思い願うこと
肌を刺すような風が当たる。耳や鼻は冷たいし息を吸うのも苦しい。寒いというより痛いと表現するのが正しいくらい空気は人間に冷たいというのに、上空には憎いほど美しく煌めいた星が見えた。背筋を撫でる嫌な悪寒は、きっと寒さのせいだけではない。
(こんなものを呼ぶ気持ちが一ミリも理解できないんだが?)
目の前には悪霊の集合体が蠢いている。黒魔術の集会を止めきれず、駆けつけてきた時にはすでに召喚の儀が終わった後だった。悪霊は不安定な体をうねうねと動かし、実体を持ったり霊体になったりを繰り返し、こちらを常に翻弄している。
(攻撃の時は必ず実体化する。そのタイミングを狙って反撃するのが確実か)
そう判断した天は、カウンターの構えに入る。自分からは攻撃せず、相手の攻撃を躱してから魔法を撃つ。自分自身はそれでどうにかなっているが、周囲の人間全員がそれに対応できるわけではい。上手く攻撃を通せる人はなかなかおらず、さらにはダメージを与えられても微々たるもので、悪霊が消える気配がなかった。
この場に居る全員が思った。――流星閃を打つべきだ、と。
ちらり、と天は辰也を見た。今日の任務には辰也も来ている。辰也は周囲に向かって声を張り上げた。
「攻撃の隙をつけ!!自分から攻撃するんじゃない、相手の攻撃に合わせろ!!そんなこともできない奴は軍にいらないんだよね!!」
辰也の目は諦めていない。皮肉の混じったアドバイスが飛んだ。今の辰也のことが気に入らない人間はたくさんいるが、命令のような怒号の挑発を上司から受けると従ってしまうのが軍人の悲しい習性である。気合を持ち直した仲間達が、再び悪霊に立ち向かう。
「……まだやれる……まだ諦められないんだよね……っ」
小さく吐き出された言葉が、天の位置からでもギリギリ聞こえた。今の辰也は、生きることに全力を注いでいる。
悪霊が倒せないと上が判断すれば、辰也は絶対に流星閃を打たなければいけなくなる。自分の力量だけで倒せないなら、周囲の協力がどうしても必要だった。
その意思を汲み取り、天も全力を出す。少しでも辰也が、生き残れるように――
「――危ない!!」
突如、辰也の叫び声が響いた。視線を向ける前に、天の体に何かが思いきりぶつかる。重みのあるそれを抱えながら、天は腕から地面に転がされた。
「……いって……」
一体何が飛んできたのかと目線を向ければ、同期の少女の体だった。呻いてはいるが、大きな外傷はなさそうだ。どうしてこんなラブコメのような展開に、と疑問を持ちつつ周囲に目を向け――
――軽い人だかりができているその中心に見慣れた金髪が横たわっているのを、見つけた。
「――っ!!……自力で立てますか?戦線に戻れるなら戻ってください」
駆け寄りたい気持ちを一旦抑え、抱えた同期に問う。頷くのを見て体を離してやると、今度こそ天は辰也の元へと走った。天が辰也の近くまで来たちょうどそのタイミングで辰也の怒号が飛ぶ。
「こっちに構わないでほしいよね!!オレ一人欠けたんだよ!!?こんな大人数でオレを構ってる暇なんてあるの!!?馬鹿なの!!?」
それを聞いた人だかりは、悪霊の方へと走っていく。人が散って辰也の姿がよく見えるようになった。腹部に大きな裂傷ができており、おびただしい量の血液が今なおそこから流れ出ている。未だに辰也の傍に数名残っているが、彼らは医療班だ。辰也の傷を治そうと治癒魔法を使っているようだが、大きすぎる傷と悪霊の呪いがかかってしまったせいか治りが遅いのが傍から見ていても分かる。
「……君らももう行って。これを見れば分かるでしょ。……軍人なら分かってほしいよね」
軍人とは、取捨選択を迫られた時、その判断を誤ってはいけない。捨てる判断ができなければ、本来なら取れたはずのものも捨てるはめになる。
辰也の言葉に、残っていた者達も激戦地へと戻っていった。それを目で追うことなく辰也の元へと近づく。
「……なんでお前がここにいるのか分からないんだよね。預けた子はどうしたの」
「無事だったので戦場に戻しました」
少しの無言をおいて、辰也が口を開いた。
「流星閃、打とうと思う。こんな傷じゃ、どっちみちオレは死ぬから。今は夜だから体がもってるだけで、朝日が昇った瞬間に体がもたなくなって死ぬから」
「……お前はそれでいいのかよ」
天の問いには答えず、辰也は言葉を紡ぐ。
「次のオレとも仲良くしてくれるとありがたいんだよね」
