第31話 死線、再び
黒き刃が、闇の中を走った。
「くっ……!」
カルロはアザミの腕を引き、咄嗟に飛び退る。
だが、足元の地面が水に侵食されていたことに気づくのが一瞬遅れた。
ぬかるみに足を取られ、バランスを崩す。
ザブッ!
「カルロ!」
アザミが手を伸ばすが、カルロは片膝をつき、荒い息を吐いた。
額に浮かぶ汗が、疲労の深さを物語っている。
「……クソ……」
もう、身体が動かない。
肺は焼けるように熱く、指先まで鉛のように重い。
――これ以上の戦闘は、持たない。
「終わり?」
セリーヌがゆっくりと歩を進める。
彼女の足元には、一滴の水もない。
それもそのはずだ。
すべての水は、彼女の背後で宙を舞っていた。
刃となり、槍となり、鞭となり、
死を形作る水が、まるで生きているかのように揺らめく。
「つまんないなぁ、もっと逃げるかと思ったのに」
「……お前、どっから水を……?」
カルロが苦しげに問いかける。
セリーヌはクスッと微笑み、指を軽く振った。
すると、夜の闇に隠れていた水たちが、静かに蠢いた。
――川の流れ、樹々の葉に蓄えられた雫、湿った土の中の水分。そして、先刻の時雨。
それらが彼女の意志によって引き寄せられていた。
「水はね、どこにでもあるんだよ?」
その言葉と同時に、セリーヌが指を弾いた。
ズブンッ!!
カルロとアザミの足元から、一気に水が噴き出し、彼らを捕らえようとする。
「しまっ――!」
アザミが跳んだ。
カルロの腕を引き、寸前で濁流を避ける。
しかし――
セリーヌの目が鋭く光った。
「――逃がさない」
水が形を変え、鋭い槍となって二人を貫かんと迫る。
カルロの反応が、一瞬遅れた。
シュッ!!
「……っ!」
アザミがカルロを庇い、肩をかすめる傷を負う。
「アザミ!」
「大丈夫……でも……」
彼女の目の前には、なおも揺らめく水の刃。
セリーヌは、勝ち誇るかのように微笑みを崩さない。
「さぁ――どうやって逃げる?」
彼女の足元で、ゆっくりと水が広がっていく。
ただの水溜まりではない。
――それは、底の見えない水の墓穴だった。
静かに二人を沈めようとしていた。
†
セリーヌ 能力 『水葬人』
人類が誕生する遥か以前から、この星を包み込み、命を育んできたものとこの世で唯一心を通わせることができる。
†
大地を削り、時に全てを押し流しながらも、静かに、確かに世界を形作ってきた。
水は優しさであり、破壊であり、そして生命そのものの具現。
掴もうとすれば指の隙間から零れ落ち、しかし時に鋼すらも穿つ。
変幻自在に姿を変えながら、全てを受け入れ、そして支配する。
──それが、水という絶対の存在である。




