ライラ
「……イラ、ライラ! もう、ライラったら!」
「えっ!? な、なあに、メーア」
「なあに、じゃないわよライラ! ここのところいつにも増してぼんやりしっぱなしじゃない。どうしたのよ」
「ええと、ごめんなさい。でも本当に、何もないのよ?」
「……もう。何か悩み事があったら、ちゃんと言うのよ? それはそうと、仕事よ仕事! 行きましょライラ、何しろこの大神殿ったら本当に部屋が多いんだから!」
「え、ええ、そうね」
そう、ここは大神殿。国のほぼ中心に位置する、一番多くの祈りが集まる場所。
……そして不思議な癒しの力を持つ、聖女と呼ばれる女性たちが暮らす場所で――ライラの前世であった、とある少女が命を散らした場所でもあった。
(……ああ、懐かしい。あれから16年も経っているのだから色々な変化も当然あるけれど、それでも、根底の雰囲気というものは変わらないものなのね)
最近ぼんやりしている、というのは、自分でも自覚していた。
それはこの大神殿に下働きとして雇ってもらったときから起こっているもので、自分としては隠しているつもりではあるのだが。やはり幼いときからの親友であるメーアにはバレバレなのだろう。
心配をかけているのが申し訳なく思う一方、少し嬉しくもある。
……親友、という存在は、前世では得られなかったものだから。
ライラはこの国の片隅、辺境の村で生まれた。両親は長い間子に恵まれなかったらしく、やっと生まれた我が子をとても可愛がってくれた。
同じ時期に生まれたメーアとはすぐに仲良くなれて、ライラは幸せな幼少期を過ごしてきた。
けれど。物心ついたときから、ライラにははっきりと、前世の記憶があった。
孤児として道端で、ただ死を待つしかなかった幼い子ども。
癒しの力を見出され、優しい大神官様に拾われ。
聖女の一人として暮らし、王太子の婚約者という、身に余る栄誉を与えられて。
最後は愛しい人の為に力を使い果たし、幸せに逝った少女の記憶が。
自分の状況がとても特殊であることにはなんとなく気付いていた。
前世の記憶ははっきりしていて、その短い生の間であっても、自分に前世の記憶がある、なんて人には出会ったことがなかったから。
穏やかな暮らしを村で続けて15年。
転機が訪れたのは、王様が代替わりするらしい、というニュースが飛び込んできたときだった。
高齢となった王に代わり、新たに国王となる王太子。
それが、16年前、自分の婚約者であった人の名ではなくなっていたのだ。
その事実に取り乱したライラは、村の皆に前王太子のことを訊いて回った。
けれども皆、前王太子が16年前、突如として王太子の座を弟君に譲ったということ以外は何も知らなかった。
それでいてもたってもいられなくなり、ライラは王都に働きに行くことを決心したのである。
運良く丁度大神殿での下働きの募集が掛かっており、尋常ではない親友の様子を心配したメーアと共に、ライラは現在、大神殿の仕事に精を出しているのだった。
……と、これまでのことを思い出していたら、またぼんやりしてしまっていたらしい。
気が付くとメーアとはぐれてしまっていた。
(どうしましょう、ひとまずあの子を探さなくちゃ。……あら? ここ、は……)
人気のない、大神殿の片隅。
ふと既視感に襲われ、ライラはふらふらと薄暗い廊下を進む。
暫くすると、行く先から光が差し込んでくる。
そこはちいさな庭園だった。
華やかというよりは素朴な花々が多いものの、よく手入れされているのだろう、その様子は美しく保たれている。
耳を澄ますと、さやさやと小さな水のせせらぎが聞こえる。とても落ち着いた、居心地の良い場所だった。
なんとも不思議な気分に襲われ、ライラはしばらくその場に立ちつくす。
……ここは、前世の自分が密かに好んでいた場所だった。
ここは滅多に人が通ることは無く、いつも静かな空気が流れている。
多忙な聖女の仕事の合間、一人になりたいときは、必ずここに来て、ぼんやりと時間を過ごしたものだった。
と、その時である。
「……ここに人がいるのは、珍しいな」