北川くん
私、桜小路古都は友達づきあいが悪い。
まあそれにはそれなりの理由があるのだけれど、友達づきあいが悪いこと自体は転生者の私にとってはかえって面倒がなくて都合が良い。
毎日授業が終わると真っすぐに帰宅してしまうので学園以外での友達づきあいというものもない。
クラスメイトに話しかけられれば普通に話はするけれど、誰かと特別にうちとけて仲良くなるという様なことはない。
親友はいない、と言ってしまってもいいかもしれない。
当然、彼氏もいない。
サッカー部のエース、学園で一番人気という先輩に告られたけれど「今のところ異性との交際に興味はありません」とバッサリごめんなさいをした。
それは学校中に知られているらしく、多数の男子が告りたいけど無理そうと怖気づいているみたいだ。
つまり桜小路古都は案外ぼっちである。
よく言えば高嶺の華すぎて近寄りがたいともいえる。
ところで私が今狙っているのは同じクラスの北川和幸くんだ。
北川くんは、ぽっちゃりした体系に丸眼鏡、いつも下を向いて歩いている。
秋葉原に行けば同類がたくさんいそうな、いかにもオタクな感じの陰キャな男の子だ。
前世の私と同じモブ男に分類してよいだろう。
友達はあまりいなそうだ。
たぶんモテない。
クラスを観察してみたけれど彼に注目している女子は一人もいなかった。
ある日突然、彼がいなくなっていても誰も気づかないのではないかとさえ思う。
でも北川くんは実は漫画オタクとかではなくて美術部員だ。
漫画ではなくて油絵を描いている。
見たことがないので絵が上手いのかそうでもないのかは知らない。
とにかく私は北川くんを「モブ男に夢を与える計画」の第一号に選んだ。
北川くんに35歳素人童貞の人生は送らせない。
昼休みに私は北川くんのところに言って話しかけた。
周囲がギョッとしている感じがした。
桜小路古都は自分からクラスメイトに話しかけるなんていうことは滅多にしないからだろう。
彼女はカースト最上位であり、常に憧れをもって話しかけられる立場なのだから。
「北川くん、君って美術部で油絵を描いてるって聞いたけど、あってる?」
北川くんは突然の出来事に固まっているみたいだ。
(えっ、桜小路古都に名前で呼ばれた!!)と思っているのかもしれない。
今にもあとずさって逃げそうな感じがしたけれど、実際に逃げたりはしなかった。
「うん、そんなに上手くはないけど描いてるよ」
「そう、よかったわ。」
「それじゃあ頼みたいことがあるから放課後に四菱銀行の前で待っていて」
桜小路古都は相手の都合など聞かない。
それでも今までの人生で断られたことは一度もない。
北川くんはおそるおそるという感じで言った。
「なんで?」
「それは後で話すわ、授業が終わったらなるべく早く来てね」
教室がザワザワした。
桜小路古都が放課後にクラスメイトと約束をするのは入学以来初めてのことだ。
しかも陰キャの北川が相手だと!?
放課後、いつもの通り学校のすぐ近くにある月極めの駐車場で待っている片桐玲子さんの車に私は乗り込む。
玲子さんは桜小路家に来ている家政婦さんだ。
もう一人のお手伝いさんの山田さんと交代で、私の通学の送り迎えをしてくれている。
「玲子さん、今日は四菱銀行の前に停めてくれる?」
「友達が家にくるので、そこで拾ってほしいの」
「えっ!お友達がですか? 珍しいですね」
「そう、これから毎週うちに来ることになると思うからよろしくね」
「はい、高校で良いお友達ができてよかったですね」
四菱銀行の前に停車して待っていると、北川くんが下を向いてトボトボ歩いてきた。
桜小路古都と待ち合わせなのだから嬉しそうに走って来い、と言いたい。
まあいい北川くんはモブ男なのだから仕方がない。
男子は桜小路古都に誘われたら尻尾をふって走ってくるものだということがわかっていないのだろう。
「友達って男の子なんですね」
玲子さんは北川くんを見てかなり驚いたようだった。
驚いたのはたぶん男の子だっていう理由だけではないと思う。
どういう感じの男の子かっていうこともたぶん影響している。
北川くんを乗せて、そのまま車で家まで帰った。
