第67話 その手を止めた理由
数十日前
「……俺は、“裏切り者”じゃない」
タイトの低い声が、夕暮れの静寂に溶けていく。
風も止まったように思えた。彼の言葉に、私は何も返せなかった。
目の前で、真紅のフードを目深にかぶった少女──私は、ただその場に立ち尽くしていた。
このフードは、かつての恩人の痕跡を、かすかにでも感じられる唯一のものだった。
けれどその記憶すら、もう幻のように揺れている。
タイトは、まっすぐにこちらを見ていた。
その瞳には、何かを押し殺したような苦悩と諦めが入り混じっていた。
「……お前だって、俺が裏切ったように思ってんだろ?」
「……違うわよ」
「俺はな、ダチュラを裏切ったわけじゃない」
タイトはふっと目を伏せ、言葉を継いだ。
「お前と同じだ。
……俺だって、あいつを助けたかったんだよ」
声は静かだった。だがその奥には、確かな熱があった。
後悔とも、怒りとも、焦燥とも言えない何かが揺れていた。
「でも……あいつは死んだ。お前も、そう思ってんだろ?」
私の胸が締めつけられた。
と、同時に何を言ってるのか、そう思った。
ダチュラが死んだ。
あの時、私もそう受け止めた。
エーデルもそう言った。
カルロと私自身も、あの現場を目撃した。
あの惨状を見れば、そう結論づけるのが普通だった。
……けれど、それでも。
心のどこかで、私はまだ彼女の存在を感じていた。
諦めきれない、祈るような気持ちが残っていた。
「……うん」
私がそう呟くと、タイトは一瞬、意外そうな顔をした。
そして、真剣な眼差しを向けてくる。
「本当にそう思うか?」
私は頷き、口を開いた。
「だって、エーデルが言ってたわ。ダチュラの遺品はあったけど、遺体はなかったって……“消えていた”って」
その一言に、タイトは沈黙した。
その顔には、わずかな逡巡が浮かんでいる。
私は、続けた。
「それって、変じゃない? 遺体を回収しそうな“欠落者“は、王守の四柱と戦っていたんでしょ...…?」
「……はあ」
タイトが、深いため息を吐く。
「遺体を見てねぇのに、なんで“死んだ”なんて思えるんだ。……あいつは死んでねぇ。今も、どこかで息をしてるよ」
「……なん、で?」
本当か?
いや、信じすぎるのは。
問いかけると、タイトは煙草を取り出して火をつけ、短く息を吸った。
「お前は、ダチュラって人間のことを、まだ分かってねぇ」
煙の向こうから、鋭い眼光が射抜くように私を見据える。
「いいか? あいつは、俺が知る限り“最強”だった。……もし本気で“王”を殺したいなら、もっと効率的にやってたはずだ」
「……!」
「寝込みを襲うとか、一人のときを狙うとか。あいつなら、それができた。……“王”だって、一人になる時間はゼロじゃねぇ。ましてカルロがいたら、勝機はあった」
「でも、“王”は常に警戒してた。仲間がいたじゃない……!」
「だから、お前らは“ガキ”なんだよ」
吐き捨てるように言ったその声に、皮肉と苛立ちが滲んでいた。
「全部、ダチュラの言うことを鵜呑みにしてる。……あいつは、そういうやつだ。信頼されるほど、真実を隠す」
「……じゃあ」
私は、口を震わせながら問うた。
「……ダチュラは、私たちを……騙してたの?」
タイトは黙って頷いた。
「恐らく、な。あいつは、お前らを守るために嘘をついた。それも、全部一人で背負ってな」
言葉が、胸の奥に突き刺さる。
知らなかった。でも、知るべきだった。
だからこそ、私は口にした。
「行こう」
タイトがこちらを見た。
「……は?」
「確かめるの。ダチュラが、本当に死んだのか。私たちの手で」
しばらくの沈黙の後、タイトの目が鋭く光る。
その光の中に、久しく見なかった“決意”があった。
「……お前、本気か?」
「私は、“欠落者”じゃない。私は——“私”だ」
その言葉と共に、何かが再び動き出す気がした。
もう一度、あの人の真実に辿り着くために。




