1・こんなにも遠い空の下で
一人の女性が断頭台への道を毅然とした態度で真っすぐ前を向いて歩く。
断頭台の周りに集う民衆が彼女に向けて罵詈雑言を投げかける。
魔女、ざまあみろ、民の怒りを思い知れ、国の寄生虫、苦しんで死ね、地獄に落ちろ。
よくもまぁ、それほどの罵声を声高に叫べるものだと、女性は呆れ果てる。
もうじき死ぬ身ではあるけれど、死を目前に醜くあがくのは民衆共を喜ばせるだけ、それだけは我慢できない。
ここまで落ちぶれたとはいえ、自分の死を望み、侮辱する者たちを喜ばせる事は我慢ならなかった。
投げつけられる小石や腐った卵の数々を兵士は防いでなどくれない。
豪勢で煌びやかなドレスを着飾り、潤沢な化粧品や高級な食品の数々で保っていた美しく白い肌、懐かしく輝かしい日々、まさかその栄華に満ちた人生の結末が小石をぶつけられ血が滲み、あざだらけとなった肌、腐った卵まみれの薄汚い服をまとった上での断頭台送りとは何とも因果なものである。
女性は過去を思い出し、現状とのギャップに自嘲気味に小さく笑い断頭台へ一歩、また一歩と近づいていく。
何故こうなったのだろうと女性は考える。
第一王子との婚約が破断になったから?
精霊の森を焼いて精霊王を怒らせてしまったから?
聖女を傷つけたから?
他にも多くの悪行を行ったと噂され、ついには国王暗殺未遂の首謀者の疑いすらかけられた事もあった。
どれも身に覚えのない事ばかりではあるが、第一王子との婚約の破断は事実だ。
だが、決定的な理由など女性には検討も付かない。
罵声が渦巻く広場の中、女性は断頭台の前で立ち止まる。
女性は一度深呼吸をして仮面をつけた処刑人の指示に従って断頭台に横になった。
「どうか、私の髪は切らないでくださるかしら。短い髪は似合わないから」
「貴女はどんな髪型でも似合いますよ」
「そう? ありがとう、最期にお話ししたのが貴方でよかったわ」
仮面の処刑人が先の丸い大剣を大きく振りかぶり、女性の首目がけ勢いよく振り下ろす。
迫る刃に恐怖はない、女性は目は閉じず真っすぐに空を見ていた。
「空ってこんなに遠いのね」
いつだったかこんな風に寝転がって空を見た様な気がした。
刃がスッと首を通り過ぎる感覚、処刑人の腕がよほど良いのだろう、女性は一切の痛みを感じていなかった。
薄れていく意識の中で女性は空を流れていく文字列を目にした。
その瞬間、女性はあれがスタッフロールだという事を理解する。
あぁ、そうだ、ここは私がハマっていた乙女ゲー『恋は乙女を最強にする』の世界なのだと気づいた女性は前世の自分の名と、この結末がゲームのエンディングなのだと思い出した。
しかし、もう何もかも手遅れだった。
ふわりと感じた浮遊感、その刹那、意識は闇に溶けて消えた。
幽閉の末にくすんで薄汚れた金色の長髪を揺らして、ゴロリと地面に転がる落ちる首。
民衆はその瞬間、大いに沸き立ち、怒号にも似た感性が広場に響き渡る。
希代の大悪女、ソフィーリア・フォン・イヴァノフはこうして最期の時を迎えたのだった。
「ほんぎゃああああああ!! 断頭台エンドとかふっざけんなボケぇええええ!! トゥルーエンド目指せやぁあああああ!!」
心からの雄叫びを上げて、ソフィーリアはふわふわの羽毛布団を毛と飛ばし、ベッドから飛び起きた。
その声に何事かと幾人かの侍女が部屋に飛び込んでくる。
「ソフィーリア様、いかがなさいました!?」
「医師を早く!! 熱のせいでソフィーリア様が錯乱しているかもしれません!!」
慌てた様子の侍女たちは息が荒く汗だくのソフィーリアを見て、おろおろと困惑していた。
『恋は乙女を最強にする』の登場人物としてのソフィーリア・フォン・イヴァノフは国から公爵の位を与えらているイヴァノフ家の令嬢でありゲーム内の悪事全ての黒幕である、とされている。
高圧的で自尊心の塊のようなキャラクターだが、幼少期は病弱で気弱な性格だったとファンブックには記載されていた。
ソフィーリアはハッとして周りの様子を見て、自分の首に手を当てた。
「首!? ある!? 繋がってる!? 私の名前、田名加智子三十三歳独身、恋人無し、くそブラック企業の社畜、好きな物はふやけたカップ麺とカップ酒と裂きイカ、趣味はBL本と乙女ゲー。今はイヴァノフ公爵家の長女ソフィーリア・フォン・イヴァノフ、そして――」
よく分からない事を口走るソフィーリアを見て、ますます慌てふためく侍従たち。
慌てる侍従を尻目にソフィーリアは混濁する意識をはっきりとさせていく。
意識としては田名加智子が強いがソフィーリアとしての意識もしっかりある。
斬首された記憶は鮮明に残っているが、今は確かに生きている。
ただの夢にしてはあまりに生々しく、首を通り抜けた刃の感覚は今もハッキリと思い出せるほどだ。
時間が巻き戻った?
