第52話 殺し
『烈火の復讐編』 ──起始。
「……殺す、か」
その言葉は、喉を震わせるようにして漏れた。自分のものとは思えないほど、冷たく、乾いていた。
その独り言のような呟きに、エーデルは微笑を返した。まるで慈しむように——けれど、その眼差しにはどこか異様な光が宿っていた。
「ええ。そうですね、あなたならできるはずです」
やはりこの男は、悪魔。
狂っている。
けれど、言葉の端々には確かな理があって、それが余計に恐ろしい。
「殺す相手は、決まってるの?」
私は努めて冷静に問いかけた。声が震えないように、指先に力を込めながら。
「もちろん」
エーデルは一瞬の迷いもなく頷いた。
「ダチュラさんを殺した相手——“欠落者”。私も名前までは知らない。ただ、いくつかの情報は掴んでいます」
私は唇を噛み、抑えきれない衝動を無理やり飲み込んだ。
「……聞かせて」
エーデルは一歩、こちらに歩み寄る。まるで間合いを詰める狩人のように、静かに。そして、私の耳元で囁く。
「『運命を改変する』能力を持つ者。それが、ダチュラさんを殺した犯人です」
——運命を、改変する。
それがどんな力なのか、私は正確には知らない。けれど、それがどれほどの異常さを孕んでいるかは、本能で理解できた。
未来さえ書き換える存在。
そんなものが、この世にいていいはずがない。
「……それで? そいつの居場所は?」
「まだ確定はしていません。ただ、いくつか候補はあります。犯人にも、心の隙が見えています。追い詰められるのは時間の問題です」
エーデルの声はあくまで淡々としていた。感情を排した口調。それが逆に、底知れない恐怖を呼び起こす。
「私の手の者たちが、現在も調査を進めています。その結果が出るまで、少し待っていただきたい」
「……分かった」
短く、それだけを返す。
ダチュラを殺した奴を——殺す。
それ以外のことは、どうでもよかった。
「その間、あなたにはやってもらいたいことがあります」
「……なに?」
「あなたに本当に“覚悟”があるかどうか、試させてもらいます」
その瞬間、エーデルの目が細められ、微かな笑みが浮かんだ。
——分かってる。
この人は、私がどこまで堕ちていけるかを見ているのだ。傍観者としてではなく、導く者として。
でも、構わない。
もう戻る道なんて、とっくに焼き払われていた。
「……どうやって?」
問うた声は、少しだけ震えていたかもしれない。
エーデルは、それにも気づかぬ素ぶりをして、静かに笑りながら、手を叩いた。
「“初めての殺し”を、経験してもらいます。
もっとも、その前に“殺しの技術”を徹底的に叩き込みます。感情も、戸惑いも、すべて削り落としてもらいましょう」
一拍の間。
私は、瞬きをひとつした。
エーデルは、悪魔のような気持ちの悪い笑みを決して崩すことがなかった。
——人を殺すことでしか、前に進めないのなら。
私は、その地獄へ踏み出す。
仮え、彼女自身がそれを望んでいなくとも。




