たくらみ
「甲斐、今回のノルマはどうなんだ?」
「はい、もう少しで何とか。」
ここは不動産会社のとある一室。上司に呼び出され叱責を浴びていた。
「いつもいつもそんな調子でいたら、わかっているな。」
「はい、今回は必ずノルマを達成します。」
一礼をして部屋を出る。
「甲斐さん、またお目玉ですか?気にしないでください。あの人はいつもあぁなんですから。」
「あぁ、ありがと。でも今回は頑張るよ。このままでいたら後輩のお前にも頭が上がらなくなる。」
「そんなことないですよ。私に仕事を教えてくれたの甲斐さんなんだから。」
「そんなお前が業績トップなんだから余計だよ。先輩の意地を見させてくれ。」
自分のデスクに戻り顧客名簿を眺める。ほとんどの人には声掛けをしたが良い返事をもらえなかった。
「いくら何でも飛び込みで今回のノルマをこなせるレベルではないんだよなぁ。」
そこに先ほどの上司が資料をデスクに投げ捨てた。
「これっ、今度都市開発されるという噂の近隣に建つ物件だ。チャンスは自分でつかみ取れ。」
資料を眺め
「ありがとうございます。必ず契約とってきます。」
私は甲斐杉太。この丸モケ不動産に勤めて15年が経つ身。入社当初はそこそこの成績を上げていたのだが、いつの間にか後輩にどんどん抜かされていき、今ではうだつが上がらなくなっていた。家には家族が待っているし転職もうかつに出来るものではない。上司もそれはわかっていてくれているし、過去の私の成績も知っている。だから余計に期待しているのかもしれない。その期待に応えたいのだがどうも縁に恵まれない。
「とりあえず情報収集だな。」
そういうと上司にもらった資料をカバンに入れ
「外回り行ってきます。」
と、外回りに出たは良いがどこに行けばよいのか。近場のカフェで資料を眺めながら考えていた。
「あっ、すいません。」
急にぶつかってコーヒーをぶちまける男の人。
「大丈夫ですか?」
「こちらこそコーヒーかかりませんでしたか?」
見るからに貧相な男である。
「はい、大丈夫ですよ。」
「すいません、よそ見をしていたもので。」
その男は資料に目をやると
「それって今度都市開発の予定の場所ですよね。」
いきなりの言葉でびっくりしたが
「はい、ここの物件の購入者を探しているところでして。もしかしてご希望ですか?」
「いえ、購入しそうな人を知ってまして。もしよろしければ紹介しましょうか?」
「えっ、本当ですか?とても嬉しいです。ぜひ教えてください。」
「大金って人なんですが、あまりお金に執着がないのですが結構持っている方なんです。私もその方にもう少し欲があればって思っていて何かないかなぁって考えていたところなんです。」
「大金さん、ですね。」
「はい、そこのビルのIT関連の社長さんなんですけどぜひ声かけてみては?」
「ありがとうございます。早速行ってみます。」
資料をそそくさとカバンに入れて席を立つ甲斐。その男に一礼をするとそのビルに向かって走って行った。
「まずは第一段階。せいぜい頑張ってください。」
不適の笑みを浮かべる男。そう貧川である。
「さてと、これからどんどん不幸にしていってやるか。」
ビルに向かう甲斐を眺めながら、眼の奥が不気味に光る。
「ここかぁ。」
オフィスの前に立ち止まる甲斐。しばらくガラス越しに中の様子を伺う。ビルの下でこの会社のことを調べ大体のことは把握している。大金の顔もきちんと載っていたので覚えた。ただどう切り出すかである。いきなり不動産の話をしても怪しまれるだけである。
「あっ、さっきの人を出しに使うのはどうだろう。」
そう思ったが名前を聞くのを忘れた。
「焦っていたなぁ、せめて名前だけでも聞いておけば切り出し易かったのになぁ。」
後悔しても仕方がない。今までの経験を元に突破口を開こう。一通り社員の顔を覚えてからオフィスを後にした。
「昼飯誰か行かない?」
「俺はパス、帰りに何かコンビニで買ってきて。」
「木村さんはまたコンビニですか。他は?」
「私、今日は弁当。」
「私もです。」
「なんだ、付き合い悪いな~。社長はどうです?」
「仕方がない、付き合うか。」
「さすが社長、ついでにお会計もよろしくです。」
「柴ちゃんに奢ると高くつくんですよ。今日はほどほどに。」
「このお腹はただ膨れているだけですよ。大食いなんて誰が言っているのですか?」
「いやいや、みんな知ってますよ。柴田さんが良く食べることなんて。少なくとも私のお弁当なんて一口でなくなりますよ。」
「よく言うねぇ、こずえちゃん。最近、俺の扱いわかって来たのかなぁ。」
「柴田さんは食べもの与えていたら大人しくなるからねぇ。」
「順子さん、それは言い過ぎですよ。」
「やっぱり柴ちゃんは愛されキャラですね。」
「何みんな俺の腹見てるんだよ。」
