020 アルカディア帝都大学
現在私はアルカディア帝国の秀才が集う、その名もアルカディア帝都大学にいる。
もちろん私が秀才だからではない。
種明かしをすると、エメル殿下が夏休みに開催される特別講座として、封印の塔についての講義を大学から頼まれたから。私はそんなエメル殿下のアシスタントとして、大学に同行しているという訳だ。
エメル殿下が教授になる期間は一ヶ月。最初は柄にもなく「俺の講義を聞きに来る生徒なんているのか?」などと弱気な発言をし、わりと緊張気味だった。
しかし今や驚くべき事に、夏休みにもかかわらず、講義室は満員御礼状態。
歴史学科に所属する生徒以外も、講義を聴講しにくるほどになっている。
「封印の塔がへブリッジに突如出現したこと。それはあの場所が昔から、不純正のない高濃度エーテル結晶体が多く発掘されている事と関係がある。そう我々は考えている」
「殿下、証拠はあるんですか?」
まるで刑事事件の犯人のような質問をする生徒に、エメル殿下は苦笑いする。
一番前の列に置かれた机の端を陣取る私から、エメル殿下の表情は丸見えだ。
「当内部から発見された、およそ三百年前に記された文献にも、へブリッジについて記載されているのが確認出来た。よって、あの地が何かしら歴史的に重要な場所である事は間違いないだろう」
流石遺物オタクのエメル殿下だ。
堂々と、怪しむ生徒の質問に答えている。
「でも、大気中のエーテル濃度が濃かったら、氾濫したりしないんですか?」
「そうだよな。あの地は確かに高濃度エーテル結晶体の貴重な産地ではあるけど、そのせいで何度も氾濫の被害にあってるもんな」
「そもそも封印の塔だって、第一次エーテル災厄の際に消失されたって習ったし」
自分と年齢の変わらない生徒たちから飛び出す活発な意見に、私は興味深く耳を傾ける。
「あの場所は現在エーテル管理局によって、管理されているから心配ない。現に第二次エーテル災厄の後、一度も氾濫は起こっていないだろう?」
「確かに」
エメル殿下の言葉に、納得したようにうなずく生徒たち。
私の知る時代において、大気中を漂うエーテルが分裂連鎖反応を起こし何かを消滅させる。つまりエーテル災厄と呼ばれる事件は一度もなかったように記憶している。
それに先程生徒が発言していた通り、私の居住場所となっていた封印の塔は、今から百二十年前ほど前に、へブリッジで起きた第一次エーテル災厄の際に、消失したとされている。
だとすると、一体私はどこに飛ばされていたのか。
そしてどこかに飛ばされた事により、時間の流れがおかしくなっていたのか。
実に謎は深まるばかりだ。
そんな風に、私が思考を巡らせていると。
「先生、あの塔から女の子が運び出されたって噂は本当なのですか?」
実にドキリとする質問を女子生徒が投げかけた。
「あっ、その噂なら私も聞いたわ。女の遺跡泥棒がいたんでしょ?」
「え、私は浮浪者の女の子が住み着いていたって聞いたけど」
散々な言われようである。けれど、誰一人として運び出された人間が百五十年前にこの世界を救うため、塔に囚われの身となったティアリスだと疑っていない。
その事実にホッと胸をなでおろす。
「国家機密レベルS級だものね」
それがどれくらいすごい秘密レベルなのかはわからない。けれど、未だ正解を引き当てたのはシャローゼ様のみという事実。
しかし彼女は、兄であるローラット様の会話を盗み聞きしたというズルをしたので、ノーカンだ。
つまりS級と名のつく情報は冗談抜きで、機密情報の中でもトップレベルのものに違いない。
「すまないな。塔内部に関する細かい質問には、答えられない」
エメル殿下は毅然とした態度で、女子生徒の質問を跳ねのけた。
「なんで答えられないのですか?」
「隠すのが逆に怪しいです」
「殿下がその子を囲ってるから、だから言えないんですか?」
最後の質問が飛んできた瞬間。
エメル殿下の表情が一瞬凍りつく。
「なんで殿下が囲うのよ」
「そんなのわかんないけど、殿下のタイプだったんじゃないの?」
「バカ、一度消失した塔内部から出てきた女なんて、研究対象でしかないだろ」
「この世界の人間じゃないかも知れないしな」
生徒たちは本人がここにいるとも知らず、言いたい放題だ。
そもそも誰も私の名を出さない所を見ると、やはりこの世界ではすでに私達を含む、大勢の人間が命をかけて高濃度エーテル結晶体に立ち向かったこと。そしてその物質ごと封印の塔に幽閉された者がいたこと。
そんな事実は、とうの昔に忘れ去られた歴史なのかも知れない。
「時間は無情なものね……」
私がつい哲学的な事を口走っていると。
「帝国暦七百六十九年。当時この世界の各地に散らばっていた高濃度エーテル結晶体。それらを賢人ティアリス様が塔内部に、自分を残すことでそれらを封印したとされている。つまり君たちが口にする噂が本当であれば、塔から救出された人間がいる。しかもそれが女性だとすれば、その正体は賢人ティアリス様である可能性が高いと考えるのが妥当じゃないか」
エメル殿下を彷彿させる物言いで、一人の青年が淡々と自らの見解を口にした。
しかもその内容は、寸分たがわず大正解。
