042 影と光の境界線
「いい、今日からあなたの部屋はここよ」
ニナ様はピシリと天井を指差す。
ドブネスミ以下とニナ様に罵倒された私は、どうやらこれからネズミが好む屋根裏に住む事になるようだ。
「ニナ、そこは屋根裏よ。部屋じゃないわ」
フローラ様が的確な指摘を飛ばしてきた。
「うるさいわね。お姉様も一緒に閉じ込めてやろうかしら」
ニナ様は自分の姉に対してもここぞとばかり怒りを吐き出した。
男爵夫妻、執事のアーチ様、ハウスキーパーとこの屋敷で重要な人たちが不在の今、もはや暴徒化した彼女を止める者はいない。
「はやくはしごを下ろして頂戴」
泣きそうな顔をしたジュディが開閉棒を天井にあるフックにかける。すると天井に四角い穴が空き、昇降式の梯子が上からゆっくりと降りてきた。梯子が伸びる音とともに、屋根裏へと続く暗い穴が開かれる。
ジュディが折りたたまれた梯子に、取り付けられた留め具を解いていく。
「わかっていると思うけど、あなた一人が登るのよ」
「……はい」
私はニナ様の神経をこれ以上逆撫でしないよう、しおらしい顔で返事をする。
口を開けた瞬間、先程ニナ様にぶたれた際、自分の歯で切ったらしい頬の内側から血が滲みだしてきた。
そのせいで、なんだかとても惨めな気持ちになる。
「せいぜい屋根裏で私に助けて下さいと、骨になるまで懇願するといいわ」
意地悪な笑みを浮かべ言い放つニナ様。
「この子が許されるのは、排泄と食事と二日に一回の湯浴みのみ。それ以外でこの子と接した者が発覚したらクビだから。それと、裏切り者を私に報告した人には報奨金を出してあげる。お金が欲しかったらお互いを監視することね」
怒りが頂点に達しているらしいニナ様は、私の仲間であるメイド達までもを巻き込んだ。
「さすがにそれはやり過ぎよ。アーチだってこんな酷いこと、許すわけないわ」
フローラ様が私を気遣ってくれる。けれどアーチ様は現在ぎっくり腰で不在だ。
案の定、メイド仲間の一人が耳打ちすると、フローラ様は思い出したかのように、ハッとした表情になる。
「よ、用意できました」
しょんぼりとした声と顔のジュディが、梯子がしっかりと下ろされた事を伝える。
「早く登りなさいよ」
ニナ様は顎で屋根裏へと続く頼りなさげな階段を示す。私は言われた通り、梯子に足をかけゆっくりと上に登っていく。
屋根裏に頭を出すと、そこには独特の匂いが漂っていた。古い木材や埃の匂いが立ち込め、湿気やカビのような生臭さも感じられる。
正直過ごしやすいとは言い難く、私は一気に気持ちが萎えた。
それでも下に降りる事は許されそうもないので、私は屋根裏に這い上がる。そして、四つん這いのまま、四角に空いた穴から下を覗き込む。
「あんたなんか、今すぐ死ねばいいのに」
ニナ様は憎悪の籠もる視線をぶつけてきた。
これはもう、しばらくここで大人しくしているしかないようだ。
「はやく梯子をしまって頂戴。降りてこられないよう、外側からしっかりと鍵をかけておくのよ」
ニナ様の言葉に一礼するジュディ。降ろしたばかりの梯子を手で握り、徐々に上げ始める。梯子は静かに滑り出し、屋根裏部屋の天井の一部に吸い込まれるようにして格納されていく。
梯子を上げるジュディが私を見つめる目からは気遣う気持ちが見て取れる。けれど、いつになく本気で怒る様子のニナ様を前に、その気持ちが言葉として私に掛けられることは一切なかった。
そしてついに、屋根裏から居住空間へと続く扉が閉じられてしまったのであった。
「最悪魔法を使えばエーテル管理局が来るし。つまり私はそこまで悲観する状況じゃないってこと」
私は自分で自分を励ましながら、四つん這いの状態から立ち上がり、中腰になる。
「さてと」
私は新しい住まいである屋根裏を探索してみる事にした。
