026 はじめての一人暮らし
「これは、君がかつて受け取るべきはずだった報奨金だ。君の成功を祈っている」
エメル殿下から、屋敷を後にする私に一枚の小切手が渡された。そこに記載された額はとんでもないもので、私は一躍お金持ちになってしまう。
その瞬間、私は今までの人生が報われた気がして、心が少し軽くなった。
自分でも現金なものだと思う。
けれどお金は大事だ。
「銀行の使い方などは」
「お給料を引き出す時に使っているので、大丈夫です」
「そうか」
「荷物は、後でまとめて取りにきます」
「うむ」
「今までお世話になりました。では」
私はさくっと頭を下げ、殿下に背を向け屋敷を後にした。
何となく、最後にもう一度くらい、トンデモ理論で引き止められるかなと思っていたけれど、意外とあっさり。
こちらが肩透かしを食らうぐらい、エメル殿下は私を簡単に手放してくれた。
散々お世話になっておいて、後味の悪い別れ方になってしまった事に罪悪感を覚えつつ。
「これは私の人生だから」
自分に言い聞かせ、私は新たな一歩を踏み出したのであった。
※※※
エメル殿下の庇護下から抜け出した私は、とりあえず家を探す事からはじめた。
そんな私の片手に握られているのは一冊の本。
『はじめての一人暮らしを迎える全ての人に贈る、失敗しない十のこと』
こう見えて私は今まで与えられるものを享受し、なにもしていなかった訳じゃない。
自立に向け、着々と知識を蓄えていたのである。
「確か家探しは不動産業者に頼むんだよね」
商業地区にそれらしきお店があることは、チェック済み。
「ちょろい、ちょろい」
足取りも軽く、目的の場所に向かったのだが。
「え、こんなに高いんですか?」
私は驚きで固まる。
オススメですと出されたいくつかの間取り図。
その中で良さげな物をチョイスし、現地に赴き実際にいくつか部屋を見せてもらった。その中で、一番清潔そうで日当たりの良い部屋に決めたまでは良かった。
なんなら、どんな家具を置こうかと、夢が膨らみ、楽しい気分になっていたまである。
しかし店に戻り、店員さんが示す入居にかかる金額を見て、私は早くも一人暮らしの洗礼を受けている。
「敷金、礼金で合わせて二か月ぶん。それからすぐに入居となると、日割り計算分のお家賃。こちらには管理費、共益費がすでに含まれております。あとは前家賃一か月分も先払いで頂いております。そして保険料に仲介手数料と鍵交換など諸々の費用を込みまして、こちらの価格になります」
もはや途中から、頷くだけの人形と化してしまう私。
昔はもっとシンプルで、大家さんに家賃を手渡しで支払うだけで良かったと記憶している。
何より元々の家賃が高すぎるような。
「つかぬ事をお伺いしますが、帝都の家賃の相場って、このくらいの金額なんですか?」
ゼロが沢山並ぶ、大きな数列を指差す。
「帝都は我が国の首都。よって人が多いですからね。このくらいの家賃はむしろ安いほうかと」
「でも、これを毎月支払うんですよね」
「そうなります」
「もう少し帝都から離れた部屋はどんな感じですか?」
たぶんオススメされるがままに、選んだエリアが悪かったに違いない。私はそんな期待を込め、たずねてみた。
「アルカディア城から少し離れた東地区。ミラー川の向こう。この辺りは若干家賃もお安くなっております。ですが、お嬢様のような若い女性の方には治安の面でオススメできません」
親切な店員さんは、私の身を心配してくれた。以前ならば、自分の身は自分で守ると言い切れた。しかしここでは魔法が禁止されている。
使ったら最後、エーテル管理局と名乗る青いローブの怖い人達が駆けつけてくるから。
全く世知辛い世の中だ。
「それと、契約の際には連帯保証人が必要です」
「え、保証人ですか?」
そんなのこの本には書いてなかったような。
まさか情報が古い本だったのだろうか。
私はバックの中に入れた本の背表紙を恨めしい思いで見つめる。
私の保証人なんて頼める人は殿下くらいだ。けれど、殿下の庇護を受けたくない。そう思って屋敷を飛び出した手前、いまさら頼みづらい。
