037 意地悪なショーン様
なぜかまた、足を運ぶことになってしまったクラブ・レベンディス。
向かい側の席ではシャローゼ様が、すでに二本目のシャンパンを開けている。
「はじめてきたけれど、とても楽しい。アラン君のあざとかわいいに、乾杯!」
浮かれたシャローゼ様が、グラスを掲げる。
「姫様、ほんとにありがとうございます。はじめてシャンパンを下ろしてもらいました。たぶん今日のことは一生忘れません。よ、よいしょ」
「「かーわーいーい!!」」
合いの手といった感じて、盛り上げる男性陣。
「可愛いねぇ。よしよし」
いいこいいこと、アラン君の頭を撫でるシャローゼ様。
彼女は落ちた。もうだめだ。
「はい、姫。シャンパンだよ」
スッと私の目の前に、諸悪の根源が置かれた。
正直、悪でしかないと思う。しかし、テーブルに置かれたシャンパンは、薄くピンクに色付き、照明に反射した気泡がキラキラと輝いて綺麗だ。
けれど、騙されるな私。
これは呪いの飲み物だ。
今日も今日とて、部屋に入りきれないくらいの男性に囲まれ、お祭り騒ぎを経験したし、そのせいで喉だって乾いている。
だけど絶対に飲んではだめ。人生が詰む気がするから。
私は向かい側に座り、完全に淑女の皮を脱ぎすてたシャローゼ様の前に置かれた、ピンクのキラキラしいボトルに、恨めしい視線を送る。
「はい、乾杯しよ」
隣に座るショーン様がニコリと微笑み、私にグラスを持たせる。
「かんぱ……いえ、私は水で」
危なかった。うっかりまたグビグビ行く所だった。流石に昨日と同じ失態をするわけにはいかない。人間は学び、学習することの出来る生物なのだから。
私は飲んでたまるかと、シャンパングラスを慌ててテーブルに置いた。
「昨日はあんなに美味しそうに飲んでたのに」
「あ、あれは久々で色々あって、勢いで」
「でもステアと楽しそうだった。少し妬けちゃったな」
ショーン様は貝殻ソファーの背もたれの淵に長い腕を伸ばし、さりげなく私と距離を近づけたのち、拗ねた顔で私を見つめてきた。
スッと通る高い鼻筋に、理想的な角度でクィッと上がる口角。深みのある緑色の瞳は吸い込まれそうなくらい綺麗な色。前髪にサラリとかかるふわふわとした黒髪は天井のシャンデリアの光を反射してキラキラと光っている。
ショーン様は先程からずっと私を見て穏やかな微笑みを浮かべている。けれど、どうしてだかその笑みの裏には深い哀愁が隠れているようにも感じられる。
そういう不思議な雰囲気に飲み込まれ、ついうっかり彼に流されそうになってしまう自分がいる。
けれど私は騙されない。目の前の人物はこの場所にだけ存在するまやかしを纏う人。そして夢中になったが最後、着包み剥がされ、路頭に迷うことになるのだ。
ここに来る前、シャローゼ様にホストクラブについてレクチャーされたので、今日の私は昨日より賢い。
ここはホストクラブであって、大人の女性が密やかなる恋愛を純粋に楽しむ場所ではない。
私はその事を知っている。だから靡かないし、騙されない。
いくら見目麗しい人に密着されていたとしても。
「近いんですけど。明らかに紳士淑女に許される距離じゃないですよね?」
私はいつの間にか膝が触れる位置にいたショーン様を咎める。
「僕が知る限り、二日連続で顔を合わせた紳士淑女の距離感は、これで正しいはずなんだけどな」
ショーン様はニッコリと微笑む。
「君が僕を拒否するのって、やっぱ防御力がすこぶる高そうなその服のせいかな」
「防御力が高そう?」
私は顔を下に向け、自分の服を確認する。
今日私が着ているのは、以前シャローゼ様に連れて行ってもらった百貨店で、エメル殿下のお金で買った、黒いワンピースだ。
確かに昨日と比べるとお洒落ではないし、ミニ丈でもない。けれど、生地の厚さはそう変わらないはずだ。
「念の為に言っておくけど、生地の厚さの話じゃなくて、デザインの話しね?」
ショーン様はそこで自分のためにグラスに注いだシャンパンに口をつける。
大きく突き出た男性らしい喉仏が動き、シャンパンを美味しそうにゴクゴクと飲み込む音が響く。彼は唇をグラスから離すと、「おいし」と漏らし、満足そうな笑みを浮かべた。
そんな姿を見ていると、つい私も自分のグラスに手が伸びそうになる。
「そうだな、たとえばこの詰まった白い襟ぐりとか見てると」
ショーン様が私のワンピースの襟に手を伸ばし、勝手に触れてきた。
私はその手を咄嗟に体を逸らした。しかし貝殻ソファーの肘掛けに私の背中が当たり、もうこれ以上背後に逃げ場がない事を悟る。
「なんか、頑張って殻にこもってるって感じ。そんなに気を張って生きてて、疲れない?」
ショーン様は組んだ足の上に頬杖をつき、空いた方の手で、私の襟の縁をなぞる。
「勝手に決めつけないでください」
私はパシッとショーン様の手を払う。
「ほら、その敬語とかもそう。使われる方は距離を感じちゃうんだよなぁ。こっちにくるな、あっちにいけって、そう遠回しに言われているみたいなんだよね」
グラスに手を伸ばしながら、ショーン様は勝手にわたしを分析する。
確かに今私はわざと敬語を使っている。なぜなら目の前で私に張り付き、美味しそうにシャンパンをあおる男性は、ニナ様のお気に入りだからだ。
もし今この瞬間の、この状況がニナ様にバレたら私は殺される……とまでいかなくとも、今よりもっと屋敷で嫌がらせをされるに違いない。
