第168話 覚醒者
店内の空気が、一瞬で張り詰めた。
アザミの瞳は、漆黒の深淵のように光を拒み、ただ二人を見据えている。
「……なぜ、ここに……」
タイトの声は、驚きと警戒が入り混じっていた。
腰の短剣に添えた手が、わずかに震える。
アザミは答えず、ゆっくりと指先を机に置く。その爪が木を軽く叩くたび、タイトの肩が僅かに揺れた。
「ふふ、そんな顔をするなんて」
その声は、冷えた夜気よりも冷たかった。
ダチュラは笑みを浮かべたままだ。
「……で、アザミ。ここにきたからには、何かをしに来たんだろ? 話してみておくれよ」
アザミは軽く息を吸い、まるで他愛ない世間話でもするように。
その瞬間、隅の席で飲んでいた客が椅子を引く音が響き、店の空気がざわめく。
だがアザミは一歩も引かず、むしろ二人の前に身を乗り出した。
「……話し合いで済むなら、それが一番だと思ってる。
でも——」
その言葉の先は、まだ闇の中だった。
「でも?」
ダチュラがにちゃにちゃと愉快そうにしながら聞き返す。
アザミの唇が、ゆっくりと笑みに歪んだ。
「でも——譲らないなら、力ずくになる。
タイト、今決めて。……殺すしかないよ?」
その瞬間、机の下で何かが鳴った。
ダチュラの指が握っていた細い金属が、低く澄んだ音を立てる。
「やれやれ……せっかくの酒が不味くなりそうだぜ。おい、アザミよぉ、なんでそんなになっちまっまのか知らねえが。俺を殺すだぁ?」
タイトは椅子を蹴って立ち上がり、短剣を引き抜いた。刃がランプの光を受けてきらめく。
「上等だよ!」
アザミは席を立たない。
ただ、右手をフードの内側から引き出し、何も握っていない掌を二人に向けた。
「——ほら、どうする?」
声は穏やかだが、その瞳の奥に潜む冷たさは、刃より鋭い。
店の空気はさらに重くなり、客の何人かは椅子を引いて出口へと向かう。
外から吹き込む夜風が、三人の間にある火花を揺らした。
「あっ、そうだ。忘れるところだった。
ダチュラ」
アザミは、真っ直ぐダチュラにもタイトにも目線を向けずに、ふと思い出したように口を開く。
「ふふ、なんだい?」
「この国は——私たちの物だ。
せいぜい、抗ってみせなよ」
朝美が、人間になった瞬間だった。