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欠落者  作者: 喜國 畏友
喪失編

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第7話 名もなき部屋にて

 彼――イグニスの一日は、うざったいほどに周りの騒音から始まる。

 理由は単純明快だった。


 彼には、3つになる弟、5つになる弟、8才になる妹、11になる妹がいた。


 朝から部屋の外では、弟たちの泣き声、妹たちの言い争い、母のたしなめる声が響き渡る。

 けれど、イグニスはそれを煩わしいとか苦しいとは思っていなかった。

 

 むしろ、それこそが彼の“日常”だった。


 眠気まなこを擦りながらも、彼は布団から這い出す。家族の声が満ちる家の中は、狭くて古びてはいたが、イグニスにとっては世界で一番温かな場所だった。


 そんな目まぐるしい日々を、彼は懸命に幸せに生きていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 王宮の地下。

 そこには、名もない一室がある。それを知るものは数少ない。知る者は、両手で数え切れるほどに。


 何故、名前が無いのか。理由は単純(シンプル)だ。名付ける必要がなかった。

 その存在を知る者は少なく、知ってはならない者ばかりだったからだ。


 冷たい石壁に囲まれた階段を、一歩ずつ下りる足音が響く。

 リズムを刻むように、淡々と。


 やがて、その音は扉の前で止まる。


 部屋の中には、何もなかった。

 家具も装飾もなく、灰色が一面に広がる、悲哀に満ちた世界。

 そこには、ただ静寂だけがあった。


 だが、その寂寥を打ち消すように――天使と見紛うほどに可憐で美しい少女がそこにはいた。


 透き通るような白い肌。

 光を受けて揺れる、柔らかな金色がかった髪。

 伏せられたまつげの先に、微かな影が落ちる。


 名を、セリーヌという。


 そして、イグニスは――静かに、その扉を押し開けた。


──静寂の中に、足音が溶けていく。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 彼女は静かに書を見つめていた。

 書とは知の結晶であり、それを守ることは、この国で三指に入る英雄 "三光さんびかり"で知を司っているマールの使命だった。本来、この古びた革表紙の書は、マールの館でしか目にすることのできない貴重な一冊のはずだった。


「よぉ、お疲れ」 

 イグニスがそう言い、部屋に入ると、セリーヌは微笑んだ。


「あら、イグ。こんにちは」

「おう。また書を観てるのかよ」

「ふふふ。観てるんじゃないわ。読んでいるのよ」


 読んでいる――?

 言葉の意味は分かるが、どうにも腑に落ちない。

 観るのと同じことじゃないのか?


 ……まぁ、どうでもいいや。

 それより、今回の作戦の話だ。


「それはそうと、“荒地の魔女”についてどう思う?」

「奇遇ね、ちょうどそのことについて書かれた書を読んでいたわ」

「成程な。それでマールさんが貸してくれたのか」

「えぇ。まぁ、彼とは友人だから。頼めば貸してくれるけどね」

「へぇ、そいつはすげぇな」


 それで、見解は?


「そうね……正直、死んだという確証はないわ」

「やっぱりか」

「というか、“勇者”がまだ見つかってもいないのに、どうして死ぬのよ? それに、彼女には弟子だっていたし.....何より魔王候補だった筈でしょ?」

 セリーヌは言葉を続けるのをやめ、イグニスに視線を向けた。


「さぁな」

「“王”は一体、何を考えているのかしら……」

「まぁ、行くしかねぇだろ。その"王"の命令なんだ。準備はできてるよな?」

「...えぇ。もちろんよ」


 セリーヌは静かに書を閉じ、立ち上がった。

 イグニスもまた、ゆっくりと歩を進めた。

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