ぶっちゃけ、提示された金額を支払うお金はある。けれど先立つ収入源がない状態で高価な契約は不安でしかない。天涯孤独である私にとって、お金は大事。減ってくばかりの貯金通帳を眺めるのは、これからの人生を考えると、精神的な負担が大きすぎるというもの。
しばし悩んだ末、私は思い切ってたずねた。
「あのう、つかぬ事をお伺いしますが、この辺に住み込みで働けるような場所ってありますか?」
私はプランBに計画を変更したのであった。
※※※
結局私は、不動産会社で住み心地の良い部屋を紹介してもらう事を諦めた。
半日ほど付き合わせてしまった不動産会社の店員さんには、何だか無駄足を踏ませてしまったようで、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。けれど店員さんは、嫌な顔一つせず、私の問いに答えてくれた。
今はその情報を元に、プランBを発動したところだ。
あちこちに花が活けられ、大きなシャンデリアで照らされた空間。
ここは、先程お世話になった店員さんにオススメされた宿屋、その名もエメラルドホテルである。場所も名前も教えてもらった通りなので、たぶん安全で清潔な宿屋で間違いない。
「と、とりあえず一泊で」
カウンターに並ぶ人達がみな、お洒落な格好をし、気品漂う雰囲気を醸し出している。そのせいで場違いな気持ちになり、これ以上ないくらい気まずい気分になりつつも、私は何とか本日の宿泊場所を確保した。
これまた一泊の料金が恐ろしく高くて驚いたが、朝食付きということで妥協した。
何よりもう疲れたし、精神が擦り切れかかっている。
「何かございましたら、そちらの内線でお気軽にお呼びたて下さい」
部屋まで案内してくれた男性が、笑顔のまま扉を閉め、ようやく私は一人になる。
「はぁ、何にも決まらなかった……」
私はとりあえず大きなベッドにゴロリと横になる。
「一人で生きていくって、大変なんだな」
疲労感いっぱいで呟く。
「そんなの当たり前に知っていることだと思っていたのに」
家族を知らない私の人生は、これまでも一人でなんとか切り開いてきたと思っていた。
けれど今こうして路頭に迷いかけ、自分の人生を振り返ってみると、年齢と共に段階を追い、その都度誰かに助けられていた事に気付く。
孤児院の先生達もそうだし、ギルドのみんなもそう。それから顔見知りになった冒険者達に、最後までともに旅した仲間たち。そして塔の中では、先人達の知恵を拝借して。
「結局のところ、私は誰かに支えられて生きてこられたということか」
思わず殿下の顔が浮かぶ。この世界で頼れるのは、悔しいけれど彼しかいない。正直あのまま、殿下から提案された恋人ごっこを承諾していた方が楽だったような気がする。
「だめだめ。あの人は私を人と思ってないから」
つい楽な方に流れそうになる自分に活を入れる。
ゴロリと寝そべり目を閉じる。それから不動産会社の店員さんとのやりとりを再度思い出す。
『住み込みですか……。何か特別な資格をお持ちですか?』
『ま、魔法関連の知識があることと、古代語がわかるくらいしか……』
『ならば、古代魔法研究所なんかぴったりだと思いますけど。あ、でも採用試験は冬季に一回あるのみだったような……』
店員さんは気まずそうな表情になり、ぽりぽりと頭をかく。
その様子を眺めながら私は内心、結局そこに行き着くのかと、どんよりとした気分全開で肩を落とす。
『特に自慢出来るような資格がないと、就職って難しいんですかね』
ダメ元で尋ねると、店員さんはしばし唸ったのち。
『残念ながら。けれど、探せば何もないってことはないと思います。あ、職業紹介所という政府の機関がありますので、そこに行ってみれば仕事を紹介してもらえるかも知れません』
うつらうつらしながら、明日は勧められた職業紹介所へ行こうと改めて思う。
「とになくなんでもいいから住み込みの仕事を探さなきゃ……」
一人決意を口にし、ごろりと寝返りを打ったのであった。




