偽物の星
あの出来事から数日後。辰也は山道をジョギングしていた。
つぅ、と頬に伝う汗を雑に拭う。顔に張り付く金色の髪が邪魔臭い。山を下りながら辰也は疑問を抱いた。
(……訓練って、こんなもんでいいのか分かんないんだよね)
今まで努力なんてしたことが無かった辰也にとって、努力とはどうやればいいものなのか分からない。どこまでやったら努力になるのだろうか。とりあえず汗がでるまで適当に動いてはみたが。
(努力って、難しい)
天のことを散々馬鹿にした辰也だが、努力がこんなにも難しいものだとは思ってもみなかった。そもそも努力の仕方を分からない時点で自分は子供以下である。まあ今の辰也は生まれて1カ月も経っていないので赤ん坊同然でもあるが。それでも、歴代の辰也を振り返って努力をしたことのある辰也を探してみても、齢二桁にも満たない頃の辰也くらいしかいないと思われた。
(……努力も、才能なんだね)
知力も魔力も武力も生まれ持っていた辰也は、誰かを才能的な意味で羨むことなど無かった。今は、天の「努力をし続ける才能」が羨ましいと思う。
そんな事を考えながら兵舎へ戻り風呂場へと向かうと、何やら脱衣所から話し声が聞こえてきた。そのまま気にせず中に入ろうとしたが、その会話の中に「廃阿さん」という単語が聞こえ、思わず脱衣所の扉を開けようとした手を止める。
自分の居ないところでの自分の話など、大抵ろくでもない。
案の定、彼らの話は今の辰也の性格についてだった。
「今回の廃阿さんは無神経って感じするよな。こっちの嫌な事すぐつついてくるし。デリケートな部分とか分かんねぇかなぁ。一個前の廃阿さんは自己中だったし」
「分かんないんでしょ実際。いつだったかの廃阿さんも無神経なところあったけど、あれはお節介って感じだったし、今よりかなりマシだったよね」
「あーあ、早く流星閃打ってくんねーかなー」
この手の話題はいつも上がることだった。
いい性格だからずっとこのままでいてほしい。
嫌な性格だから早く変わってほしい。
彼らはいつも、都合のいいことばかり考える。
彼らの輪の中にそれこそ無神経に突っ込んでいってもいいのだが、今日の辰也は訓練をして疲れている。疲れている時に、あいつらの「やっちまった」みたいな表情を見たくなかった。
早くどっか行ってほしいよね、と思っていると、そこに第三者の声が入る。
「随分都合のいい脳みそをしていらっしゃるんですね。今のあなた達の会話も大分無神経だと思うのですが」
このくそ生意気な声は、姿を見ずとも誰だか分かる――天だ。天が彼らの会話を聞いて混ざりに行ったらしい。自分の気に入らないことがあればすぐ口の開く人間だ、今回も我慢できなかったのだろう。
「なんだよ象儀。お前だってこの間廃阿さんをかばったのに廃阿さんから冷たい言葉をもらってたじゃないか。象儀も早く廃阿さんの性格が変わってほしいと思うだろ?」
「まあ、あの性格はどうにかしてほしいとは思いますね。クソムカつきます」
あいつ、と辰也が拳をにぎったが、天は「ですが」と言葉を続ける。
「流星閃を打って性格を変えてほしいとは思いません。技に頼って性格を変えているようではまだまだです。自力で直す努力をしてほしいものですよね。……それと、流星閃を打つ機会があるということは、我が軍がピンチになっている時だということです。私は平和を望んでいるので、再び流星閃を打つような機会が訪れてほしいとは思っていません。あの人の性格が変わらないままでいるということは、ある意味平和の象徴・歴史ですよ」
「それでは」と言ったのち、浴室の戸が開く音がした。天は脱衣所から大浴場へと移動したようだ。言いたい事だけ言って去っていくのは実に天らしい。なんだあいつ、と誰かが言ったが、それはその場に居た全員の総意だろう。
「ほんと、あいつも大概だよな。あいつ自身も性格変えた方がいいんじゃねーの」
(ごもっともだよね。そんなんだから友達の一人もできないんだよ)
自分の事を棚に上げて辰也は思う。
(……けど、「流星閃を打ってほしくない」なんて言う人、初めて見たよね……)
今まで、辰也は「流星閃を打て」「流星閃を出し惜しみするな」と言われてきた。それが嫌だと感じる人格でいたことの方が多かった。今の自分だってそうだ。流星閃を打つことが嫌だ。……死ぬのは嫌だ。
(ま、あいつも真実を知るまでは「出し惜しみするな」って言ってた側だったけど)
しかし、天は辰也の真実を信じてくれた。親ですら信じてくれなかったのに。
流星閃を望まれない。それは、今の自分のままで居てもいいと言われているようだった。