心にもないことを言っていると天は分かった。そんな殊勝な心なんて持っていないくせに。
「お前は自分が生まれた時のことを忘れたのか?先代と同じ扱いを受けてどう思ったのか忘れたのか?次生まれるお前にお前と同じ扱いをしたところで、何も嬉しくないだろ」
「どう思うかは性格次第じゃない?それに、オレの性格が変われば扱いも変わるでしょ、普通」
「俺は顔が同じなら性格が変わろうとも同じ扱いをするぞ」
「……確かに、そういえばそうだったね」
辰也は苦し気にお腹を押さえながら立ち上がる。剣を片手にふらふらと悪霊に向かっていく姿を見て、天は辰也の手首を掴んだ。
「上司の命令も無しに打つ気か?」
「どうせあんなもの、ただの形式だしね。上司はオレが流星閃を打つことに肯定的だし、多少のお小言で済んじゃうんだよね、きっと。ま、お小言を貰うのは次のオレだけど。……そのくらいの腹いせはしてもいいでしょ」
そう言って笑う辰也の表情は、初めて見るものだった。きっと、今の辰也の本当の笑顔なのだろう。
この笑顔を見るのが、今が最初で最後であっていいわけがない。辰也の手首を掴む手が強くなる。
今がきっと、過去のトラウマを超えるチャンスだ。ここを逃すわけには、いかない。
「……俺はお前のことが嫌いだ。でも、お前ともっと同じ刻を歩きたい……そう思うくらい、俺の中でのお前は無関心ではいられない存在になっている。無視できない、大きな存在として心に居る」
心の傷は癒えきっていない。これから言う言葉に責任を持たなければならず、そのことが恐ろしく、怖い。
目線を下げた時、天の目に辰也の傷が映った。過去の映像がフラッシュバックしそうになる。手が震えそうになる。怖気づく。逃げたくなる。嫌だ、怖い、
――また、繰り返すのか。
(――そんなの、嫌に決まってるだろーー!!)
もう一度、辰也の手首を握る手に力を込める。本人が望むのなら、絶対やってやる。
「お前は致死量の怪我があるから死ぬ気でいるんだろう?じゃあ問おう。その怪我が無かったら――お前は生きたいか?」
「――生きたいに、決まってるよね――!!」
叫んだ辰也の上空に、光の筋が伸びる。光の弧を描いて、星がいくつも流れていく。
力強い辰也の青い目、輝く金色の髪。驚くほど星が流れる今日の夜、きっと天は、この光景を生涯忘れることはできないだろう。
天は、辰也の手首を掴んでいない方の手で辰也の腹に手を添える。集中するため、できるだけ周囲の喧騒をシャットアウトする。
「俺は、実は治癒魔法が使える。でも、訳あってここ何年も使っていない。動物には使っているが、人間に使うのは久しぶりだ。……これだけ大きな怪我をどこまで治せるかは分からない」
手に集中しながらも、リラックスするために口を開く。
「知ってるか?この国では流れ星は悪いものと考えられているが、他国では「流れきるまでに3回願い事を言えれば願いが叶う」と言われているらしい」
「そんなの無理だよね」
どれだけ一瞬の内に言わなきゃいけないのさ、と呆れた声が飛ぶ。それでも、今の天はそんな迷信にすら縋りたい気持ちでいっぱいでいる。頭上には、未だに星が流れている。きっと今日は流星群の日なのだろう。
「……治せますように治せますように――」
藁にも縋る思いで言葉で唱え――その途中で頭をガッと掴まれてしまい、言葉が中断されてしまった。怪我人とは思えぬ強い力が働いたかと思えば、辰也が天の目線を無理矢理上げた。
「願ってどうにかなってたら人間誰もが星に願ってるんだよね。あのさあ、お前は何かに願わないと叶わない程度の努力しかしてないの?自分の努力を自分が一番信じられないなんて、ほんと滑稽だよね!!」
顔を上げて見た辰也の表情は、嘲笑うかのように口の端を上げていた。馬鹿にするような顔だったが、その青い目の奥から真剣さが見てとれた。
「昼の任務でお前がオレの代わりに前に立ってる理由、ちゃんと把握してる?捨て駒前に出すほどウチの兵士は枯渇してないんだよね。いい加減、気付けば?――お前は平均を越えた、上の段階まで登ってきてることにさ」
辰也は己の手首を掴む天の手を振り解くと、自由になったその手で天の肩を思いっきり掴んだ。そこから力が注ぎ込まれ、辰也が天に魔力を分け与えているのだと分かった。
その温かさに、なんだか無性に泣きたくなる。
「願うんじゃない――やれ、象儀!!」