007 ついに本人だと、認められたようです
「先日君に受けてもらったDNA鑑定の結果、君が百五十年前にこの国を救った英雄、ティアリス様その人であるという確証が、科学によって証明されたからだ」
「あー、綿棒とやらで、ぐりぐり口の中をやったやつですね」
どうやらあの不快極まりない検査は、私の窮地を救うものだったらしい。
「そうだな。ヒトゲノムの塩基配列における個体差を選別し、君の遺伝子の特定領域の中において……いや、詳しい説明は省くことにしよう」
私が醸し出す、興味なさげな雰囲気が勝利した瞬間だ。
「とにかく、君のものとして帝国が保管していた遺物に残る遺伝子と、今回君から採取した遺伝子が一致した。よって君は百五十年前にこの世界を救った英雄、賢人ティアリス様である可能性が高い。そう結論が出た」
「可能性が高いって」
私は正真正銘のティアリス本人だ。しかしここであれこれ文句を口にし、折角認めかけてくれた事実を覆されるのは面倒だ。
「ま、信じてくれたなら良かったです」
ここは軽く流すことにする。
「それから君が居住区として過ごしていたエリアを捜索した結果、そこで発見された物が歴史ある骨董品ばかりだと判明した」
「骨董品って」
どれもこれも、骨董品と言えるほど古めかしいものではない。未だ現役で活躍している日用品ばかりだったはずだ。
「俺もこの目で確認したが、キッチンも湯沸かし器も、もはやこの世界では博物館級の骨董品であったし、魔法の箒なんて絵本の中でしかお目にかかる事ができない代物だ」
「魔法の箒は現役ですよ?魔力さえ流せば、勝手に動くから便利だし」
「今の主流は人工魔石が搭載された、魔導式掃除機だ。魔石の消耗は避けられないが、大気中のエーテルを取り込み、自動で床の汚れを察知し吸い込みながら掃除するという、大変優れた製品が存在する。だからわざわざ魔法の箒を選ぶ者はいないだろうな」
「吸い込みながら、ですか」
確かに魔法の箒は便利だ。けれど術者の魔力を消耗するし、魔法を操る熟練した技術力も必要だ。
それに加え、箒が勢いよく床を掃除しはじめると部屋中にホコリが舞う。それから部屋の隅にためたゴミは、結局のところ術者が始末する羽目になる。
なんとなく痛いところに手が届く的な、吸い込みながら自動で動く魔導式掃除機という代物は、世界最強なのではないだろうか。
そんな気がしてきてたまらない。
「そ、それって、魔法使いじゃなくても扱える代物なんですか?」
「勿論だ。魔導式掃除機、ドラム式魔導洗濯機、それから魔導食洗機の三点は、帝国に住まう家庭における、三種の神器と呼ばれているらしい」
「ドラム式魔導洗濯機って、それは一体なんですか?」
聞き慣れない言葉に思わず反応する。
「ドラム式魔導洗濯機とは、洗濯槽と呼ばれる衣類を自動で洗濯する部分が横向きもしくは斜め向きに設置されているもののことだ。洗濯物を正面から出し入れできる上、乾燥機能にも優れているとかで、近年人気が高まっているそうだ」
洗濯槽とやらの意味がさっぱりだが、どうやら衣類を自動で洗濯し、さらには乾燥する機能までついたやはり恐ろしく優れものな魔導具らしい。
「では、魔導食洗機とは一体なんですか?」
ついでといった感じ。
私はもう一つ、三種の神器に名を連ねる魔導具について問いかけてみた。
「簡単にいうと、魔導洗濯機の食器版だな。自動で食器を洗浄し、乾燥する魔導具だ」
どうやら今の時代は、何でも自動という部分に、人々は魅力を感じているようだ。
確かに「自動でやってくれたらな」というのは、どの時代の人間にも共通する願望に違いない。
「なるほど。それらが今の三種の神器なんですね。確か私の時代は魔法の箒、魔法の桶、それから歌うスポンジが三種の神器だなんて言われていような気がします」
私はかつての記憶を呼び起こし、エメル殿下へ伝える。
「歌うスポンジ?なんだそれは」
意外にもエメル殿下が私の話に食いついてきた。
しかもよりによって一番微妙な歌うスポンジに大変興味を惹かれたようだ。
「歌うスポンジはそのままの意味です。つまりスポンジが歌いながら、愉快に食器を洗ってくれるというものです」
「便利そうではあるが、歌う必要はあるのか?」
「どうですかね。落ち込んだ時なんかは励まされていいのかも」
「なるほど……」
エメル殿下は納得したような、していないような。微妙な表情のままコーヒーカップに手を伸ばした。
