第5話
イヴァンの葬儀が行われる教会に入ると、来るのが早すぎたのか誰もおらずイヴァンがいる棺桶がぽつんと置かれてある。
やっぱり人はいないわよね。良かった。
最後にもう一度イヴァンと2人きりでお別れしたかったから。
棺桶そばに寄り添い、中を覗き見れば静かに眠るイヴァンの姿がある。
いつも眉間に寄っていたしわも消え、その表情は穏やかだ。
「イヴァン、お久しぶりです。またあなたに会えてよかった」
私の言葉にもちろんイヴァンは答えてはくれない。
しかし私はかまわず言葉を続ける。
「私は貴方に謝らなければなりません。あなたとの約束を破り子供たちを見捨てた愚か者です。本当に、本当にごめんなさい」
私は言葉を絞り出すように、ゆっくりゆっくりと口から紡ぐ。
目頭がジンと熱くなり瞳から涙があふれる。
イヴァンにとってあの子供たちは何にも代えがたい大切な物だ。そうかつて彼から聞いたことがある。
そんな子供たちを見捨てたのは、他でもない私だ。
「それでも、こんな私でも神様は私にチャンスをくださったようです。貴方が口添えしてくださったのでしょうか?」
そう言って私はイヴァンに微笑みかける。
これは罰か、それともチャンスか。
それはこれからの私の行動次第だろう。
「今度こそあなたに胸を張って公爵家のことを伝えられるようにします。そうしたらまた……私のことを褒めてください。さようなら、イヴァン」
私は静かにそう別れを告げ立ち上がる。
顔は涙でぐしょぐしょで、せっかくメルがしてくれたメイクも崩れ、今の私の顔は人様に見せられないほどになっている事だろう。
こんなところ誰かに見られるわけにはいかないわ。早く別室に行った方がいいわね。
私は急ぎ足で聖堂を後にしようと扉へと向かう。
しかし、私が扉の取手をつかむのと同時に、何者かが扉を開ける。
私は慌ててその扉から飛びのき、扉を開けた人物を見る。
扉を開けた人物はなんと驚くことにアラン・ド・ヴァロアであった。
刑執行日前にあった時は私より高かった身長も、今は私とさほど変わらないくらいだ。
今の彼の年齢は確か……15歳だったかしら。
刑執行日前の彼は青年と言ってもいいほど大人びていたが、今の彼はまだ幼さの残るあどけなさがある。
意外な人物に私の体は硬直してしまうが、それは相手も同じなのか扉の取手をつかんだまま微動だにせず、緑の瞳を丸くしながらこちらを見つめていた。
「…………」
「…………」
「泣いて……いたのか?」
まるでこちらを探るようにアランは尋ねる。
その言葉で私は今現在自分の顔が、人様に見せられないほどひどい状態だと思い出す。
こんな顔アランには見せられない!
そう思った私は慌ててアランから顔をそらす。
「そ、そうね。恥ずかしいとこ見られちゃったわ」
私はごまかすように笑う。
自分より年下の、しかも義理の息子に泣き顔を見られるなんて恥ずかしすぎる。
しかしアランは笑うでもなくじっとこちらを見てくる。
これはいったい何の拷問だろうか。
「……西の通路を使うといい。あっちは教会関係者しか使わないからそんなに見られないはずだ」
アランはやっとじっと見るのを止め、西の通路につながる廊下を指す。
無視されるかと思ったが、意外にも親切な彼の対応に私は驚く。
「あ、ありがとう……」
私は彼から教えてもらった通り西の通路から自室へと戻る。
彼の言う通り人とすれ違うことはなく、このひどい顔を見られず無事に一人で部屋に帰り着くことができた。
目を真っ赤にはらし、涙でボロボロのメイクを見たメルは何事かと駆け寄ってきたが、訳を話せば笑顔でもう一度メイクをやり直してくれた。
思えば時を遡る前の葬儀で私はろくにイヴァンと別れの挨拶もせず、部屋でこれからどうしようかと悩んでばかりだった。
実際アランは時を上る前の葬儀でも、イヴァンとの別れのため聖堂に来ていたのかもしれない。
私本当にあの子たちのこと何も知らないのね……
「はぁ……」
「どうかいたしましたか?もしやこのメイクがお気に召しませんでしたか?」
「違うの……今まで如何に自分が情けなかったか改めて感じさせられただけ……」
「は、はぁ」
取り敢えず今、乗り越えなければならないのはこの葬儀ね。
葬儀は身内の中だけで行うのがこの世の中の常識だ。
つまりこの葬儀に参列するほとんどが敵だということ。
好奇の目、軽蔑の目、蔑みの目、疑いの目。全方向から嫌な視線が向けられ居心地が悪い。
改めてこの葬儀に並ぶ人々を見る。時戻り前になんども見た顔ぶればかり。
特に目が行くのはイヴァンの兄弟たち。
イヴァンには3人の兄弟がいた。
まずは長女のアニエス・ド・ヴァロア。彼女はすでに結婚しており息子がはずだ。時戻り前その息子を公爵家当主の座につけようと口出ししてきたからよく覚えている。
