第3話 "荒地の魔女"
目が覚めた時、いや開けた時というべきか。そこには美しい野原があった。
野原。そうだ野原だ。そういえば、野原と草原って何が違うんだろう。いや、そんなのどうだっていい。
遠くでは小鳥がさえずり、小川のせせらぎが微かに耳をくすぐる。思わず息をのむ光景だった。
「どう? こっちもいいところでしょ?」
透き通るような声が、背後から聞こえた。振り向けば、そこにいたのは青い瞳をした女性——自分を『予言者』と名乗る人物だった。
彼女は陽の光を受けて微笑み、その真紅のフードから垣間見える漆黒の髪がなびいている。
「そうですね。あっちよりよっぽど」
無意識に、そう答えていた。自分でも驚くほどに自然な返答だった。否、これは無意識ではない。ただの本音だ。心の底からそう思ったからこそ、言葉がすんなりと口をついた。
「...どうして、私をここへ?」
これも気づいたら口が動いていた。
「言ったでしょ? 君を死なせないため」
彼女は柔らかく言う。その声音は優しく、まるで母が子に言い聞かせるような響きがあった。何故か、安心した。
(でも……そういうことじゃないんだけどな)
「そして、魔王を倒すため、かな」
その一言を言った瞬間、表情がほんの少しだけ険しくなった。それが、怖かった。
「はぁ〜。あのよぉ、油売る暇がある程、俺らは暇じゃねぇはずだぜ?」
苛立たしげに言うと、彼女は苦笑しながら頷いた。
「あぁ、そうだね。じゃあ行こうか。アザミ」
「う、うん」
弱々しく、そう言うことしか私にはできなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
野原を抜けると、少し開けた場所に出た。木々がまばらに立ち並び、足元の土は柔らかい。どこか湿った匂いが鼻をくすぐる。
近くには小川が流れ、そのせせらぎが心地よく響いている。水面は日の光を受けてきらめき、小魚が跳ねるのが見えた。そのすぐそばには馬車が何台か停まっている。
「ここで食事にするとしようか」
彼女のその言葉で、自分が空腹だったのに気がついた。体の奥から鈍い空腹感が込み上げる。だが、それ以上に気になることがある。
「でも...」
こんな状況でのんびり食事をしている場合なのだろうか。そんな思いが口をつく前に、彼女は軽く肩をすくめた。
「……まぁまぁ、腹が減っては戦はできぬって言うじゃない?」
しぶしぶ腰を下ろし、彼女が差し出した包みを開いた。
中には、黒パンと干し肉、そして羊のチーズが入っている。黒パンは少し固そうだったが、かじってみると意外と香ばしい。チーズの塩気がちょうど良く、干し肉と合わせると悪くはない。
カルロは、小さな鍋を取り出して火を起こし、スープを作り始めた。乾燥野菜を煮込んで、少しの香草を加える。湯気とともに、ほのかに甘いような爽やかな香りが立ちのぼった。
「食べてみなよ。これ、意外と美味しいんだから」
「意外とってなんだよ!」
カルロが、不満げに声を出している。
半信半疑でスプーンを手に取り、スープをすくった。とろみのある口当たりと優しい味が、冷えた体に染み込んでいく。
「……悪くは、ない」
「でしょ? これでもカルロは料理が上手なんだよ。超以外でしょ?」
「お゙い。さっきから喧嘩売ってんのか?」
「まさかぁ〜。冗談だよ♪」
彼女は満足げに微笑んだ。
誰かと、こうして鍋を囲んで食事をするのは、随分と久しぶりのことのような気がした。
昨日も、両親とご飯を食べたのに、なんでだろう。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
食事を終えて馬車のそばで休んでいると、次々と馬車がやってくるのが目についた。
馬の蹄が土を打つ音。車輪の軋む音。商人たちの賑やかな声。
「...なんか、馬車の出入りが多くない?」
私がぼそりと呟くと、近くで荷車を降ろしていたカルロが苦笑しながら答えた。
「そりゃあ、そうさ。"荒地の魔女" が死んだんだからな」
カルロの言葉に、私は思わず眉をひそめた。
「"荒地の魔女"……?」
「知らねぇのか? おいおい、そんなことも教えてねぇのかよ」
「...すまない。時間がなくてね。そのこともアジトで話そう、と」
素直に謝った彼女をよそに、カルロは「ったく」と言いながらも話を続けた。
「いいか? "荒地の魔女"ってのは、ここから北の荒地を支配してた魔女だよ。アイツが生きてる間は、誰もビビって通ろうとしなかったが……死んだって噂が広まって、急に交易が活発になったんだ。どこの国の奴もビビりしかいねぇからな」
道が安全になったから、商人たちがこぞって動き出した、ということらしい。
「でもさ……」
私はぼんやりと呟く。
「どうして、魔女は死んだの?」
カルロは「さあな」と肩をすくめて、荷物を運び始めた。
その時——冷たい風が吹いた。
草木がざわめく。
——なぜか、背筋が冷えた。