笑い声が響き渡るオフィス。
「さっ、行きましょ。柴ちゃん。」
オフィスを出ていく二人。それを陰からじっと見ている甲斐。
「よし、良い展開だ。」
二人の後をそっとついて行く。
「社長、どこ行きましょ。今の時間何処も混んでいると思いますが。」
「そうですね、柴ちゃんに合わせてがっつり系で行くかぁ。いつもの定食屋にしよう。」
「わかっていらっしゃる。行きましょ。」
「いらっしゃ~い。二名様でよろしいですか?」
「はい。」
「こちらの席でお願いします。」
四人掛けのテーブル席に案内された。やはりこの時間は混んでいてほぼ満席状態。
「ついてましたね、並ばなくて良かった。」
「日頃の行いかな。」
「いやぁ~それほどでも~。」
そこでも笑顔が生まれる。
「やっぱり柴ちゃんはうちのムードメーカですよ。これからもよろしくお願いしますね。」
「私は何もしていないのですけどねぇ」
それぞれ天ぷら定食を頼みしばらく待っていると
「すいません、相席よろしいですか?」
そこには一人で定食屋に来たサラリーマンが立っていた。
「はい、どうぞ。今の時間どこも混んでますからね。」
柴田が大金の横に席を移りサラリーマンに席を空けた。
「すいません、助かりました。並んでいないところを探していたので。」
「ついているのですよ、日頃の行いが良いから。」
不思議そうな顔を浮かべるサラリーマン。サラリーマンはカツ定食を頼んでいた。
「お昼休みですか?」
サラリーマンが話しかけてきた。
「えぇ、近くなんでこちらに。」
「そうなんですねぇ、私は外回りの途中でちょうどお腹が空いてきたもので。
あっ、すいません。私は甲斐と言います。不動産関係の仕事をしている者です。」
「私たちは近くのオフィスで働いている者です。ちなみに私は大金、そしてこちらが部下の柴田です。」
「そうなんですね。ここら辺はあまり詳しくなくて。飛び込みで営業していたんのですがなかなか良い返事がもらえなくて。」
「営業ですかぁ、大変ですね。私も会社を立ち上げた当初はいろいろ回りましたねぇ。よく罵声なんかも浴びせられましたよ。」
「えぇ、門前払いなんて当たり前ですからね。会社を立ち上げたってことは社長さんですか?」
「はい、小さい会社ですけどね。」
「何言っているのですか、もうすぐ上場しても良い感じになった会社ですよ。十分大きいですよ。」
柴田が自慢する。
「えっ、そんな方だったのですね。失礼しました。失礼を承知なんですが不動産に興味ないでしょうか。今度都市開発される場所に建てられるマンションなんですがとてもお手軽で資産価値もこれからどんどん上がっていくと思われるところなんですが。」
「さすがに上手いですねぇ、すぐに営業モードになるところが。でも残念ながら不動産にはそれほど興味がなくて、というより資産に対してそれほど意識したことがないもので、すいません。」
「そうですよね、大体の方はそう言うのですよね。本当に営業は嫌になります。」
お互いに料理が来たのでそこで会話は途切れる。
「ところでお二人は家庭はお持ちなんですよね。」
「いえ、残念ながら二人とも独り身です。良い人がいれば良いのですが。甲斐さんは結婚されているのですね。」
と甲斐の左手の薬指を見て言う。
「えぇ、娘が一人います。いつもないがしろにされてますよ家庭では。」
「いえ、羨ましいですよ。きちんと家庭を養っているのですから。私なんて家事なんてまるで出来ずにいつも家事代行サービスに任せていますからねぇ。こんなんで奥さんなんてもらったら負担掛けてばかりですよ。」
「家事代行なんて逆にすごいですよ。さすが社長さんだ。私には到底できないですね。それに私も家事なんて出来ませんよ。妻に任せきりで悪態つかれています。」
「二人とも俺にとっては羨ましい限りですよ。俺なんていつもコンビニ弁当か外食ですからねぇ。」
「柴ちゃんはそのままが受けるからそれで良いのでは?」
「ひどいなぁ、社長は。」
「あっ、失礼しました、初めに名刺でしたね。営業マン失格だなぁ、名刺交換しないなんて。」
甲斐が名刺を出して大金達と交換する。
「もしマンションとか必要でしたら気軽に連絡してください。良い物件探しますから。」
「ありがとうございます。」
「それでは私はまだ外回りに行かなくてはいけないので。」
甲斐はカバンを持ち軽く会釈をして席を立った。
「営業の人って大変ですよねぇ。あれっ忘れ物かなぁ。」
茶封筒が椅子の上に乗っていた。柴田が中を見ると都市開発についてのパンフレットが入っていた。
「あぁ、これがさっき言っていた都市開発のマンションなんですねぇ。これも営業の手なのかもしれませんね。」
「上手いねぇ、私が預かっておくよ。この調子だとまた会えそうですね甲斐さんに。」
名刺を眺めながらニヤリとした。
「いやぁごちそうさまでした。」
