023 臨時職員が増えました
この時代に腰を落ち着けてから滞在日数ナンバーワン。今日も私は古代魔法研究所内にある、エメル殿下の執務室にいた。
けれど今日は殿下と二人きりではない。
「僕を推薦して頂き、こ、こ、こ、こ、光栄です!!」
緊張がマックスを超えると、人は変な汗をかきはじめ、青ざめるようだ。
それはまるで、空腹に耐えきれずカビの生えたパンを食べ、食あたりを起こし、熱を出した時のように。
私は目の前の青年。デミアン様を見て呑気な感想を抱いていた。
「君が毎回授業後に提出してくれる感想や質問。そのどれもに考古学への熱意を感じた」
大きな執務机に肘をつきながら、エメル殿下はデミアン青年に笑顔を向ける。
「あ、ありがとうございます。過去を知ることに意味を見出さない者が増えておりますが、僕はそうは思いません。過去は未来に通じている。だから歴史と向き合い、その経験と知恵を学び、活かしてこそ、よりよい未来が創り出せる。僕はそう思います」
緊張しながらもデミアン青年は殿下の目を見据え、自分の信念を語る。
「私も君と全く同じ意見だ。君はなかなか見込みがあるよ、デミアン君」
「あ、ありがとうございます!誠心誠意、学ばせていただきますっ!」
殿下に褒められ、デミアン青年は耳を真っ赤にして恐縮していた。
「こちらは私の助手、ティアリス嬢だ。わからない事があれば、彼女に遠慮なくたずねなさい」
執務机の脇に立つ私を、エメル殿下がデミアン青年に紹介する。
「テ、ティアリス!なんと素晴らしい名前なんだ!」
デミアン青年は私の名を知り、大興奮した様子だ。
正直悪い気はしない。
「デミアン様。よろしくお願いします」
私は笑顔で頭を下げる。
するとデミアン青年の緊張にこわばっていた顔が、途端にほころぶ。
「僕はデミアン・ロトナスと申します。あなたと共に働けるだなんて光栄です」
ぬっと差し出された、握手を求める彼の手を私は握った。すると両手でしっかりと握り返され。ぶんぶんと大きく手を揺さぶられた。
わりと手が痛いし、握手ってこんな感じ?と疑問も湧いたが、とりあえず悪い人ではなさそうなので、我慢した。
「もしかしてご両親は、歴史に詳しいお方なのですか?」
手をぎゅっと握られたまま、質問を投げかけられる。
「錬金術に長けてはいたそうですけど、そこまで歴史に興味があったかどうかは」
実際のところ、物心つくまえに亡くなっていたのでわからない。
「ご両親の職業が錬金術師?今もですか?」
デミアン青年は、握っていた手をパッと放した。それから今メガネをくいっとあげ、興味津々といった表情をこちらに向けた。
この雰囲気から察するに、もしかしてこの時代、錬金術を名乗る職業は失われたか、もしくは別の名前になっているのかもしれない。
「えーとそれは」
「彼女の両親は錬金術の研究者だったらしい。残念ながら今は他界されてしまったようだがな」
エメル殿下がこれ以上喋らせない。そんな勢いで私の言葉に被せつつ、それっぽく脚色した事実を口にした。
「他界……。それは大変失礼しました。しかし、錬金術を研究された方々のお嬢様の名前がティアリス様だなんて。偶然とは言え、まるで本物のティアリス様のようですね」
何気なく放たれた真実に、私は思わずエメル殿下と視線を交わす。
「そういった偶然は、この業界ではよくある事だ。そうだ、ティアリス嬢。早速だが、デミアン君に施設内を案内してあげたらどうだろうか」
「え、私がですか?」
それは無理ってものかと。
何故なら屋敷から殿下と仲良く出勤のち、これまた一緒に執務室にこもりきりで業務。それを毎日繰り返しているのが、何を隠そう私なんですけど。
「君以外、誰がいるんだ?」
どうやらエメル殿下は常日頃、私をこの部屋に閉じ込めているという自覚がないようだ。
かくいう私も引きこもる生活には慣れているので、不自由を感じていなかった。
それがこんな所で仇となるとは。
「研究所を案内していただけるのですか?嬉しいです」
こちらの事情を知らないデミアン青年は、すでに目を輝かせており、だいぶ乗り気だ。
「古代魔法研究所内をぐるりと案内したのち、仕事開始だ。君は地図が読めるだろ?」
ほらこれでと、私はエメル殿下にしっかりと見取り図らしきものを渡された。
地図を読めないわけではないけれど、どちらかというと苦手なほうだ。
ただ野生で備わる方向感覚は「動物並みにすごい」と拳闘士のウィルマーに褒められた事がある。
「ティアリス様?」
早く行きたそうに、うずうずが隠しきれていないデミアン青年。
「では、行きましょうか」
いい機会だからと覚悟を決め、私は殿下の執務室をあとにしたのであった。
※※※
私が私だとバレたらどうしよう。
