第61話 真実に迫って
その図書館は、いや、マールの館は、霧の向こうにあった。
町外れの古びた並木道を抜けると、ぽつりと立っている建物がある。濃い霧がまとわりつく中、淡く光るステンドグラスの窓、蔦の絡まる石造りの壁、そして錆びた扉の向こうに広がる、果てしない書架の海。
彼は、その扉を押し開けた。
――コォン……
鈍い音とともに、冷えた空気が頬を撫でる。
中に足を踏み入れると、そこは想像以上に広かった。見上げても天井は霧にかすんで見えず、左右に伸びる書架はどこまでも続いているように思えた。ふと気づくと、壁際には無数の時計が掛かっている。すべての時計が異なる時間を指し、コツコツと微細な音を立てていた。
カウンターの奥に、一人の司書のような男が座っていた。
「ほほう。来客とは、実にィ珍しい。ようこそ、マールの館へ」
黒い手袋をした細い指が、静かにページをめくる。長い白髪が揺れ、その瞳は深い霧の色をしていた。
彼は、息をのんだ。
この図書館は、ただの図書館ではない。
いや、この世界には図書館がないから、それもそうなのだが。
書架に並ぶのは、この世のどこにも存在しない本ばかりと聞いた。
「……読みたい"書"は、お有りで?」
司書と思われる男が問いかける。
沈黙の中、どこか遠くで時計がひとつ、カチリと時を刻んだ。
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「お久しぶりですね。マールさん」
いきなり、フィンが口を開いた。
「おやおや。フィン君か。どうしたんだい? こんな大人数で。館の見学なんて簡単な話じゃないんだろう?」
マールは柔らかな笑みを浮かべながらも、静かに相手の意図を探るような視線を向けた。その物腰は穏やかだが、その奥には知識を司る者特有の鋭さがあった。
「えぇ。この国で最も叡智を持つ貴方に、お聞きしたいことがございます。お時間をいただけますか?」
フィンは一切の無駄を省いた言葉で、真っ直ぐに問いかける。その瞳には迷いがなかった。
「もちろん。少し待っていてくれるかい? ……茶でも出そう」
マールはそう言って、ゆったりとした動作で席を立った。その仕草には余裕すら感じられる。
「ありがたく頂戴します」
フィンは静かに頭を下げ、礼を述べた。館の中に、一瞬の静寂が落ちる。やがて、どこからともなく湯を沸かす音が響き始めた。
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館の奥から微かに湯の沸く音が聞こえ、静寂が満ちる。誰もがマールの動きを見守る中、フィンはわずかに肩の力を抜いた。緊張はしていないつもりだったが、この場所に足を踏み入れた瞬間から、どこか張り詰めた空気を感じていたのだ。
マールはしばらくして戻ってくると、銀の盆に載せられた湯気立つ茶器をテーブルへと置いた。琥珀色の液体が揺れ、ほのかに甘い香りが漂う。
「さて、話を聞こうか。君がわざわざ私のもとを訪れるのだ、よほどのことなのだろう?」
マールは静かに茶を口にしながら、フィンを見据えた。
「ええ。貴方ならば、何かご存知かと思いまして」
「国が、何者かに襲撃されたのは、ご存知で?」
マールの瞳がわずかに揺らぐ。
「無論だ」
フィンの言葉に、部屋の空気が一段と張り詰めた。マールは書物を手に取り、しばしの間沈黙する。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「成る程、“其れ”について知りたいのだね」
その言葉に、フィンは眉をひそめた。周囲の者たちも、次の言葉を待つように息をのむ。
「.....どういう意味です?」
マールは、表現を変えず、ただ口を開いた。
「其れは、ある静寂な村に生まれた」
部屋の空気が、ひときわ冷たくなったように感じられた。