「もっと食べると思ったよ、もう良いの?」
「大丈夫です、これ以上食べると眠くなって今いますから。」
オフィスに向かいながら話す二人。
「おかえり~。」
「ただいま。」
オフィスに着くとまだみんな休憩中で各々談笑していた。
「柴田さん定食二つ食いしてきたの?」
「なんだい順子さんまで、そこまで大食いではないよ。」
柴田は腹を叩きながら返す。
「はい、木村さん弁当。」
帰り際にコンビニで買って来た弁当を木村に渡し
「おっ、ありがとう。さて食うか。」
「なんだ、またオタ活してたのか。」
木村をからかう大金
「うるせぇ、俺の趣味だ。休憩時間くらい良いだろ。」
そう言いながら持っていた雑誌をデスクに置き弁当を食べ始めた。
「休憩中のところすいません。」
とオフィスの扉が開き人が入って来た。
「丸モケ不動産の者なんですが少しお話よろしいですか?」
「あっ、さっきの。」
「あっ、柴田さんでしたっけ。先ほどは。こちらのオフィスだったのですね。」
「まさかこんなに早く会えるとは思いませんでしたよ甲斐さん。」
大金が甲斐を迎える。
「はい、こちらのパンフレット。」
預かっていた茶封筒を甲斐に渡す。
「さっき忘れていたのですね。ありがとうございます。」
「そちらの事業を知っているからむげに断ることも出来ませんね。こちらに。」
と甲斐を応接室に案内した。
「ありがとうございます。」
応接室で甲斐は新しい物件に対し大金に熱弁した。それを大金は熱心に聞いていた。
「ここまで話を聞いていただきありがとうございます。」
「いえ、大変わかりやすい説明でした。」
「正直即決出来るような物ではありませんので返事はいただきません。何より話を聞いていただきたかったもので。」
「はい、しばらく考えさせていただきます。ところで甲斐さん、私のことを誰かに聞いてここに来ましたか?あまりにも不自然なことが多すぎる気がしまして。」
それを聞いて甲斐は動揺したが
「えぇ、大金さんのことを教えてくれた方がいたもので、それでコンタクトをとってみようといろいろ策を練ってしまいました。不快な思いをさせたなら謝ります。すいませんでした。」
深々と頭を下げる甲斐を見て
「頭をあげてください、それほど嫌な思いはしてませんから。何より私は人との縁を楽しむ者です。むしろ嬉しかったです。」
恐縮そうな甲斐をまた嬉しそうに見ながら
「私を紹介した人って誰なんですか。このような楽しい縁を結んでくれる人はなかなかいないもので。」
「私も名前は知りません。ただ大金さんがこちらの物件をもしかしたら買ってくれるのではって。なかなか貧相な方でしたが目力がすごいイメージで信じてしまいました。」
「そうなのですね、私もいろいろな方と時折食事をするものですからその中の誰かなのかもしれませんね。」
「悪い人には見えませんでしたし、この様に話を聞いていただける方を紹介してくれたことを感謝しなくてはいけませんね。」
「私もその方にもう一度会いたいですね。」
大金は甲斐に物件のことを前向きに考えておくことを伝え
「それでは、こんなに長いお時間お邪魔してすいませんでした。」
オフィスのみんなに頭を下げてオフィスを出ていく甲斐。すると柴田がすかさず大金に近づき
「社長買うんですか?マンション。」
それにみんなが聞き耳を立てた
「まだわからないよ。一応前向きに、ねっ。」
「社長はお金に無頓着ですから気を付けてくださいよ。」
「大丈夫、人は信用するところから。さっ、仕事しよう。」
それぞれがまたデスクに向かい仕事を始めた。
大金のオフィスを出た甲斐は何かやり切った感でビルの中を歩いていた。誰でも良いから話しかけたい気分だった。ふと近くで作業している清掃員に目をやる
「あっ、あの時の。」
驚きを隠せずに清掃員に近づくと
「先日はありがとうございます、おかげで良い縁に恵まれました。」
急に話しかけられた清掃員は
「今作業中だ、話しかけるな。」
つっけんどんに突き放す清掃員
「いえいえ、あなたのおかげです。せめて名前だけでも教えていただけませんか。」
「うるせぇ奴だなぁ、俺はただ気まぐれで教えただけだ。気にするな。」
甲斐は清掃員の名札を見て
「貧川さんって言うのですね。覚えました。本当にありがとうございました。いずれお礼させていただきます。」
貧川の手を両手で握り大きく上下に振り感謝を伝える甲斐。
「わかったよ、お礼だけはいただいてやるよ。そのうちな。」
そそくさと作業に戻る貧川。深々と頭を下げその場を去る。その後ろ姿を横目で見ていた貧川の口元は歪んでいた。
「さぁ、これからよ。」
これから起こることをまるで分っているかのように不敵に笑う。
澄み渡る青空の広がるビルの合間を、甲斐はこれからどの様に大金に話を進めていくかを考え意気揚々としていた。