あいつは誰だと後ろ指をさされたらどうしよう。
そんな不安は、しただけ無駄だった。
なぜなら私が封印の塔より甦りしティアリスだと知る者はごく一部の人間で、魔法研究所に勤める人間は人より遺物、もしくは過去の文献に興味津々な人ばかりだったからだ。
「羨ましいな」
一通り研究所内を歩き終え、職員用の中庭に出た時、隣を歩くデミアン青年がボソリと漏らした。
「何が羨ましいんですか?」
「素晴らしい環境で研究できて」
デミアン青年は、物憂げな表情で空を見上げた。
「確かにここは静かだし、他の人との関わりも最低限。だから何かに打ち込むには、とても良い環境であることは間違いないですね」
現に私は施設内で、なにか嫌なことに遭遇した事はない。むしろ、古代語で書かれた文献の翻訳に勤しみすぎて、もう少し現代の人間とコミュニケーションを取りたい。そう感じるほどだ。
「もちろん、そういった意味でもここは最高です。でも……愚痴言っていいですか?」
デミアン青年はそう言って、空に向けていた視線を私に向けた。
「愚痴ですか?別にかまわないですけど」
私ごときがデミアン青年の悩みを解決できるとは思えなかったけれど、言うだけ言ってスッキリするならと、了承する。
「僕は孤児なんです。だから自分の人生は自分で切り開いていく必要がある。そのために勉強を必死に頑張り、アルカディア帝都大学に入学できました。でも入学してみると、真面目に勉強に励む人間を馬鹿にするようなやつばかり。しかもそいつらはたいてい貴族や権力者の子で、努力せずとも未来は明るい。所詮人間の価値は生まれで決まるのかと、そんな風に考えるようになってしまって……」
私は相槌も打たず、黙って彼の話に耳を傾ける。
「でもエメル殿下に声をかけてもらいチャンスを頂き、努力はいつか報われるものだと実感できたんです。そしたら今度はそういう尊敬できる方の下で働く事ができる、研究所の皆様が羨ましいなんて、嫉妬する気持ちになっちゃって……あぁ嫌だな。こんなくだらない事をティアリス様に聞いてもらっている自分が情けないです。すみませんでした。忘れて下さい」
デミアン青年は恥ずかしくなったのか、自虐的な乾いた笑いを漏らした。
「くだらない事をおっしゃっているとは、思いません」
私は立ち止まり、デミアン青年を見上げる。
「確かに生まれで決まる。そんな事はないとは言い切れません。でも生まれが全てを決めるわけでもないと思います。現に私だって孤児だし、友人も少ないし、恋人もいない。ひとりぼっちに近い寂しい人生を、今まさに送っています」
改めて口にして、なんだか余計切なくなってきた。
しかしくじけている場合ではない。
目の前に未来を悲観した、迷える子羊がいるのだ。
しかも彼はそんじょそこらにいるお貴族様のぼんくら息子より、期待値大の青年だ。
帝国の未来のためにも、優秀な彼を必ずや救わなくてはならない。
「つまり何が言いたいかというと、皇族に生まれ、人々が羨む何でも持っている殿下から、私は古代語の解読を任されています。だから私は、自分が無価値だとは思わない。私を必要としてくれる人が一人でもいたら、私には価値がある。そんなふうに自分の価値は自分で決めてもいいんじゃないでしょうか?」
ついトゲのある言い方をしてしまったが、これが今の私の正直な気持ちだ。
大丈夫、泣いてない?と、私はうつむくデミアン青年の顔を覗き込む。
「ティアリス様は強い、ですね」
「そうですか?」
「ええ、とても強い。でも僕もいつかそんな風に考えることができる強みを身につけたい」
デミアン青年が吹っ切れたように微笑んだ。
「やった、帝国の未来を救った」
私は思わず拳をグッと握る。
「え?」
「なんでもないです。私みたいな小娘が生意気な事を言ってすみません」
小娘と言ってみたものの、私の本当の年齢は百七十三歳だった。
なんだか二重で恥ずかしい気持ちになる。
「いえ、僕の悩みを払拭してくれる言葉でした。あなたは本当に、賢人ティアリス様のようだ」
デミアン青年は私に尊敬の混じる眼差しを向けた。
久々に、それこそ百五十年ぶりに感じる、他者からの敬意の念。それはとても心地よく、私はいつまでも感謝してくれてていいのよと、念じ返す。
「あっ、殿下をおまたせしちゃってますね。早く戻らないと」
そう口にすると、デミアン青年はスタスタと歩きだした。
変わり身の速さ。それもまた時代のせいだろうか。
それに。
「賢人ティアリス様のようだ、じゃなくて。その人なんだけどなぁ」
私は一人不貞腐れた気持ちになる。
でもまぁ、少しでも励ませたなら良かった。
すぐに思い直した私は足取り軽く、デミアン青年のあとを追ったのであった。




