033 クラブ・レベンディス
階段を降りきった先にあったのは、重厚な扉。
ドアの横にある金のプレートには「クラブ・レベンディス」と黒文字で書かれている。
「さぁ、いくわよ」
威勢のいい号令のわりに、ニナ様は扉を開ける前に一度大きく深呼吸をする。それから意を決したように顔をあげると、優雅な仕草でついに扉に手をかけた。
すると重厚だった扉はいとも簡単に開く。
そしてむっとしたムスクの香りが店内から外に抜け出してきた。
「おかえりなさいませ、姫様」
扉が開いた瞬間、内部から男性の声が迎えた。そしてすぐに、高級感漂う深紺のスーツに身を包む紳士的な男性が現れた。
「ただいま、ウィリアムス。今日はショーンが見たいって言ってたから、新しい侍女を連れてきたのよ」
ニナ様が背後に控える私を、長身の男性に紹介した。
どうやら今日私がここに呼ばれたのは、ニナ様の意志ではなく、彼女の恋人だというショーンという人物からの要望あっての事のようだ。
「なるほど。どうりではじめましての方だと思いました。私はクラブ・レベンディスのマネージャーを任されている、ウィリアムスと申します。素敵な姫様におかれましては以後お見知りおきを」
扉を開けてくれたウィリアムさんは、左手を胸に当てると、恭しく私に軽く頭を下げた。
「姫ではなく、メイドのティアリスと申します。こちらこそよろしくお願いいたします」
私はスカートの脇を持って挨拶を返す。すると元々短いスカート丈が更に短くなり、私は慌ててスカートから手を放した。
いくら見せてもいいお洒落パンツを履いているといっても、積極的に晒すのは違う気がするし、できれば誰にも見られたくはない。
「もう、あなたはいつも一言多いんだから。さ、ウィリアム様、いつもの席に案内して頂戴」
いつものぷりぷりは鳴りを潜め、ワントーン高めの猫撫で声で、エマ様が私を注意する。
正直不気味だし、気持ちが悪い。
「かしこまりました」
微笑みを浮かべたウィリアムス様は一礼をし、ドアを押さえたまま私達を中へと促す。
「ありがとう」
ニナ様はウィリアム様に微笑み返し、私を引き連れてクラブの内部に入っていく。
中に入ると、大理石の床が敷かれた豪華なロビーが広がっていた。壁には、エレガントなタペストリーやモザイクが飾られ、ライトの光が反射してキラキラと輝いている。
「姫様、二名のご来店です」
入り口に立っていた男性が大きな声で店内に私達の来訪を伝えた。
「「「姫様、おかえりなさいませ」」」
あちこちから男性の声があがった。
初めてきた場所なのに「おかえりなさい」とはおかしな話だ。けれど、どうやらニナ様は何度もこの場所を訪れているようなので、たぶんニナ様に向けられた言葉なのだろう。
「ご案内いたします。姫様、どうぞ足元にお気をつけ下さい」
ウィリアム様とは別の、入り口にいた男性を先頭に私達は店内の奥へとすすむ。
どうやらここでは、女性のことを「姫様」と呼ばなければ殺されてしまうような、そんなルールがあるのかも知れない。私はいちいち訂正するのも面倒なので、言われるがまま後をついていくことにした。
クラブ内部には、広々としたバーカウンターがあり、そこには高級なお酒やカクテルが並んでいた。バーカウンターの上には、光り輝くボトルやグラスが並び、まるで宝石のような輝きを放っている。
私は少し圧倒されながらも、反対側を確認する。
意外にも広い店内は落ち着いた色合いの家具やソファが配置されており、お洒落をした女の子達がくつろぎながら男性との交流を楽しんでいるようだ。壁にはアート作品や絵画が飾られ、芸術的な雰囲気も漂っている。
全体的にクラブ・レベンディスの内装は贅沢で洗練された雰囲気が漂い、訪れる人たちに特別感を感じさせるひとときを提供しているように感じた。
「そっか」
一通り店内の確認を済ませた私は、ピンときた。
ニナ様の性格は終わっているが、腐っても結婚適齢期の男爵令嬢だ。よって、世間体を気にするニナ様は、恋人であるショーンという男性と逢い引きするのに、こうして秘密の紳士クラブのような場所を利用しているのだろう。
現に店内には、女性と男性が仲睦まじく会話を楽しむ様子があちこちで見られる。
あれらはみな、許されぬ恋に落ちた人たちに違いない。
昔は紳士クラブと言えば、貴族男性の社交場で、女性厳禁だった。けれど時代が変われば常識も変わる。今は地位ある女性が秘密の逢い引きをするために、こういう場所を利用するのが当たり前になっているのかも知れない。
私は人知れず納得する。
「どうぞ、こちらへ」
店内をエスコートしてくれていた男性が、一番奥の一際ゴージャスな扉を開く。
「うわぁ」
思わず感嘆の声を漏らす私。
重厚な扉の向こう側にあったのは、天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアが怪しい光を放ちながら部屋全体をぼんやりと照らしている空間だ。
貝殻のような形をした背もたれのソファーが二対。ローテーブルをはさみ向かい合って置かれている。壁の一部には大きな鏡が貼られ、部屋の広さをより感じさせていた。
「ここはVIPルームになります」
案内係らしき男性はそう告げると、ニナ様がソファーに座るのを確認し、まるで主に支える騎士のようにテーブルの脇に片膝をついた。
「お飲みもののご注文は、いかがなさいますか?」
「ショーンが来てから頼むわ」
「かしこまりました。こちらの姫にはどなたをお付けいたしますか?」
室内の壁に飾られていた花の香りをくんくん嗅いでいた私に、男性の視線が向けられた。
「ショーンと私の時間を邪魔しない、空気の読めるおとなしめの子をつけて頂戴」
「かしこまりました」
案内係の男性は、部屋の入口で一礼すると優雅な動きで部屋を後にした。
「ティア、そっちのソファーに座って」
普段は私を「あんた」呼ばわりするニナ様が私の名を、しかも親しい友人である証拠となる愛称「ティア」と口にした。
私は驚き、固まる。するとニナ様がいつもどおりキリリと私を睨む。普段と変わらぬ憎悪のこもる視線を受けた私は、まるでメデューサによって石化されていた体が溶け出すように、自由な動きを取り戻す。
「失礼します」
指示されたとおり、ニナ様の向かいに腰を下ろす。
するとすぐに、ゴージャスな扉がノックされた。
「お待たせ」
新たに別の男性が部屋に入ってきた。その男性を目にした瞬間、私は思わず「あっ」と声をあげてしまう。
なぜなら、そこにいたのは、ニナ様が恋人だと言っていたナンバーワンの肩出し男性。
ショーン様だったからだ。
「え……なんで」
今は肩を出していないショーン様は、なぜか私を見て固まっている。
「ショーン、その子があなたが会いたいって言ってた子。私の侍女のティアリスよ。ほら早く座って」
猫撫で声でニナ様が、自分の隣をポンポンと軽く叩く。
その声にハッと我に返った様子で、ショーン様は部屋の扉をしめた。
「例の生意気な子って。なるほど、確かに生意気そうだし、逃げ足も早そうだ」
ショーン様はニナ様の隣に座りながら、私を見てくすりと意地悪な笑みを漏らす。
会って数秒。私はいくら見た目が良くても、この人だけは好きになれそうもない。
密かにそう確信したのであった。




