第45話 "王"
フィンはしばし沈黙した。
静寂が廊下に満ち、リアナが困惑したように彼を見つめる。しかし、彼の表情は微動だにせず、ただエーデルを見据えていた。
「“王”……か」
その言葉を噛み締めるように、フィンが低く呟く。
目の前の少年──エーデル=クラセルは、微笑を崩さず、貴族然とした振る舞いのまま静かに佇んでいる。
「エーデル殿、冗談を言うには場が少々悪すぎるのでは?」
フィンの声は淡々としていたが、その言葉の端々に警戒の色が滲んでいる。
「冗談ではありませんよ」
「では、貴様は何を以て”王”を名乗る? この国にはすでに”王”がいる」
その問いに、エーデルはわずかに首を傾げ、心底不思議そうに問い返した。
「なぜ、“名乗る”必要があるのでしょう?」
「……?」
「“王”とは、宣言するものでも名乗るものでもなく、ただそう在るものです」
エーデルは一歩、フィンへと歩み寄る。その一歩が、無言の圧力となって周囲に広がった。
「この国には“真の王”が必要です。世界を導く覇者が。世界を平和へと向かわせる聖者が。
そして、その資格を持つのが、この私なのです」
フィンの目がわずかに細まる。
「まるで、話にならんな…..貴様、自分が何を言っているのか理解しているのか?」
「ええ、もちろん」
エーデルの背後には、屈強な戦士と杖をついた老人が静かに佇んでいた。二人とも、フィンとリアナの動きを監視するようにじっと見つめている。
「エーデル=クラセル、と言ったな。苗字があるということは、別国の人間か」
「別国?」
リアナが口を挟む。
「──ヴァルムント帝国、なら苗字があるでしょう?」
「はい、ご明察です。流石は、王守の四柱で一の知恵を持つお方」
その言葉に、尊敬の色はない。むしろ、わずかな嘲弄すら滲んでいた。
この世界には、二つの大国と、七十八の小国が存在する。
内、一つは アルトリウス王国。
もう一つが ヴァルムント帝国。
そして、この二カ国は長きにわたり同盟関係にあった。
たまらず、リアナが鋭い声を放つ。
「あなたがどれほどの者なのか知らないが──“王”を名乗るなら、それ相応の覚悟があるのでしょうね?」
「覚悟?」
エーデルは小さく笑った。その笑みには、人の心を弄ぶような冷たい愉悦が宿っている。
「それは、“力”のことを言っているのですか?」
「──!」
リアナの背筋に、冷たい悪寒が走った。
「“王”とは、秩序の象徴であり、支配の体現者です」
その言葉と同時に、リアナの腕を掴む強い力がかかる。
「……!」
気づけば、屈強な戦士がリアナの腕を握り締めていた。圧倒的な握力。まるで鋼鉄の枷のような感触が、彼女の細腕を締め付ける。
「それ以上動けば、骨を折るぞ」
重く、冷徹な声が響く。
フィンは少しも動揺した素ぶりを見せず、ただ静かに状況を見極めていた。
彼は理解していた──今の状況で下手に動けば、無駄な戦いを引き起こすだけだと。
「ありがとうございます、クラフト君。しかし、大丈夫ですよ。彼らは僕たちに何もできません」
エーデルは優雅に手を振る。
「へぇ。それじゃあ──戦ってみっか?」
次の瞬間──クラフトと呼ばれた戦士が、吹っ飛んだ。
轟音とともに巨体が宙を舞い、廊下の端まで叩きつけられる。
ゆらゆらと揺れる紅樺色の髪。
そして、火がふわふわと漂っている。
その中央に、イグニスが悠然と立っていた。
「大丈夫か? リアナ」
「……うん。平気」
リアナは、掴まれていた腕をさすりながら安堵の息を漏らす。
「あなたは、相変わらず無理をしますね」
フィンが冷静に、感情を込めずに言った。
「おぉ、フィン……怪我したって聞いたけど、大丈夫か?」
「ええ。お構いなく」
「ヒッヒッヒッ……」
異様な笑い声が響く。
音の正体を追うと、杖をついた老人がただ嗤っていた。まるで無邪気な子供のように。しかし、その声には一片の可愛げもない。
「やってくれるのぉ〜、チビちゃんたち……」
杖をゆっくりと地面に打ちつける音が、廊下にこだまする。