天窓にかけられたカーテンを透かし、うっすらと夕焼けが差し込んでいる。まずは天窓がついていた事に感謝だ。カーテンがつけられているので、日差しが強すぎて困る事もないだろう。後はあの天窓が開閉式タイプで換気ができれば文句なしだが、ここからは残念ながら確認できない。
天窓を確認しようと中腰のまま歩きだすと、床板がギシリと鳴った。古い板にはところどころ穴が開いているし、木製の梁なんて今にも落ちてきそうだ。
三角屋根のつなぎ目となる、一番高さがある部分は辛うじて腰を伸ばして立つ事ができた。
部屋の片隅には、古めかしい箱や、布がかけられた家具が置かれている。その周りには、ほこりや蜘蛛の巣が張り巡らされ、年月の経過を感じさせる光景が広がっていた。
時折、外から聞こえる風の音や小さな鳥のさえずりが、屋根裏部屋の不気味な静寂を、さらに増幅させる。
今のところネズミがカサカサ動く音はしない。けれどいると思って行動しておいた方が良さそうだ。そもそもネズミにとって、屋根裏は最高の住処のはずだから。
むしろ彼らからしたら、私の方が不審者だろうし。
「あ、ラッキー」
天窓に近づいた私は、外に押しだして開くタイプの窓になっていることを確認し、即座に窓を開ける。ギギギと音を立て開いた窓につっかえ棒をはめ込み閉じないようにしておく。
窓から見える帝都を赤く照らす夕焼けが綺麗だ。街の喧騒が遠くに聞こえ、部屋に入り込む外からの空気は穏やかで心地よい。
「今日からまた引きこもり生活か」
前回塔に一人で籠った時よりも明らかに気が重いのは、自らの選択でこの場にいるわけじゃないからだろう。
「私はそんなに恨まれるような事をしたのかな」
確かに自分の好きな人が、他の女の人と仲良くするのは悔しいことなのかも知れない。けれど同じ状況になったとして、私なら、正々堂々と戦うような気がする。
「やだな、やり返したくてたまらないや」
クラリス様の言葉を信じ、仕返しはしないと決めて、ここまでなんとか我慢を貫いてきた。
けれど、ニナ様はやり過ぎだ。
「どうしたらいいんだろう」
私は一人呟き、アーチ様のぎっくり腰が早く治りますようにと、夕焼けに祈ったのであった。
※※※
屋根裏に幽閉され、五日目。
私はかなりこの状況に危機感を感じていた。
今、何より一番きついのは、自分の好きなタイミングでお手洗いに行けないことだ。
最初の数日は、食事の時以外もメイド仲間達が時間を決めて、梯子を下ろしにきてくれた。
けれど日が経つことに、みんなが梯子を下ろしてくれる回数が減った。その事を不審に思っていると、ずいぶん遅い時間に食事を届けにきたジュディが理由を教えてくれた。
「ごめんね。ニナ様がやたら用事を私達に言いつけてくるの。だからなかなか来られなくて」
申し訳なさそうな表情で告げられ、私は自分のせいで余計な仕事と罪悪感を植え付けてしまっている事に心が痛む。
「大丈夫だよ、我慢できるし」
ニコリと微笑み、大したことないとジュディにアピールする。
「フローラ様も心配して色々動いてるから、だからもう少し我慢してね」
「ありがとう」
「気にしないで。頑張ってね」
私を見つめるジュディは今にも泣きそうだ。
「ほら、早く行って。遅いと叱られちゃうから」
私はたまらず、ジュディを急かす。すると彼女は後ろ髪引かれるような表情のまま、渋々と言った感じで梯子を降りて行った。
「これは、思ってたよりキツイかも」
冷めた食事が乗ったトレイを持ち、中腰で天窓の下まで歩く。
どうやらニナ様は、私を閉じ込めるだけでは許せず、遠隔で嫌がらせをするつもりらしい。
「はぁ、思ってたより長期戦になるかもな」
覚悟を決め、食事を取ろうとして気付く。
トレイの上にあるのは、冷めたパンと野菜カスが数個だけ浮いたスープだ。
昨日までのちゃんとした食事とは明らかに違う。
