第139話 裏切り者に罰を
“レン”と名付けられた男が、ただ静かに頷いたその瞬間から。
部屋の空気が、わずかに変わっていた。
確かに、駒は揃ったのだ。
リアナの治癒、私の眼、そして“レン”という予測不能な戦力。
エーデルは、それを確認するように、ゆっくりと目を閉じる。まるで、盤面全体を脳内に再構築するかのように。
「さて……やっと、“内側”の掃除ができる」
彼の呟きに、私は思わず視線を向けた。
だがエーデルは、もうこちらを見ていなかった。目の奥にあるのは、完全に“戦略家”の顔だった。
「リアナ、レン。少し席を外してくれるか。話がある」
「……わかった」
リアナは躊躇いがちに頷いたあと、レンの袖を引いて部屋を出た。
私とフィンを残して、扉が閉まり、部屋は暫し静寂に包まれる。
エーデルは、ポケットから一枚の紙を取り出した。それは、見覚えのある筆跡と印が押された、極秘の報告書だった。
「さて、単刀直入に言うとしよう。まず、僕らの目的は、タイトを始末することにある」
その言葉は、あまりにもあっさりとしたものだった。
だが、その簡潔さが却って、現実味を伴って心に突き刺さる。
「……彼のことは、信用していた。能力も、判断力も。だが、もう判断の余地はない」
エーデルは椅子の背にもたれながら、まるで事務処理でもするかのような口調で続ける。
「“裏切り者”かどうか、もはや問題じゃない。可能性がある時点で、切り捨てる。それが、この戦いのルールだ」
「別に、それはいいんだけどさ…..」
私は、気づけば口を開いていた。
言葉は、思考よりも先に出ていた。
「私は、タイトより、ジュリちゃんと話がしたいんだけど…..」
自分でも不思議なほどに自然だった。
だが、口にしてみてようやく、その思いが本物であることに気づいた。
「別に、それは構わないさ」
エーデルはあっさりと言った。
だが、その表情には変化はない。
“タイトをどう殺すか”という話題の前では、それは些細な枝葉にすぎないのだ。
「だが、今はどうタイトを殺すか、だ」
「どうするの?」
私が訊ねると、エーデルは少しだけ間を置いて答えた。
「暗殺が一番確実だろうね。静かに、迅速に、痕跡を残さず」
その一言に、室内の温度がまた少し下がった気がした。
「いいや…..」
そのとき、不意にフィンが口を開いた。
いつもの皮肉も怒気もなかった。ただ、淡々とした声音。だが、どこか深く、強く、真っ直ぐな意志がこもっていた。
「あまり、その手は勧めない」
エーデルが視線を向ける。
「ほう、意見を聞きましょうか」
「というより、俺はタイトって奴を殺すことに反対だ」
その言葉に、室内の空気が張り詰める。
誰もが無意識に呼吸を止めていた。
そして——エーデルの唇が、かすかに持ち上がった。
「理由は?」
その問いが、この部屋で誰かの運命を決める引き金になることを、私は直感していた。