今だって限界ギリギリ。何とか彼女への怒りを飲み込んでいるのに、これ以上何か嫌なことをされたら、倍返しどころじゃ済まないくらい、本能のまま彼女に仕返しをするかも知れない。
だけどそれは、私の目指すところではない。
「あ、そうだ」
ニナ様の事を思い出した私は、ついでに大事な事を思い出し、ショーン様に体を向ける。
「あの、今日のことはニナ様に内緒でお願いします」
「やだ」
「え?」
私は固まる。
「ニナに何を伝えるか。それは僕の自由だ。君に指図される筋合いはないよ」
ショーン様は言い切ると、これ見よがしにグラスに口をつける。
「で、でも」
私は困る。大変困るのだ。
「そ、そうだ。あなたの恋人、ニナ様も悲しみます。他の女の子と楽しく飲んでるなんて知ったら嫌だと思うし」
「僕はニナと付き合ってないけど」
確かにそうだった。ここはホストクラブ。女性がお金を払い、男性とお話をする場所だった。
でもまてよ。
「昨日あなたはニナ様と恋人みたいな距離感でお酒を飲んでたじゃないですか」
うっかり騙されるところだった。なんならショーン様はニナ様の頭にキスをしていたではないか。
あれはどう見たって付き合っている。
「ティアリス様の価値観って、百五十年前で止まってる。まるでおばあちゃんって感じ」
私はピンポイントで百五十年という言葉が飛び出しドキリとする。ついでに、出会って二日目。まだそんなに会話を交わしていないショーン様の口から「おばあちゃん」と飛び出した事にもショックを受ける。
それなりに現代に馴染んできたと思っていたので、たった今、彼から受けた傷はわりと私の心をえぐっている。
「ほら見て。君のお友達だって楽しそうだよ。でもあの二人は今日会ったばかり。付き合ってないよね?」
ショーン様に言われた通り、向かい側の二人に視線を向ける。するとシャローゼ様はアダム君の肩を抱き込んでいた。
「え、逆じゃない?」
思わず指摘してしまう。
「ほらそういうとこも。君は無意識で女性はか弱い存在であって、男性が守るべき。そんな風に思っているから、あの二人を逆だと思う」
ショーン様は向かい側の二人を見つめながら続ける。
「でも今はあれだってありだ。金持ちの女性が金を求める男性を支える。需要と供給が合ってるわけで、僕にはごくごく自然な光景に見えるけどね」
きっぱり告げられ、私は言い返せない。
でも百五十年前、私の良く知る時代の男女関係の優位は、男性が女性を守るのが常識だったし、そもそも女性がお金を払って男性を買う。言い方は悪いけれど、そういう社会システムは存在していなかったように思う。
けれど時代が変われば常識も変わる。その言葉が身に沁みた私は、悔しいけれど何も言い返せない。
しかし、今私に立ち塞がる問題はそこではない。
「つまり、ニナ様とショーン様もそういう関係って事ですか?」
「そうだね。僕は誰のものにもならないよ」
「でもお金をあなたに払うニナ様が、嫌だと感じる事はしないほうがいいと思います。だって愛想を尽かれて、他の人に行くかも知れませんよ?」
だから今日の事は言うなと、案に伝える。
「んー。どうだろ。彼女みたいな負けず嫌いなタイプは、ヤキモチを妬かせた方が、より執着してお金を落とすと思うけどな」
「うっ……確かに」
今の意見に異論はない。
むしろ絶対そうなるという確信すらもてる。
「そんなに言って欲しくないの?」
「そりゃ、まぁ」
「じゃ、昨日みたいに飲んでよ。はい、どうぞ」
ショーン様は私の手にシャンパングラスを持たせる。
二日酔いがだいぶマシになったとは言え、今日飲んだら、昨日より早く酔いがまわりそうな気がする。
「これを飲んだら、秘密にしてくれるんですか?」
私の真剣な問いにショーン様は、ニコリと微笑む。
「確約してください」
「正直君は僕の姫にはならないだろうし、だったら今日の事をニナに伝えて煽った方が、僕の得にはなりそうなんだけど。どうしょっかなぁー」
ショーン様はシャンパンをチビチビ飲みながら、私にからかうような視線をよこす。
「でもま、君が今日僕に付き合ってくれたら、わりと真面目に言わない方向で考えてもいいよ」
「言わない方向じゃなくて、ちゃんと約束して下さい」
私は確約をもらおうと、ショーン様をじっと見つめる。
「君は意外とわからず屋なんだね」
ショーン様は溜息を吐くと、シャンパングラスをテーブルに置く。そして私の方に身を乗り出した。ありえないくらい近くにショーン様の顔が迫る。
「ち、ちかい、近い」
「そもそもこの取引きは僕に何のメリットもない。だからこうしよう。君がそのシャンパンを飲まなければ僕はニナに話す。けれど君がもし飲んだら、君の要求をどうするか考える。一か八かの取引きだ。君はどうする?」
ショーン様の吐いた息から、ふわりとリンゴや洋梨のような爽やかな果実の香りが漂う。
なんだか状況が悪化している気がする。
けれど、ニナ様に今日のことを知らされるのだけは勘弁だ。それに流石にショーン様もそこまで悪い人じゃないと信じたい。
「あーっもう!!」
背に腹は変えられぬと、私はシャンパングラスに手を伸ばす。
そして掴んだそれを勢いのまま傾け、グイッと一気に飲み干した。
あぁ、悔しいけれどやっぱりおいしい。
私は退化した人間だ。
もうそれでいい。
私は呪いのシャンパンと、意地悪なショーン様に敗北したのであった。