配膳された時間も、今日は遅かった。
これはどう見たって、私を困らせようとするニナ様の指示だろう。
「あのお嬢様は、随分と腐った根性をしてやがりますわね」
自分を励ますように、おどけながら食事に手をつけようとして私はふと躊躇する。
「食べるの怖いな」
流石に毒入りだとは思わないけれど、何か細工された可能性はある。それに食べたらお手洗いに行きたくなるかも知れない。
それに加え、この調子だと今日はもう誰も私の元に来てくれないかも知れない。
「一食抜いても大丈夫。動かないからお腹も空かないし」
自分に嘘をつき、天窓から空を見上げる。それから暇つぶしとばかり、星の数を数える事に集中し、私は不安な気持ちをかき消したのであった。
そして、案の定といった感じ。
この日を境に状況は悪化する。
食事は日に一度となり、お風呂は三日に一回だと言いつけられた。
ニナ様によって不自然に外部との接触も絶たれていく中、次にいつ、お手洗いに行けるかどうかわからない。そのプレッシャーは自分が思うよりもずっと、精神的に辛いことだった。
「塔の方がずっと快適だなんて、思っても見なかったな」
私は粗相する事を恐れ、食事も水分も怖くて、なかなか手をつけられなくなってきた。すると今度は、見る間に気力が失われてきた。
気力が失われると、私の心は落ちていくばかり。
「なんで私はこんな目に遭わなきゃいけないの?」
ふとした瞬間自分の口から漏れたその言葉が、頭にこびりついて離れなくなった。
そんな私は天窓の下の壁にもたれ、ニナ様を懲らしめる方法を思案しはじめる。
「魔法が使えたら、簡単に痛い目に合わせられるんだけど。あとはデミアン君と仲良くするとか、殿下と夜会でイチャイチャするとか。でも、もっと社会的に懲らしめないと……」
脳裏でニナ様に仕返しをする方法をあれこれ考える。
魔法を使いたい。でもそれはこの時代を生きると決めたならば、使ってはいけない。
なぜなら、今はもう魔法は管理されるものだから。
それに魔法を使ったら、私の身元引受人であるエメル殿下にも迷惑をかけてしまうことになる。
助けてもらった恩人に、恩を仇で返す言葉したくない。
なにより。
「やり返す事をしたら、ニナ様になっちゃう。私はあんな風にはなりたくないもん」
私はクラリス様のように、復讐を考える暇があったら、自らを成長させる方に力を注ぐような生き方をしたい。
自分を励まし、何とか堪える。
それから私は、天窓から差し込む長く伸びた月の影。その細くなった先を見つめた。
大部分が暗く染まる部屋の中、そこだけまるで切り取ったかのように、明るく照らされている。
「私は黒い影に飲み込まれたりしない」
言い聞かせれば、聞かせるほど、余計頭に「なんで私がこんな目に」という言葉がこびりつく。
多分私はいま、最後の気力を振り絞って、正気を保っている気がする。
『我慢せず魔法を使えばいい。魔物に比べたら、あんな女を殺すのなんて簡単なことなのだから。
だって私は悪くない。悪いのは全部あの女。
そもそもあの女は嫌われ者なんだから、この世から消えたって誰も悲しまないに決まってる』
悪魔の囁き声がどんどん近づいてくる。
真夜中に近づき、部屋に差し込む月明かりが減るたびに、部屋を覆う闇に飲み込まれそうになる。
そして壊れる寸前の私の心は、片手に握る屋根裏の天窓を支える木の棒に、つい魔力を込めてしまいそうになる。
「たすけて」
私は木の棒を投げ捨てる。
すると投げ捨てた木の棒はカランと音を立て、闇の中に消えていく。
どんどん私の中の影と光の境目がなくなっていく。
「もうやだ、たすけて」
流す涙も枯れ果てた。
私は膝を抱え、僅かに勝る自分の中の光を、正しい気持ちを守ろうと、ただひたすら背中を丸めるのであった。