私の家は無駄に豪邸だ。
部屋数が10以上もある。
理由は以前、両親がそれぞれに、よくホームパーティーやら試食会やらを開いて客を招き、地方からの客はそのまま宿泊させたりするのに使っていたからだ。
今はほとんどの部屋が全然使われていない。
父はレストランチェーンと不動産関係の会社を経営していて多忙で家で食事することはない。
夜は毎日、取引先との会食がはいっていて帰ってこないか、真夜中にかえってくるかのどちらかだ。
母は料理研究家で最近はテレビなどにも出るようになり忙しい。
父よりはいくらかまだ家に帰ってくるが、料理研究家なのに自宅で食事を作っているところはもう何年も見たことがない。
というわけで父母と顔を会わせるのは家政婦さんが作ってくれた朝食を一緒に食べるときだけだ。
二人とも忙しいので朝食の内容には拘っていないようだ。
レストランチェーンの会長と料理研究家の夫婦なのにトーストとサラダ(レタスとトマト)とウインナソーセージとスクランブルエッグという毎日同じ朝食を食べている。
ウインナソーセージもシャウエッセンというそこらのスーパーで売っているやつだ。
家族の団欒は何日かに一回(父が帰宅した日)の朝30分程度だけだ。
たぶん両親ともそれぞれに浮気している。
両親から娘に対する愛情はそれなりに感じるけれど、それ以上に二人ともワーカホリックだ。
というわけで、この豪邸に住んでいるのは実態としては私と、毎日交代で通ってくる二人のお手伝いさんだけという状況だ。
私はこの豪邸の3部屋を占有している。
自分の寝室と勉強部屋(元は父の書斎)と元々は応接室だった部屋だ。
お手伝いさんはこの3部屋は私が特に依頼した時以外はアンタッチャブルだ。
他の部屋は毎日掃除されていてピカピカだけれど3部屋の掃除は2日に一回程度だ。
なので私は北川くんと、この部屋で何をしていても誰の目にも触れないし何の問題もない。
「北川くん、ここに来てもらったのは君に絵を描いてもらいたいからなの」
「いいかしら?」
「絵って、なんの絵を描けばいいの?」
「そんなの、もちろん私の絵に決まってるじゃない」
「僕が桜小路さんを描くってこと?」
「そうよ、毎週一回ここにきて描いて欲しいの。何回くらいで完成するものか私にはわからないから期間は任せるわ」
「デッサンでいいの? それとも油彩? 油彩だとちょっと時間かかるかも」
「もちろん油絵よ、無理に美人に描かなくても写実的に描いてくれればいいわ」
「だけどなんで僕なの? 桜小路さんならプロの画家にだって頼めるでしょ」
「高校生の今の私を高校生の目で描いて欲しいのよ、北川くんしかいないわ」
学年で一番の女子に「君しかいない」と言われればモブ男は舞い上がると思ったのだけどそうでもなかった。
「美術部の部長は美大を目指していてすごく上手だよ、僕から頼んでみようか?」
「美術部の部長は知らないもの。知らない人の前で裸になんてなれないわ」
「えっ、裸って。。。桜小路さん裸婦を描いてほしいの?」
「そうよ油絵と言えば裸婦でしょう。」
「女子は高校生、大学生のときが一番きれいだと思うの」
「だから記念に油絵で残しておきたいのよ、写真じゃ生々しすぎるでしょ」
「僕が桜小路さんの裸を描くってこと? 」
「そうよ、嫌なの?」
「嫌ってことはないけど、僕に裸見られても桜小路さんは大丈夫なの?」
「私だって恥ずかしいわよ、だけど芸術っていうのはそういうものでしょ」
「桜小路さんがいいのだったら僕はOKだけど」
「でも私が一大決心で男の子に裸を見せるのに、できあがった絵が全然とかだったら許せないわ」
「だからまずは服を着たままで一回描いて見せて」
「それで私が満足するくらい上手だったら、次は裸婦をお願いするわ」
「いいよ、桜小路さんが満足できなかったら無しってことだね」
「そのかわり、もし私が満足して本当に描いてもらうときの報酬は時間給で払うわ相場がわからないけど1時間5,000円くらいでいいかしら?」
「そんなに? でも時間給はいいよ、できあがった油彩を見てもし気に入ったようなら、いくらか払ってくれれば」