脱衣所に居る集団は、天を見送ってなおそこに居座った。まだいるのか、と辰也が辟易していると、その内の一人が口を開いた。
「……廃阿さんと象儀でちょっと連鎖的に思い出したんだけどさ、そういや昔、象儀って近所では"希望の星"って言われてたって知ってる?」
なにそれ、と辰也の興味が向く。そんなの初耳である。他の面子も聞いたことが無いらしく、「え、なにそれ知らない」と身を乗り出した。
「おれ、昔あいつん家の近くに住んでたことがあるんだけどさ、象儀って治癒魔法が得意でさ、どんな傷も治してたんだよ」
「へー。え、でも、象儀が治癒魔法使ってるところ見た事ねぇぞ」
辰也も天が治癒魔法を使っているところなど一度たりとも見たことが無い……と思いかけて、先日のことを思い出す。確か、山へ向かった天がウサギに治癒魔法をかけていたはずだ。しかし思い出せるのは結局その一回きりだし、それ以外の場所で天が治癒魔法を使っている姿を見たことはない。
天の近所に住んでいたと言っていた兵士が続きを話す。
「昔、族が来て街の一部が襲われたの覚えてる?あの時襲われたのがおれん家の近くでさ。おれん家はギリギリ被害を免れたんだけど、象儀の両親は襲われてさ。
……即死だったんだよ。
象儀はどんな傷でも治せたけど、死んだ人をどうにかする力は当然無くてさ、象儀、錯乱してたって。あの時の象儀はまだ幼かったし。
でも、最悪なのはそれだけじゃなかったんだよ。近所で重体を負った人達が象儀を頼ってきてさ、『この人を治してくれ』って押し掛けて。
いつもの象儀なら治せてたんだろうけど、まだ幼くて両親の死も目の当たりにしてパニックになってた象儀には治せなくてさ、……重体だった人達みんな死んじゃって。
それ以来、象儀は"偽物の星"って言われるようになったらしいよ。
おれもあの頃はまだ小さかったし、どこまでが本当の話か知らないし、おれはあの事件の直後に引っ越しちゃったから親の話でしか知らないけど」
それを聞いた別の兵士が、「そういえばそんな話聞いたことあるかも」と声を上げる。
「でも、私が知ってる話は「象儀とその家族が「どんな人でも治せる」って騙って金を巻き上げてた」ってやつだけど。でも結局嘘がバレて両親殺されて、残った象儀が「偽物の星」って呼ばれてるってやつ。治ったって言ってた人達はサクラで、象儀一家を"希望の星"って呼んでたって」
「その事件、族の中に記憶操作の禁術使ったって話もあって、実際族が襲ってきた前後の記憶が全員あやふやらしいよ、事件に関わった人達全員」
「あー、そういやそんな話あったなぁ。忘れてたわ。昔の話だし、自分も小さかったし、余計あやふやになってんだろうな」
「まーでも、記憶があやふやでも、一番朧気なのは族襲撃前後でしょ?族に襲撃される大分前から象儀が"希望の星"って言われてたのなら、象儀が襲撃前は"希望の星"って言われてて、襲撃後は"偽物の星"って言われてたのは事実じゃないの?」
「それなんだけど、実は象儀は族が襲撃してくる少し前に引っ越してきてたんだよ。だから"希望の星""偽物の星"云々も住民によって供述がバラバラだったりもしてて。……ただ、タイミングがタイミングだっただけに、象儀一家が族を誘導したんじゃないかとか、象儀一家がここに引っ越してきたのが不吉の前兆だったんだとか言い出す人もいたりとかしてて――」
彼らの話のどこまでが本当でどこからが現実と食い違っているのかは分からない。しかし、彼らの話を聞き、辰也は天がなぜ"希望の星"に執着するのかがなんとなく分かった気がした。それから、人の生死に拘る理由も。
天はきっと、族が襲撃してから今日までずっと、大切な人を失った近所の住民達から"偽物の星"と言われ続けているのだろう。だから、軍で名を上げ"希望の星"となって、近所に蔓延った噂を晴らしたいのだろう。だから、"本物の星"である辰也が目障りなのだろう。
そして、目の前で両親を失い、治せなかった人間が息を引き取っていく様を間近で見て、「死」というものに敏感になったのだろう。だから、辰也の代替わりに対しても思うところがあるのだろう。
これらは全て辰也の推測でしかないし、先程の兵士達の話の信憑性だって低い。だが、これが真実なのではなかろうかという謎の自信が辰也にはあった。
(まあ、それでもオレは"希望の星"の座を誰かに明け渡そうなんて思わないんだよね)
同情で天に明け渡したところで相手はそれを望まないだろうし、第一あいつにこの座を渡すのは癪だ。
天の行動原理を知ってすっきりした辰也だったが、ふとあることが引っかかる。
(あれ、"希望の星"が目障りなんだとしたら、あいつが先々代のオレに対してわりと友好的だった気がするのはなんで?)