第34話 密偵
王宮から火が出た。
燃え盛る炎が夜空を赤く染め、黒煙が天へと立ち昇っていく。
兵士たちの怒号、瓦礫の崩れる音が混ざり合い、混沌を極める。
──もっとも、この国には水を操る能力者がいる。
いずれ鎮火するだろう。ましてや先ほど降った雨もある。
それでも、王宮が燃えているという事実は揺るがない。
そして、その異常事態をただ遠くから観察している者たちがいた。
中でも、異質な存在感を放つ男がいる。
中年の小太り。目つきは鋭く、どこか猛禽を思わせる。
──名を、タイトという。
その奥にも、人影があった。
遠目にも目を引く白髪の青年。少年のように幼さを残す顔立ちだが、どこか達観した微笑みを浮かべていた。
「タイトさん、ご協力に感謝いたします」
彼は静かに言い、浅く頭を下げる。
「今日は忙しいな。ったく、大変だぜ」
「申し訳ない限りですね。感謝が絶えぬばかりです」
タイトはフンと鼻を鳴らしながら、懐にあった煙草に火をつけた。
煙がゆっくりと宙に溶けていく。
「.....まぁ、カルロには悪いけどな」
何気ない一言に、白髪の青年が僅かに目を細める。
「──"王"に歯向かう奴は敵なんでな」
「はい.....その通りで御座います」
"王"を倒すことができると思っている者などいない。
──例外なく。
燃え続ける王宮を見つめながら、タイトは思い出したかのようにふと呟いた。
「...あぁ、あとよぉ....」
「はい、なんでしょう?」
白髪の青年が、気さくに問い返す。
「俺の知らねぇ奴がいたんだよ。一人。女だった」
青年の微笑みが、ほんの僅かに深まる。
「.....へぇ」
それは独り言のように小さな声だったが、タイトの耳にはしっかりと届いていた。
「どうかしたのか?」
「いえいえ。失礼しました。続けて下さい」
「アザミってな、名前だったんだけどよぉ? ダチュラと一緒にいたんだ.....なんだったんだろうな」
「....さぁね」
タイトは腕を組み、考え込むように顎を撫でる。
“アザミ”──その名が、タイトの記憶のどこにもないことが妙に引っかかった。
「手練れじゃあねぇんだよなぁ。まぁ、でも関係ないか。どうせ、捕まっただろうし」
「そうですね。私も調べてみますよ」
「おう。ありがとな」
タイトは最後にもう一度王宮を見やった。
夜風が、焦げた匂いを運んでくる。
ふっと息を吐いた。
──これで全てが終わる。
そう思っていた。
しかし、その足元で、運命は密かに歯車を狂わせ始めていた。
◇ ◇ ◇
†
タイト 能力 『密偵』
人類がまだ影という概念すら知らぬ時代より、この星に溶け込み、気配を絶って潜むありとあらゆる術を持つ。
†
世界には「見えるもの」と「見えないもの」がある。
誰もが光に目を奪われ、真実は影に隠される。
だが、影の中を歩む者にとって、この世に秘匿されるものなど存在しない。
姿を消し、気配を絶ち、視線を欺き、存在すらも霧散させる。
そして、真実の裏側へと迫る。
──それが、『密偵』という名を持つ、闇に潜む観測者である。