「それに悪いが君たちの質問はレベルが低すぎる。ここは勉強をしに来るところだろう?折角、我が国が誇る古代魔法研究所副局長であるエメル殿下が講義をしてくださっているんだ。もっと時間を有意義につかうべきじゃないのか?」
ピシャリと一喝する青年。
確かに言っていることは至極正しい。
「でもあんな言い方したら」
みんなの反感を買うだろうなと思っていると。
「でたよ、ガリ勉野郎が」
「楽しく講義を聞いて何が悪いのよ」
「デミアンは古代魔法研究所に就職したいから、ああやって媚を売るのに必死なんだろ」
「コネも持たない、頭がいいだけの庶民は必死だな」
心無いヤジが教室内を飛び始めた。
「そこまでだ。流石に大勢で一人の人間を攻撃するのはよろしくないな。それに正しい事を主張するにも、伝え方があると俺は思うぞ」
喧嘩両成敗。エメル殿下は両方の悪い所を指摘して、うまくこの場をおさめた。
「では、封印の塔に話を戻すとしよう」
エメル殿下がよく通る声で告げる。すると、講義室に流れはじめていた、だらけた空気が一気に引き締まる。
「どうにも君たちの興味をひくようだから伝えておくが、仮に塔の中に女性がいたとする。その場合の考察として信憑性が一番高いのはデミアン、やはり君の意見だろう」
「では、まさか本当にティアリス様がいたのですか!?」
興奮気味に大きな声をあげるデミアン青年。
「早まるな。塔の中には誰もいなかった」
エメル殿下は、きっぱりと嘘をついた。
まぁ、この場合致し方がない嘘だろう。
「なんせ、国家機密レベルS級だもんね」
私はボソリとつぶやく。
「では、賢人ティアリス様が自らごと塔に、高濃度エーテル結晶体を封印したとされているという歴史は、事実ではなかったということでしょうか?」
エメル殿下の嘘により露呈した歴史の矛盾点。
そこをしっかりとデミアン青年はつつく。
「残されていたのは、彼女がそこで暮らしていたであろう痕跡だけだ」
流石エメル殿下。まるでこうなることを予測していたかのような返しだ。これはうまいこと逃げ切ったと言えるかもしれない。
「では、ティアリス様と思われる亡骸は、塔内部で発見されたのですか?」
「いや、それは……」
口ごもるエメル殿下と視線があった。
「こっちを見てる場合じゃないし」
私に助け舟を求められても困る。
「とにかくだ。まだ塔は調査中なため、もしかしたら今後、ティアリス様についても新たな発見があるかも知れない。っと、今日はここまで。興味がある人は来週も参加してくれるとありがたい。では授業内容の感想や質問を、最初に配った紙に簡単でいいから記入し、彼女に提出してくれると有り難い。では」
エメル殿下はそう言うと、そそくさと教室を後にした。
残された私は殿下の代わりに教壇に立ち、生徒たちが持ってきてくれた授業の感想が書かれた紙を受け取る。
「流石エメル殿下ですね。今日の授業も楽しかったです」
デミアン青年から、感心の声が漏れる。
「あなたの考察、私もすごくドキドキしたわ」
色んな意味で。と心で付け加えつつ、笑顔でデミアン青年から用紙を受け取る。
「そうですか?気づかない方がおかしいんです。僕たちの今があるのは、英雄達が命をかけてこの世界を救ってくれたからなのに」
デミアン青年は口を尖らせた。
その瞬間、私はデミアン青年が好きになった。
勿論恋愛的な意味ではなく、人間的な意味で。
「来週も殿下の授業を楽しみにしていてね」
「はい、ありがとうございます」
デミアン青年は、笑顔で教室をあとにした。
「はい、これ感想用紙です」
デミアン青年を笑顔で見送る私の視界に、ぬっと出された紙が映り込む。
「はやく受け取ってください」
少し棘ある声で言われ、私は目の前の人物を確認する。
白地に青い小花柄。今流行りだというミニ丈のワンピースを着た女子生徒が、ぬっと私に紙を差し出す。
「ありがとう」
紙を受け取りながら、あのくらい可愛いワンピースならば、ミニ丈にも挑戦してもいいかなと、ついスカートから覗く膝小僧に視線を移した瞬間。
「……いたっ」
掴んだ紙が抜き取られるのと同時に、指先にピリリとした痛みが走る。
「あ、ごめんなさい。名前書き忘れちゃった」
女子生徒は、先程私に差し出した紙をしっかりと胸に抱えていた。
「もしかして、私が勢いよく紙を抜き取ったから怪我されました?」
言われて初めて、私は自分が痛みを覚えた原因に気づく。
「この程度、大丈夫です」
指先を確認すると、私の指先にぷっくりと血の球が浮いていた。でもまぁ、これは許容範囲だ。
「ならよかった。私のせいじゃないって事ですよね?」
女子生徒は悪びれる様子もなく私に告げる。
彼女の洋服に気をそらしていた私も悪いから、謝れと強制はできない。けれどもう少し違う態度ができるような。
「ニナ、何してるのよ。早く行かないと。エメル殿下とお喋りする時間がなくなっちゃうよ」
遠くから、他の女子生徒の声が聞こえた。
「ごめーん、今いく」
ニナと呼ばれた女子生徒は、くるりと踵を返すと軽やかにスカートの裾を揺らしながら教室を出ていってしまった。
「一体今のは何だったの?」
私は人差し指にふぅっと息を吹きかけながら、なんともすっきりしない気持ちで傷口を眺めたのであった。




