温かい液体が、手の甲を濡らす。
アザミは、息を呑んだ。崩れるように倒れ込む影を、呆然と見下ろす。
――おかしい。
そこにいたのは、“欠落者”ではなかった。
「……え……?」
視界がぶれた。揺らめく火の粉の中、こちらを見上げていたのは、見慣れた顔――
「……あ、ざみ……?」
その声を聞いた瞬間、膝が崩れた。
——カルロだった。
胸に刃を突き立てられ、苦しげに息を吐きながら、それでも信じられないという顔で、彼はアザミを見ていた。
「なん……で……お前が……」
「いや……違う……!」
アザミは、ナイフを手放し、その場に崩れ落ちる。目の前の現実が、理解できない。納得できない。
だって、確かに、そこに“いた”はずだった。タイトの能力で“欠落者”は見えなくなっていた。だからこそ、背後をとれた。
それなのに、そこにいたのは――カルロ。
「どうして……なんで、カルロが……ここに……?」
震える手で彼の体を支える。血が、どくどくと溢れてくる。あまりにも、生々しく、現実的すぎる痛み。
「アザミ……俺、なんか見えて……お前が、誰かに向かってて……止めなきゃって……それだけ、だったのに……」
「やめて、喋らないで……お願い……」
カルロは、微かに笑おうとした。けれどその表情は、どこまでも優しく、どこまでも遠かった。
「お前が……無事だったなら、
それでいいんだ……」
その言葉とともに、彼の意識が落ちていった。
アザミの頬を、ぽつりと涙が伝う。言葉は、もう出てこなかった。
彼女は、震える手で周囲を見渡す。
瓦礫、火の粉、煙の匂い――けれど“欠落者”はいない。
どこにも。
あれだけ殺意をたぎらせて向かった相手の姿が、どこにもない。
何かに欺かれたのか。誰かがカルロをそこに誘導したのか。タイトの能力が何者かに“改ざん”されたのか。
何一つ、分からない。
けれど、ただ一つ。
今、目の前で倒れているのが、自分の一番守りたかった人間だという事実だけが、否応なく現実だった。
「カルロ……ごめん、ごめんなさい……!」
闇の中で、アザミの嗚咽だけが響いた。