「へぇ~すごい自信ね、私が高く買うと思っているのね」
「そうじゃないよ時間給とかプロじゃないんだから」
「それじゃあ、さっそく描いてくれる?」
「デッサンでいいわ、それならそこのスケッチブックにでも描けるでしょ」
「えっ、今ここで、これから描くの?」
「そうよ当たり前でしょ、デッサンだけなんだから今日中に描いて」
「それを見て裸婦を頼むか決めさせてもらうから」
「わかった、ちょっと時間かかるかもだから椅子とかに座ったポーズがいいと思う」
「ありがとう、ちょっと待ってね、良さそうな椅子持ってくるから」
北川くんはスケッチブックに真剣に向かっている。
ちょっと怖いくらいに超真剣だ。
それはそうだ私だって高校生のときにクラスで一番の美人が裸を見せてくれると言ったら、どんなことでもしただろう。
でも今は心が女子の私はそんな北川くんの様子がちょっとキモい。
でも、それけではなくて超真剣に描いてくれているのは嬉しい気もする。
そんなにも私の裸が見たいのか。
3時間くらいで北川くんは描き終わった。
超うまいと思う。 まるで写真みたいだ。
これでヌードを描かれたら生々しくて恥ずかしすぎるかもしれない。
誰にも見せられない。
「ダメね、これじゃあ裸婦をお願いする気にはなれないわ」
「えっ}
北川くんは自信があったのだろう、ちょっとショックな感じだった。
「でも油絵もお願いするわ」
「裸婦じゃなくて?」
「そんなに私の裸が見たいの?」
「いやそういうわけじゃなくて桜小路さん裸婦に拘ってたみたいだから」
(そういうわけだろ)と思ったけど言わない。
「そうね裸婦には拘ってる」
「だけどこの実力ではだめね、下着姿でお願いするわ」
「えっ下着姿。。。」
「なによ不満なの。私としたら下着姿だって清水の舞台から飛び降りるくらい勇気のいることなんだけど」
「わかった描く、描かせてください」
「そうよ、そういうふうに北川くんのほうがお願いするのが普通なのよ」
「確かに。。。」
「そんなに私の下着姿が見たいのね、だから引き受けるんでしょ」
「そう直球で言われるとなんだけど、そういうことです」
「残念だけど裸婦は大学生まで取っておくことにするわ」
「もし北川くんが美大にはいったら、その時は裸婦をお願いするわ」
「僕には美大なんて。。。」
「美大にはいれない実力なら裸婦はなしね」
「美大に入るには絵だけじゃなくて勉強もすごくできないと。。。」
「私の裸婦を描けるチャンスなのに、美大にはいる努力もできないような画家はこちらから願い下げだわ」
「わかった。そのかわり僕が美大にはいったら必ず裸婦を描かせてもらうからね」
「そこまでして私の裸が見たいとか、そんな風に偉そうに言う内容ではないと思うわ」
「ごめんなさい」
「でもOKよ、美大にはいったら必ず描かせてあげる」
「じゃあ来週からお願い。毎週金曜日の放課後、四菱の前で拾うから」
「キャンパスとか絵具とかよくわからないからそっちで揃えて、代金はこちらで持つから領収書を忘れないように」
「わかった。金額の上限とかある?」
「ないわ、絵を描くのに必要なものなら何でも買って」
「それじゃあ来週までに買って揃えておくよ」
「それから北川くんに最後に聞きたいんだけど」
「なに?」
「下着は何色がいい?」
思いがけない質問に北川くんは真っ赤になった、ちょっとかわいい。
「そんなの桜小路さんの好きでいいよ」
「そうなの?、すごくセクシーなのとか指定されたら恥ずかしいなと思ったけど普通のでいいならよかったわ」
北川くんはちょっと後悔したような表情になった。
やっぱり少しだけ可愛いい。
「それじゃあ来週ね」
玲子さんは3時間以上も男の子と二人きりで何をしていたのだろうと思っている筈だ。
家政婦という立場はわきまえている人なので私のすることに口出しはしない。
私のプライバシーにも立ち入らない。
それでも直接雇用主である父には報告するだろう。
それなので北川くんの描いたデッサンを見せてあげた。
「私は絵はよくわかりませんが、それにしても高校生にしてはずいぶんと上手ですね」
「来週からは油彩で描いてくれるって」