「でも私の知る限り、当時魔導具なんて、一般家庭には普及されていませんでしたけどね」
「そうなのか?君の時代では、魔導具は誰しもが手にする代物ではなかったのか?」
「えぇ。魔法使いが少なかったですし、そもそも魔導具なんて高価すぎて、一般家庭では買えませんよ」
歌ってくれるスポンジは皆の憧れ。けれど実際に買うとなると少々ハードルが高いからと、多くの人々は泣く泣く諦めたものだ。
「だからみんな自分で歌いながら、食器を洗ったものです」
そう伝えるとエメル殿下はどことなく残念そうな表情を浮かべた。
「もしかしてエメル殿下は、歌うスポンジでお皿洗いをしたい願望がおありなんですか?」
私の素朴な問いかけ。それに対しエメル殿下は思わずといった感じで笑みを浮かべた。
「確かに歌うスポンジに興味はある。しかしそれは、遺物として興味があるだけだ。それよりも今では当たり前にどの家庭にも存在するであろう魔導具が買えない世界だったと知り、人々の暮らしは今よりずっと大変だったのだろうなと、そう思っただけだ」
「でも私たちは、高濃度エーテル結晶体が生活必需品の中に組み込まれるのが常識になった世界を知らなかった。だから食器を洗うのも、掃除するのも、全部自分でやる事が当たり前だと思っていたので」
エメル殿下が感じる大変さほど辛いとは、思っていなかった可能性がある。
「それにしてもたった百五十年で吸い込む掃除機に、自動化された洗濯機とやらに食洗機。それら便利な魔導具が開発されるだなんてすごいですよね」
私だって、それなりに自分の住んでいる世界の百五十年後を想像したことがある。けれど実際となった百五十年後の世界は、私の想像を遥かに超えた、もはや異次元と呼べる世界だと思う。
「我ら人間は今も昔も、最速スピードでエーテルを魔導具に取り込む研究をすすめているからな」
「確かにそうみたいですね」
「ただそれができているのは、君たち……あなた達がその時代に考えうる最適な方法でこの世界を救ってくれたからだ。それで、何をいまさらと思われるかも知れないが」
エメル殿下はギュツと膝においた拳を握りしめた。それから覚悟を決めたように、こちらにしっかりと顔を向けてきた。
「数々のご無礼をお許しください。私は君……いえ、世界を救った英雄に名を連ねる賢人のお一人。ティアリス様に大変失礼な態度を取り、誠に申し訳ございませんでした」
エメル殿下は私にしっかりと頭を下げた。
その様子を眺めながら、私は自分のこの先について慌てて思考を巡らせる。
今まで散々私を遺品狙いの泥棒だと疑っていたエメル殿下に、一言文句を言いたい気もする。とはいえ、本当にここが私が活躍していた世界の百五十年後だとしたら、すでに知り合いもおらず、孤独な状況だといえる。
さらに言えば、住み心地抜群だった封印の塔からも追い出されてしまったという、非常にピンチな状況だ。
ともかくここがどこであろうと、生きている以上生活基盤を築く必要がある。しかし私が得意なのは、魔法を使うことと、魔物を討伐すること。
残念ながらそのどちらも今となっては、時代遅れだと言わざるを得ない。
となると、多少ムカつく気持ちを抱えつつも、ここはこの時代における権力者のごきげん取りに、シフト変更するのもアリかも知れない。
いやむしろ、相手がこちらに罪の意識を感じている今こそ、そうすべきだろう。
「エメル殿下、誰だって百五十年前の人間が生きて現れるだなんて、そんなホラー満載な状況を目の当たりにしたら、その人物を疑いたくもなります。ですからどうぞ今回のあれこれはお気になさらずに」
私はニコリと、慈悲深くを意識して微笑む。
「ゆ、許していただけるのは有り難いし、光栄ですが」
「私などへの敬語もおやめください。私は世界を救った英雄の一員ですけれど、今はただの、百五十年ぶりに復活した魔法使いですから」
「な、なるほど」
「それでご相談なんですけど、もしよかったら遺跡泥棒の件が晴れましたので、何かお仕事を斡旋してもらえませんか?できればその、世界を救うレベルじゃない程度。比較的簡単なお仕事がいいんですけど……」
私の申し出にエメル殿下はホッとした表情を浮かべたのち、小さくため息をつく。そして再びコーヒーカップを手にしたあと口を開いた。
「ティアリス様のお望み通りに。私にできる事があれば、喜んでご協力させて頂きます」
やけにしおらしい顔をしたエメル殿下の言葉を受け、私はしてやったりと悪い笑みを浮かべたのであった。