039 世の中は甘くない
現在私はショーン様とデミアン君が同一人物という衝撃の事実を受け入れ、二人用の小さなダイニングテーブルにデミアン君と向かい合っている。
手元にはデミアン君が用意してくれた、どこか懐かしさを覚える、琥珀色のカップが用意されている。注がれているのは、匂いからペパーミントティーだろう。
スーッと鼻に抜ける清涼感溢れるペパーミントティーを前に、私は眉間に皺を寄せていた。
「どうしてすぐ教えてくれなかったの?」
ふわふわと立ち昇る湯気の向こう。ダイニングの椅子に座るデミアン君に恨めしい視線を送る。
「真理とは自ら学び、自ら答えを見出すものだと思うからです」
穏やかな表情で私を見つめるデミアン君。
とても真面目な彼らしい答えだ。しかし今は、そういう哲学ぶった解答が欲しいわけじゃない。
そっちがその気ならと、私はデミアン君が発した言葉の真理を導きだし伝える。
「要約すると、私がデミアン君だと見抜くまで、からかって楽しんでいたってことでしょ?」
「まぁ、ぶっちゃけそうですね。それに僕は突然辞めてしまったティアリス様に対し、ずっと罪悪感を感じていた。それなのにあなたは僕のことなんて思い出しもしない日々を送っていたようだから」
「うっ」
鋭いところを突かれ、返す言葉も見つからない。
確かに私は自分の事で精一杯だった。
だから正直、彼のことをすっかり忘れていた。
ショーン様を見て、デミアン君がすぐに思い浮かばなかったのは、明らかにそのせいだ。
「ご、ごめんなさい」
「いいですよ。僕が勝手に罪悪感を感じていただけだし、仕返しは充分すぎるほど出来たので、お気になさらず」
そう言って微笑むデミアン君の目は全く笑っておらず、それが逆に怖い。
私は思わず視線を逸らしペパーミントティーに口をつけた。
「おいしい」
正直、二日に渡る飲酒により胃のムカムカが限界を迎えており、何も食べたくないし飲みたくない。けれど、思い切って口をつけたペパーミントティーは意外にも悪くなかった。スーッとする成分のおかげか、気持ち悪さを中和しているような気がする。
「ペパーミントの持つ優れた効能として、消化促進を促し胃腸の調子を整える働きがあるんです。だから二日酔いの時はオススメですよ」
「なるほど、覚えておきます……」
私はもう一口ペパーミントティーを飲んだ。
「それと、消臭のはたらきもあるので酒臭さを緩和してくれますしね」
「ぐふっ」
ペパーミントティーが気管に入り、私は盛大にむせた。
そんな私を見てデミアン君がケラケラと楽しそうに笑う。そんな彼をやっぱり意地悪だと思いながら、私は涙目で自分の体の匂いを嗅ぐ。
すると、私の身体からはどこか神秘的で深い甘さのあるサンダルウッドの香りがした。間違いない、これはショーン様のつけていた香水の匂いだ。
私の身体にショーン様の香りが移っている。その事が示す意味は……。
「え、まさか私とデミアン君は男女の関係に」
私は反射的に自分の身を両手で包む。
「もしそうだったら、僕と付き合ってくれます?」
デミアン君は突然ショーン様の皮を被り、大人ぶった表情を私に向ける。
「え、でも昨日は誰のものでもない。そんなふうに言っていたよね?」
私は矛盾を即座に指摘する。
「あれはショーンであって、僕じゃないから」
「ま、まさか二重人格なの?」
驚きと共に発した私の言葉に、デミアン君は大笑いする。
「そういう短絡的なところ。嫌いじゃないですよ」
ニコリと微笑まれ、つい顔が火照る。
やっぱりデミアン君はショーン様だ。
一歩間違えれば愛の告白にも聞こえる言葉をいとも簡単に口にする。顔色一つそんなことが出来るのは、デミアン君が普段から女性にそう言うことを告げているからだ。
魔性の男、ショーン様ことデミアン君。
帝国中の女性にとって彼は天敵で間違いない。
「でも残念。流石の僕も尊敬するエメル殿下を敵に回したくはないですから。昨日はティアリス様を紳士的に介抱し、一晩の寝床をお貸ししただけです」
ニコニコしながら、デミアン君はカップに入ったペパーミントティーに口をつける。
エメル殿下を敵に回すという下りの真意はともかくとして。
「何もなかったってこと?」
「そうです。でもティアリス様はお酒をもう飲むのは控えた方がいいですよ。案外ちょろかったから」
デミアン君はカップをテーブルに置くと、余裕の表情を私に向ける。
私は自分の行動を振り返り、ぐうの音も出ない状況だ。
お酒に飲み込まれた汚れた身体を浄化をしようと、ハーブティーを一口飲み、ふと気づく。
「あ、この事はニナ様にも、エメル殿下にも秘密にしてもらえると、私のクビが繋がると言うか、何というか。もちろんデミアン君には関係ないとは思うんだけど、その……色々と事情があって」
昨日ショーン様と化したデミアン君に散々「僕にはメリットがない」と言われた事もあり、はっきりお願いしにくい。
けれどこれは何よりも重要なこと。回りくどい言い方になりつつも私はデミアン君に再度お願いしておいた。
「エメル殿下に言わないで欲しいと願う気持ちはわかるけど、なんでそこまでニナに言うなとしつこいのかがイマイチわからないんですよねぇ」
その理由は至極簡単。職場となる屋敷の執事のクビと身の安全を守るためだ。
けれど流石にそれを告げるわけにはいかない。
屋敷でのあれこれを漏らしたら即刻解雇されてしまうから。
「ニナ様はデミアン君がというか、ショーン様が好きだからですよ」
「それは知ってます。しかも彼女は独占欲が強いから。僕の部屋にティアリス様を泊めた事を知ったら、まぁ怒り狂ってあなたに八つ当たりをするでしょうね」
「そこまでわかってるなら……」
言わないよねと念を込めた視線をおくる。
「なんですっぱり辞めないんですか?メイドの仕事なんて辞めて、研究所で一緒に働きましょうよ」
とても魅力的なお誘いだ。けれど私は、自立すると啖呵を切って殿下の元を飛び出した。よって戻るという選択肢はない。
「実のところ、今の職を手にしたのも幸運が重なって運良くって感じなの。そもそも今の世の中、就職するのに大事なのは学歴もしくは手に職。魔法の知識があって、古代語が読めたとしても、どこも雇ってくれないんだから」
私は不動産会社と職業案内所でのやりとりを脳裏に浮かべ、デミアン君に甘くない世界の真実を伝える。
「なるほど、だったらなおさらティアリス様は研究所に戻るべきだ」
エメル殿下と私の深い事情を知らないデミアンは譲らないのであった。




