6・その手の暖かさ
貴族街を馬車で移動中、このゲームの主人公であるアイリが攻略対象の一人であるソレイユの頬を平手打ちする場面に出くわしてしまったソフィーリアはすぐに馬車を止めさせ、その場へ駆け寄った。
ソレイユはこのエスターライヒ国の王子である。
その王子を平手打ちするなど、下手をすれば処刑されてもおかしくはない。
第一、アイリというキャラはそういう事をする人物ではない、何度もゲームをクリアしていたソフィーリアは唐突なアイリの行動に驚きを隠せなかった。
「なんてことをしてるのよ、貴女はそう言うキャラじゃないでしょうに!!」
思っている事を口走りながら、ソフィーリアは足早に二人の元へと急ぐ。
叩いた事、叩かれた事にアイリ、ソレイユ双方が呆然としていた。
「ア、アイリさんッ、ソレイユ王子に何て事を!! どんな理由があれ王族に手を挙げるなんて!!」
「ソ、ソフィーリア様、なぜここに!?」
突然現れたソフィーリアに気づき、アイリは驚きの声を上げる。
そして、自分がしてしまった事に思い至り、ソレイユに深々と頭を下げた。
「ソレイユ様、先程の事あたしは聞かなかった事に致します。いずれ国を背負って立つお方が、あのような軽率な言葉、吐いてよい訳がありません。あたしを処罰なさるならお好きなようにしてください。失礼いたします」
そう言って、アイリはソフィーリアにも一礼してその場を去っていった。
実に彼女らしくない行動にソフィーリアは少し混乱しつつ、叩かれた頬に手を当てて呆然としているソレイユに声をかける。
「ソレイユ様、お怪我はありませんか? 何故このような事になったのかは存じませんが、あの子は特別貴族になって日が浅く、王族という存在にまだ不慣れ。本来はこのような大それた事をする子ではありません。後程、私がきつく言い聞かせますので、どうかどうかここは私の顔を立て、あの子の罪をなかった事にとは言いませんが、せめて軽くしてはいただけないでしょうか」
ソフィーリアはソレイユに頭を下げ、アイリの減刑を願いでた。
何故アイリの為に自分が頭を下げねばならないのかと多少の苛立ちを感じながらも、このゲームの主人公であるアイリがまかり間違って処刑、という事になれば自分だけでなくアイリがゲーム終盤で倒すはずの魔人によってこの国は滅ぼされてしまうという事実が、ソフィーリアにそのような行動をさせたのだ。
それを避ける為ならば頭の一つや二つ下げるなどソフィーリアには簡単な事だった。
「……ッ!? ソ、ソフィか、お前が頭を下げる所など初めて見たな。……あの者、アイリと言ったか。聖女のスキルを得た者がどのような者かを見定めようとした結果がこれだ。つまりオレ自身の過失、彼女を責める気はない」
「本当にございますか、ありがとうございます」
心底ホッとして、再度頭を下げた。
そんなソフィーリアを見て、多少困惑しつつもソレイユは声をかける。
「ソフィ、お前はアイリとどういう仲なのだ。旧友、という訳ではあるまい」
「は、はい。初めて会ったのは数日前のスキル制御の為に魔法協会に行った際ですので、ただの顔見知りですが」
「ただの顔見知り、か。顔見知り程度で第一王子であるオレの頬を叩く訳あるまい」
そう言うとソレイユはソフィーリアの頭にポンと手を置き、優しく撫でた。
その行動にソフィーリアは混乱し、そしてソレイユが前世の推しの一人だった事もあり大いに興奮し赤面してしまう。
ソフィーリアの前世の記憶ではこの時点で既にソレイユは高慢なソフィーリアを疎ましく思っていたはずであった。
頭を撫でると言う行動はソレイユとソフィーリアの過去の回想シーンで出てくるソレイユの親愛を示す行動であり、回想を除けばゲーム本編では主人公であるアイリだけの特権だったとソフィーリアは記憶していた。
元のソフィーリアの記憶では最後に頭を撫でられたのは、お互いがまだ幼く、貴族や王族という立場ともほぼ無縁だった頃、歳にすれば六歳か七歳の頃が最後だった。
懐かしさと気恥ずかしさと嬉しさが混同する複雑な心境の中、ソフィーリアはソレイユの手の暖かさを感じながら声をあげた。
「ソ、ソレイユ様!? このような場でその様な事はお控えください、幼い頃とはお互い違うのですよ!?」
「すまんな、許せソフィ。つい、昔を思い出した。あの頃とは変わったとばかり思っていたのだがな」
高慢で横柄、公爵令嬢という立場を笠に着てわがまま放題の悪辣な女、それが他者から見た、そしてソレイユから見たソフィーリアの評価であった。
しかし、前世の記憶を思い出し、行動や性格が変化した事で、その評価はかなり緩和されてきていたと言える。
とは言え、それらを考慮してもソレイユがここまでの行動をとるとはソフィーリアには思えなかった。
ソレイユがなぜ、本来ならアイリにしかしないはずの頭を撫でるという行動に出たのか、恐らく先程のアイリの行動がきっかけになっているはずだ、とソフィーリアは考えたが推しが自分の頭を撫でている、そしてそれは親愛を示す行動であると理解しているソフィーリアはテンションがバグってそんな事を冷静に考える余裕などなかったのだ。
「あ――」
「ソフィ!? 大丈夫かッ!!」
結果、ソフィーリアは鼻血を出し、自分の血を見たショックでそのままソレイユの胸の中に倒れ込む事になった。