第179話 廃劇場にて
案内されるまま進んだ先は、王都の片隅にある古びた劇場だった。
かつては市民の笑いと歓声に満ちていたのだろう。だが今は、木の椅子は軋み、幕は色を失い、舞台には厚い埃が沈んでいる。
「こんな場所に……?」
私が目を細めると、エーデルは軽く肩を竦め、涼しい笑みを浮かべた。
「人目を避けるには都合がいいんだ。彼らは注目されるのを嫌うからね」
その言葉の直後、舞台に二つの影が差し込んだ。
暗がりの中から現れたのは、対照的な気配を放つ男女だった。
一人は、朱を帯びた鮮やかな橙髪を揺らす青年——イグニス。
燃えるような瞳と、子供のように隠しきれない無邪気な笑み。その立ち姿は、火そのものの奔放さを思わせた。
もう一人は、長く金に近い髪を流す女——セリーヌ。
その冷ややかな眼差しは、触れれば凍てつく刃のよう。彼女がひと呼吸しただけで、劇場全体が凍りついた錯覚を覚えるほどだった。
「……遅い」
セリーヌの声音は低く冷ややかで、観客のいない舞台に残酷な緊張を響かせた。
「いいじゃないか、セリーヌ。客人が来てくれたんだ」
イグニスは笑みを深め、片手を掲げる。その掌にふっと炎が灯ると、赤橙の光が舞台を撫で、廃墟のような劇場を一瞬だけ蘇らせた。
「紹介しよう。俺がイグニス、“焔闘者”。そしてこっちは——」
「セリーヌ。名乗る必要はないわ」
氷の刃のように鋭い言葉。彼女は一切の感情を見せず、ただ私とレンを一瞥するにとどめた。
熱と冷。
二人が並び立つだけで、世界は極端に裂け、視線を奪われた。
「……よろしく」
私は小さく頭を下げる。
「あんたのことは、色々と聞いている」
イグニスが真っ直ぐに言葉を落とした次の瞬間、その身体が疾風のように動いた。
——彼は目にも留まらぬ速さで、深々と頭を垂れていた。
「我々の力が足りなかったばかりに、君に迷惑をかけた!
すまない! どうか許してほしい!」
その声には、炎のような激情と真摯さが同居していた。
虚勢も見栄もない。燃え尽きることを恐れない、真っ直ぐな誠意だけがそこにあった。
「い……いえ」
不意を突かれた私は、言葉を失いながらも、震える声でそれだけを返すしかなかった。
——氷の女と炎の男。
王守の四柱の二人。その圧倒的な存在感は、舞台の瓦礫すら輝かせるかのように、鮮烈に胸へと刻まれた。