理屈は分からないがそう思うしかない状況にソフィーリアは困惑しながらも、考える。
ゲーム内でソフィーリアが悪役令嬢として斬首されたのは二十歳の時だ、だとしたら今のソフィーリアは何歳なのだろう。
夢とも現実ともつかない体験にソフィーリアはうまく記憶を遡れずにいた。
「――ロテュス、私は今何歳!?」
狼狽している様子のソフィーリアを心配してか、ガラスのコップに水を入れて持ってきた侍従の一人ロテュスに声をかける。
不意に声をかけられ、ロテュスはビクッと肩を震わせた。
「ソ、ソフィーリア様、どうなさったのですか? 先日、神授の儀を終えたばかりではありませんか」
神授の儀、神に成人した事を報告し、一人前の人間として認めてもらいスキルを授かる為の儀式。
ソフィーリアはリセマラしてレアスキルを厳選していた日々を思い出していた。
「神授の儀って事は今は十五歳、あと五年しかないって事……」
あと五年のタイムリミットしかないと分かった途端、ソフィーリアの視界が揺らぎ足元がおぼつかなくなり、ふらりと体勢を崩す。
倒れ込みそうになったソフィーリアを侍従たちが慌てて抱え、ゆっくりとベッドに横にする。
「神授の儀でスキルを授かったばかりの者の中には、スキルが身体に定着するまでに時間がかかる者もいると聞きます。どうかご無理をなさらないように」
「えぇ、ありがとう。少し嫌な夢を見てしまっただけ。少し一人にしてちょうだい」
落ち着いた様子のソフィーリアを見て、胸を撫でおろした侍従たちは一人、また一人と部屋を後にしていった。
「ソフィーリア様、医師がお見えになりましたらまたお声かけいたします。何かありましたら何なりとご用命を」
ロテュスが恭しく頭を下げ、最後に部屋を後にした。
バタンと扉が閉まり、部屋はシンと静まり返る。
「はぁ、なんなのよ一体……。私は田名加智子、田名加一郎と香苗の娘。私はソフィーリア、公爵であるランベール・アンドレアノス・フォン・イヴァノフと王妃さまの従妹であるフロランスとの間に生まれた一人娘。あぁ、意識としては智子の方が強めかしら。神授の儀で得たスキルは循環、あらゆるモノの流れを滞らせる事なく巡らせ回帰させるスキル。このスキルのおかげで私はこの世界をこの時間軸まで回帰させ、って事なのかしら……」
風や水、血、果ては魔力という目に見えないモノの流れにさえ干渉するスキルではあるが、時間にすら干渉したのだろうかとソフィーリアは思案する。
分からない事だらけだが、一つだけ分かっている事があった。
「五年後に私は斬首されて死ぬ」
ソフィーリアはこの結末を変える為に私は運命に抗うと決めた。
必ずこの手に未来を掴んでやると、手を伸ばしてグッと強く握りしめた。