第120話 紅茶の温度
小さな鐘の音が、扉の開閉を知らせた。
王都の街角にひっそり佇む古いお茶屋。木造の内装には落ち着いた香りが漂い、時間の流れさえゆるやかになるような場所だった。
私は窓際の席で、静かにカップを傾けていた。
「ここ、気に入ってくれたかい?
紅茶もスコーンも、この店が一番だと思っていてね」
向かいに座るエーデルが、上品な笑みを浮かべる。カップを手にしたその仕草はどこか演技じみていたが、彼らしいとも思えた。
「……悪くない」
私は曖昧に答える。心の奥では、まださっきまでの出来事が燻っている。唸る男のあの目が、今も頭から離れなかった。
そこへ、また扉のベルが鳴った。
ふと顔を上げると、茶髪の可愛らしい女の子がいた。
名を、リアナという。
彼女の隣にももう一人いた。
その瞳が、すっと細くなる。
名を、フィンという。
ふっと、目があった。
まるで刃物で心の表面をなぞられているような、そんな感覚が背筋を走った。
二人とも表情は難しく、敵を見る目で私たちをみつめている。
けれど、その目は真っ直ぐにこちらを見ていた。
「……用とはなんだ?」
フィンがそう言って、こちらに歩いてくる。
「言っとくが、お前らのことを俺は信用していない」
フィンもぶっきらぼうに続くが、その言葉の裏にある焦りのような感情に私は気づいた。
「おや、偶然だね。リアナにフィンくんまで」
エーデルが柔らかく微笑む。
フィンはその笑顔を軽く無視し、まっすぐ私を見つめた。
「偶然な筈があるか。お前のことだ、仕組んだんだろ?」
フィンが低く言い放った。声は静かだったが、怒気は隠していなかった。
私は黙って頷いた。
紅茶の香りが、急に薄くなった気がした。いや、私の中で、現実の輪郭が鋭くなっただけかもしれない。
「まぁね」
エーデルは、まるで天気の話でもするかのように気さくに答えた。その余裕ぶった笑顔は、炎の中で微笑む仮面のようだった。
「何の用だ?」
リアナの言葉は短く、鋭い。立ち上がったまま、エーデルを見下ろしている。
「リアナさんの能力を貸していただきたい」
その瞬間、言葉を遮ったのはフィンだった。
「断る」
テーブルに拳をつきそうな勢いで、一歩前に出る。
「貴方なら、そう言うと思っていました」
エーデルは、まるで退屈しのぎにチェスを差しているかのような声で応じる。
「だが……」
「ん?」
フィンの目がわずかに揺れる。
その隙を見逃さず、エーデルは微笑を崩さないまま、ゆっくりとカップを傾けた。
「お前の計画について教えろ。教えるなら考えてやらんこともない」
その言葉には、静かな意志がこもっていた。
だがエーデルはやはり、笑っていた。
それは、何もかも想定通りだと言わんばかりの、飄々とした笑み。
「……なるほどぉ〜
ようやく“入り口”に立てたようだね」
カップを置いた彼の声が、喧騒の外にあるように響く。
「フッ......なら、交渉といこうか。
君たちが僕をどこまで信用できるかは……この紅茶の味次第、かな?」
リアナの眉がぴくりと動いた。
茶の間に広がる沈黙は、まるで硝煙の匂いのようだった。