16年
しばらくの後。彼は、そっとライラから離れた。
「ふふ。落ち着かれましたか、レグルス様?」
「ああ。……迷惑を、かけた」
「いいえ、迷惑なんて。役得でした」
「やめてくれ……」
彼は項垂れて顔を隠す。
その耳が僅かに赤らんでいるのを見ると、落ち込んでいるというよりも照れているのだろう。
それに気づき、ライラはまた、ふふ、と笑い声をこぼす。
「……ねえ、殿下。訊いても、良いですか」
「……なんだ」
ライラが「殿下」と呼んでも、もう彼は修正を求めることはしなかった。
「殿下は、何故。王太子の座を退いたのです?」
「ああ。……そう、だな。君には話すと、言っていたな」
レグルスがゆっくりと顔を上げる。しかし思いあぐねるように、彼は視線をさまよわせる。
そのまましばらく沈黙が続き、やがて彼はゆっくりと口を開いた。
「16年前、君が……ラウが、俺が受けた傷を癒し、目の前で消えて。俺は、君をそこまで追いつめた、己の立場――王太子という立場を、愛せなくなった。それに、君が置かれた立場や、その身体の状態を、俺は気付けなかった。最も身近で、最も大事だった人のことを、俺は全くと言っていい程知らなかったんだ。……そんな男が、一つの国を率いていける筈がない」
「……殿下」
「聖女が持つ癒しの力が己の身を削るものだということを、俺は知らなかった。癒しの力が強い者ほど、その反動は恐ろしく、重い。それに、聖女それぞれが得意とする力の方向も、どうやら違うらしいと知った。人の身体を癒すことに長けている者もいれば、心を癒す方が得意な者もいて……世間一般が思う程、聖女の力は万能ではないのだと、それにようやく気付いた」
「……」
「そうして改めてこの国を見渡すと。この国は、聖女の奇跡に余りにも頼りすぎているように、俺には映った。この国の者は、どれほど大きな怪我をしても、大きな病気をしても。いやもしかすると、どんなに小さな怪我であろうとも。神殿にいる聖女や修道女に頼れば、たちまち治してもらえると、どこかで思っている。……それが歴代の彼女たちの献身の上で成り立っていると知らずに」
だから、と、彼は続ける。
「癒しの力に頼らずとも、己の身体を癒す術を知るべきだと――知りたいと、俺は思った。その力を持たぬ俺でも、何か出来ることは無いかと。……初めはこの国にいる薬師に、教えを乞うたのだが。学ぶうち、彼らの技が、癒しの術を補助することを前提に編まれていることに気付いて……それでは駄目なのだと、思って。……そんな時、隣国の『智の都』出身の老師に、出会ってな。そちらには人の病気や怪我を治す術――『医術』を扱う、『医師』と呼ばれる者たちがいると、教えてもらい。居ても立っても居られず、単身修行に出て……こちらに戻ったのは、数年前だったか」
そこで、レグルスはふと視線を上げ、ライラと目線を合わせる。そしてかすかに、微笑んだ。
「今は、この国でも『医術』を根付かせようと、地道に活動しているところだ。……あの建物を見たろう? あそこは、『医術』の学び舎だ。まだ、とても小さな施設だがな」
「そう、ですか。……そう、だったのですね……」




