レグルス
「!?」
突然声をかけられ、ライラは驚愕と共に、ばっと振り向く。
そこには、見慣れぬ男性が立っていた。
いや、違う。
あの頃と同じ、濃い色味の金髪に青い瞳。
相変わらず美しく、されど16年分の年月を確かに感じさせる、大人びた彫りの深い顔立ち。
まさに王族、と言わんばかりの、上背のある堂々とした立ち姿。
それはまさしく、前世の婚約者の――
「レグルス、様……?」
「俺を知っているのか」
彼は眉を上げる。
「あっ、えとその、失礼しました」
ライラは慌てて、庭の端に寄り、深々と頭を下げる。
「いい、かしこまるな。顔を上げろ」
「いえ、でも……」
「いいから。第一俺はもう王族ではないのだ、そんな礼などしなくていい。……その恰好は、ここの下働きか?」
「はっ、はい。そうです」
そろそろと顔を上げながら、ライラは答える。
……まさかこんなに早く、目的の人物に会うことができるなんて。
「あまり見慣れぬ顔だが、新入りか?」
「はい。つい1週間ほど前から、働かせていただいています」
「そうか。この辺りの清掃担当なのか? これまでこの辺りで下働きの者を見たことは無かったんだが」
「いえ、ええと、ちょっと道に迷ってしまいまして。申し訳ありません」
「謝るな。新入りなら、そういうこともあるだろう。案内が必要か?」
「い、いえ! 大丈夫です、ありがとうございます」
ライラは少しびっくりする。この方が、ただの道に迷った下働きを気遣うなんて。
会話が終わり、しばらく沈黙が流れる。
早く仕事に戻らないといけないのは分かっているのに、ライラはこの場からなんとも離れがたくなっている。
ああ、だって、あんなに会いたかったひとが、目の前にいるのだ。
しかも、こんなに元気な姿で。
王太子の座を退いたと聞いたから何があったのかと動転してしまっていたが、ひとまず彼は元気に健在だ。それが分かっただけで、ライラはとてもほっとした。
しかし、それと同時に聞きたいことが山のようにできてしまった。
16年前何があったのですか、今はどのように過ごしていらっしゃるのですか、お元気でしたか、お食事はちゃんと召し上がっていますか、それから、それから……。
ああでも、婚約者だった昔はともかく、今のライラはただの下働きだ。貴い身分のこの方と気安く言葉を交わせる身分ではないのだ――あれ、でもさっき王族ではない、とおっしゃっていたような……いやいや、それでも彼が高貴な人であることには変わりない。
どちらにしろ、今のライラが彼と言葉を交わす資格がないのは分かり切っていることであった。
強引に未練を振り切り、ライラは彼に退出の挨拶を告げようとする。が、その瞬間。
「……君は、この庭をどう思う」
「……へっ!?」
なんと、彼の方から言葉をかけてきた。
予想外の展開に、ライラは思わず目線を上げて彼を凝視する。何故か彼の方も、びっくりした顔をしていた。そう、まるで、自分が発した言葉に自分で驚いたかのような。
「え、ええとそうですね……、私は、とっても良い雰囲気のお庭だと思います。大神殿の中でも、特に澄んだ空気が流れているかのようで」
「……そう、か。……気に入ったなら、また来ると良い」
「えっ」
ライラはまたその眼を大きく見開く。いよいよ予想外の展開である。
「よ、よろしいのですか?」
「ああ。どうせここには誰も来ない。休憩する場所にでも使うと良い」
「……しかし、あなた様のお邪魔ではありませんか?」
「別に構わん。俺もいつもここに来ている訳ではないからな。それに」
ここは静かすぎる、と彼は小さくつぶやく。
その意味はライラには分からなかったが、とにかく彼の邪魔にはならないようだ。
そうなると、ライラの返事は一つだけだった。
「はい、では、ありがたく。またここに来させていただきます」
「……ああ、そうしろ」
そう頷いた彼は、少しの静寂を挟み。ぽつりと、彼女に訊ねる。
「名を、聞いてもいいか」
「は、はい。ライラ、と申します」
「ラ、イラ。ライラか。……ライラ。では、またここに来ると良い」
「はい。ありがとう、ございます」
そうしてその日はそれ以上言葉を交わすこともなく、すぐに別れたのだった。




