間章 剣夢終焉 その1
私の1日は、汗臭い道場の少し硬い畳から始まる。いや、正確に言えば寝床からだが。まあ、そんなことはどうだっていい。
この道場は、"三光"の武を継承されたこの国、いや世界最強の覇王が師範だ。
日が昇る前の薄明かりが道場の隅々に差し込み、静寂の中で自分の呼吸音が響く。畳に正座し、柄に手を置いて精神を落ち着ける。この時間だけは、剣の修行に没頭するための心構えを整える瞬間だ。
「今日も自分を超える」
そう小さく呟いて立ち上がり、木刀を手に取る。握り慣れたその感触が、自然と集中力を高めてくれる。
修行が始まると、体は反射的に動きを覚えていく。切り返し、突き、払い。汗がじっとりと背中を伝う中、私は一つひとつの動作に全力を込めた。けれど、その中でいつも頭をよぎるのは自分の弱点だ。
受け――それが、私の課題だった。
攻撃は得意だ。世界で一、ニを争うくらいには。
だが、受けが弱ければ真の剣士とは言えない。真の最強とは言えない。相手の動きを見極め、的確なタイミングで防御に転じること。それが今の私には足りないのだ。
私の名はレイス。国でも結構名の知れた剣士だ。だが、それでは足りない。
世界最強――それが、私の目指す場所だ。
老師様は今日も私の稽古を黙って見守っている。ときおり頷くものの、その鋭い眼差しに込められた思いは読み取れない。最近は何の指導もなく、ただ見つめるだけ。
「攻撃だけではなく、相手の動きを見極めることが重要だ」
老師が口にする言葉はいつも同じだ。それが正しいことは分かっている。だが、焦燥感が募る。攻撃こそが剣士の本質ではないのか? 本当にそれでいいのか?
「お〜い。レイスよ」
老師様の声が静寂を破った。その瞬間、私の体は緊張で反応し、次いで喜びが湧き上がった。
「はい。老師様」
「また腕を上げたな」
意外なことを言われ、嬉しさで左右非対称の笑みが溢れ落ちる。
「ありがとうございます」
「お前は、天才だな。そろそろ、儂を超えるじゃろうて」
「またまたご謙遜を。私はまだ遠く及びませんよ」
「ホッホッホ。そんなことはない。儂が強かったのは50年前の話じゃて」
「その頃は、国を獲るほどだったのでしょ?」
「まぁ、な」
その日の稽古が終わる頃、老師が私の動きをじっと見つめ、珍しく微笑みながら言った。
そして、だが、と続けた。
「レイスよ、安心しろ。少しずつ成長しているぞ。焦ることはない。ゆっくり、でいいんだ」
その言葉に驚いた。自分ではまったく納得のいく動きができていないと感じていたのに、老師に褒められるとは思わなかった。
「ありがとうございます……!」
私は深々と頭を下げた。
修行が終わり、道場を出ようとしたところで、年齢の近い弟子が話しかけてきた。
「よぉ、褒められて良かったな」
「……何か用か?」
特に仲がいいわけでもない相手だ。いや、同期に仲がいい人なんていないが。名前ななんだっけ。
えっと.....
確か、イケメンとかで人気者らしいが、剣の実力は大したことないらしい。
普段はそれほど話しかけられることもないのだが、今日は何やら様子が違う。
「なぁ、ちょっとだけ修行付き合ってくれないか?老師さんの弟子で一番つぇんだろ?」
様だろうが!!
渋々承諾し、再び木刀を握った。相手の目はやる気に満ちているが、勝つのはどうせ私だ。
面白い。
コテンパンにして、ボコボコにして泣かしてやろうではないか!
「じゃあ、いくぞ!」
その一言とともに稽古が始まった。しかし、結果は明らかだった。私は渾身の力で向かってくる相手を軽々といなし、攻撃をことごとく受け流していった。最後には一本を取って圧勝した。一蹴した。圧倒した。蹂躙した。完勝した。
ざまぁみろ。
しかし、相手は、悔しそうにもせず、ただ口元は歪んでいた。
「……やっぱりなぁ」
相手が小声で呟いた言葉が耳に残る。何を意味しているのかは分からないが、妙な感覚が胸を掠めた。
「なんだ、それ」
「いや、なんでもないさ」
そう言って彼は去ろうとした。
「おい、さっきから喧嘩売ってんのか?」
少し圧を出した。ビビらせてやる。
だが、そいつはビビることもなく、踵を返して、ただ笑っていた。不吉に。
「いやいや、まさかでしょ。やっぱり強いなぁって。不快になったのなら謝るよ。申し訳ない」
そう言って、ぺこりと謝罪した。
少しも申し訳なさそうにはしていなかった。
その夜、私は奇妙な余韻を抱えたまま寝床に入った。道場の静けさの中、彼の言葉が頭をぐるぐると回る。
「やっぱり……?」
しかし、その疑問を抱えたまま、疲れた体は徐々に眠りに引き込まれていった。明日もまた、汗臭い道場の少し硬い畳の上で、自分を超えるための一日が始まるのだ。




