第65話 二人
――カツン。
揺れる車輪の音とともに、馬車が森の外れに停まった。車窓の外には、霧と静寂に包まれたマールの館。だが、もう一台の馬車の中には別の空気が流れていた。
「……今の、聞いた?」
囁くように口を開いた。漆黒の髪が肩で揺れ、その瞳にはかすかな緊張が宿っている。
──名を、アザミという。
「ああ。ばっちり、な」
タイトが微笑む。彼の能力――《密偵》は、視界も音も、まるごと“気配”ごと消してしまう。気づかれぬまま、彼らは、館の近くに潜み、マールとフィンの会話を聴いていたのだ。
「“其れ”が、三光の能力を奪った……」
「……笑えねぇ話だ。よりによって、あの道場が焼かれるとは」
タイトの口調は軽いが、その奥にあるものは明らかだった。静かに手を握りしめる彼の横で、アザミは窓の向こうを見つめていた。
「でも、やっぱり“その名前”は出なかったわね」
「"其れ"の名か。マールも察してるのか、伏せてるのか……。どっちにしろ、あれはもう“何者か”の域を超えてる」
アザミは頷く。その頬にかかる髪を払いつつ、低く頷く。
しばしの沈黙。
外では、フィンが館から出てくる気配があった。彼の足取りは迷いなく、決意を帯びている。
「フィンは協力者なんだろ?」
「ええ。でも……彼自身、“そのこと”をまだすべて知ってるわけじゃない」
「なら、これからだな。俺たちが“全て”を知るには――もう少し、深く踏み込まなきゃならねぇ」
タイトは、馬車の扉に手をかける。その目は、霧の奥をまっすぐに見据えていた。
「さて。幕は上がった。狩る側になるか、狩られる側になるか……俺たち次第だ」
「……覚悟はできてる。あたしも、あいつに“奪われたくない”」
アザミの声は、冷たく、そして確かな熱を秘めていた。
やがて、馬車は音もなく動き出す。霧を裂いて進むその中で、ふたりの影は、なお気配を消したまま――“其れ”の行方を追い続ける。