次に次男のポール・ド・ヴァロア。彼の顔もよく覚えている。時戻り前に私を訴えた張本人であり、裁判中に何度も見かけ刑執行日前にもわざわざ私の元までやってきたような奴だから。相変わらずこちらを侮るようにニヤニヤとした目で見てくる。
その次は三男のダミアン・ド・ヴァロア。彼のことは時回り前でもかかわりは少なく特に記憶にない。いつもおどおどとして兄弟たちの後ろに隠れているといったイメージだ。
皆こちらを見ながら何かこそこそと話している。
「イヴァンの遺書の話聞きましたか?」
「ええ、どこから連れてきたかもわからぬ田舎娘が次の当主ですって」
「イヴァンは正気なの?まさかあの女が書いた偽物なんじゃない?」
「でも筆跡鑑定ではイヴァンの筆跡で間違いないと」
聞こえていますよ、皆さん。
周りのささやき声があちらこちらから聞こえ、私は思わずそう突っ込んでしまう。
以前の私であれば、猛獣に囲まれたウサギのようにうつむいていただろうが、もうこんなことでうじうじはしていられないとまっすぐと前を見つめ前の席へと向かう。
前の席へ近づくと何か子供がしゃくり上げるような声が聞こえてくる。
この声はおそらく、キリアンとジャンヌだ。
この時の2人の年齢はキリアンが12歳でジャンヌが8歳だったはず。
席で小さくうずくまって泣いている2人の姿に私の胸はきゅっと何かに締め付けられるようだ。
この子たちはまだこんなに小さかったのね。
子供たちが泣いている傍らで1人涙も流さず、1人まっすぐに前を見つめる少年がいる。
アランだ。
そんなアランの姿に、親族たちは口々に感嘆の声を漏らす。
「まあ、なんて落ち着いてらっしゃるのかしら。きっと彼もお辛いでしょうに」
「さすがですわ。きっとイヴァンも彼のことを誇りに思っていらっしゃるわね」
先ほど1人でイヴァンに別れを告げに来たアランのことだ。
イヴァンを失った悲しみは誰よりも大きいはず。
それに誰よりもイヴァンのことを敬愛していたことは時戻り前から知っていた。
きっと彼の中では不安や悲しみが渦巻いているのだろうが、それがあふれないよう懸命に抑え込んでいる姿はあまりにも苦しそうに見えた。
今の彼らに何か少しでも支えになれることが言えたら、そう思ったが今まで何もしてこなかった私の行いが災いして、何もいい言葉が思いつかない。
どんな言葉もきっと彼らの悲しみを強めてしまうだけだ。
自分の不甲斐なさが腹立たしい。
特に何も言えず無言で彼らの隣の席に座る。
キリアンとジャンヌはこちらに気づいてないようだが、アランはこちらをちらりと一瞥するがすぐに前を向いてしまった。
葬儀の方はつつがなく進み、皆一旦聖堂を離れイヴァンが入る墓前に集まる。
棺はすでに足元に掘られた大きな穴の中に置かれ、後はもう土をかぶせるだけだ。
私はというとその様子を遠目から眺める。
すると背後から声を掛けられる。このねっとりとした聞き覚えのある声はポールだろうか。
「公爵夫人は最後に別れの挨拶もなしですか?意外と落ち着いておられるのですねぇ」
「ポール伯爵、ご心配ありがとうございます。しかし私はもう別れの挨拶は十分にさせていただきました。それにきっと私の夫と最後の別れをしたい方は多いでしょうし、多くの方にお声をいただける方が夫は嬉しいでしょう」
「……なっ」
彼の嫌味に全く動じない私に、ポールは口ごもる。
ふん!どうせ私に嫌味を言って私を困らせる魂胆でしょうが、私にはもうその攻撃はきかないわよ。
私は心の中でポールに舌を出す。
「そ、そうですか。それならいいのですが」
ポールはそう言い残すとそそくさと去って行ってしまった。
これは私の勝利ね!
できればあいつらとは二度と会いたくないのだが無理だろう。
どうせまた親族の話し合いだとかで集められるのだろうし。
これから起こることを知っている身としては頭が痛い話だ。
私は自分の額に手を当て大きくため息を吐いた。
「おい、大丈夫か?」
「はい!」
またもや声を掛けられ慌てて姿勢を正す。
見ればアランが目の前に立っていた。
彼の視線は心配というよりは観察といった方がいいだろうか、こちらの出方を探るように私を見つめている。
「え、ええ。大丈夫よ。少し今後のことを考えていただけ」
「そうか。…………無理はするな」
彼はそれだけ言い残すとスタスタとジャンヌやキリアンの元へと戻ってしまった。
私は茫然とアランの後姿を見送る。
何、今の言葉?
意外過ぎて頭の処理速度が追い付いていない。頭の中でアランの言葉が何度も再生される。
私、今アランから「無理するな」って言われた?
アランからこんなこと言われる日が来るなんて思わなかったんですけど!
これは夢なのかしらと頬をつねるがちゃんと痛い。現実だ。
これはいったいどういうことなの?