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三話 中 [ダニエル視点]

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「ダニエルくん! 君はやっぱり素晴らしいよ! もはやこのまま我が研究部に所属してはくれまいか!?」

「部長がミミィに話を通してくれるなら構わないが」

「よーしやっぱりこの話は無しにしよう!! これからもたまには協力してくれると嬉しい!!」

「ああ。時間が合えば」


 笑顔のまま勢いよく判断を切り替えた部長は、別れ際に俺の披露した魔法について更に賞賛を重ねた。

 彼は明るく研究熱心で、至極良い人だと思う。ミミィには利用されている気がしてならないが、彼だって貴族なのだから、その辺りは承知した上で探究心を優先したのだろう。


 今更言うまでもないが、俺は大分友人の少ない人間である。親しい人、と聞かれて思い浮かぶ人間は親族かミミィか、という程には。

 社交の場で失態を犯すほど人付き合いに向けていない訳ではないが、積極的に交友関係を広げて上手く立ち回れるほど器用でもない。今ぐらいの立ち位置が俺には丁度よかった。


 何より、ミミィは俺が下手に交流を持って妙な虫がつくのを嫌がる。普通は逆じゃないかと思うのだが、確かにミミィは近づいた虫すら食らうような華なので、呑気に風に揺れている俺の方が心配になるのはまあ、分からなくもない。


 ただ、ミミィはあまり分かっていないと思うのだが、俺のような花に惹かれる虫はそう多くはないのだ。殆ど居ないと言っていい。

 恋は盲目、というのはどうやらミミィ程の人間でも当て嵌まるようだった。


 学園を出て、普段は通らない道を選んで歩く。

 何か面白い──ミミィを楽しませられるような──店がないかと探してからしばらく。


「………………」


 背後から後を付けてくる人間の気配に気づいて、ほんの一瞬足を止めた。


 本来は人通りの多い道に向かう筈だった足取りを、人気のない裏路地へと向ける。

 聞こえる足音は軽く、気配からして手練れでもない。むしろ素人だ。


 こういう時、わざわざ俺に手を出してくるような輩は大抵ミミィの商売敵……というか、ミミィのせいで被害を被った下級貴族であることが多い。

 正当な抗議や裁判を起こすタイプならまだ話し合う余地があるが、こんな風に、最初から跡を付けて回ってくる相手は大抵は暴力に訴える人間だ。


 人気のない場所に向かうことで尾行の失敗を察して離れるのならば、探偵や調査官の類である。

 そして、人目のない場所で二人きりになるまで後を追ってくるような人間は、雇われの暴漢だ。


 巻き込まれるのは困ったものだが、言ったところで聞きやしないのがミミィなのだから、降りかかる火の粉は自分で払わないとならない。

 まあ、大抵の人間はミミィよりは弱いので、俺でもまだ何とかなる。


 音の反響から距離を測りつつ振り返ると同時に、やけに幼い声が響いた。


「お前がダニエル・グリエットだな?」


 立っていたのは、まだ十を越えたばかりかと言うような少年だった。

 人混みを歩いていても最低限違和感のないような衣類に身を包んでいるが、よくよく見れば日常的に栄養が足りていない暮らしをしているのが分かる。


「そうだが。俺に何か用か?」

「アリアーデ様がお前を呼んでいる。僕に着いてこい」

「…………」


 少年の手には武器らしいものは一つもなかった。だが、一目見てすぐに分かった。

 彼の首元には、魔術式の刻印が刻まれている。術式が人類に伝わっているものとは違うが、用途には心当たりがある。

 自分に逆らった存在を罰し、下手すれば首を落とし命を断つ、罪人用の魔法だ。此方の法では、二十年前に禁呪指定されている。


 要するに、彼は使者であり、同時に人質なのだ。


 ……多分、ミミィだったら気づいた上で明確に無視しただろう。

 見も知らぬ、それも貴族社会にもいないような子供を人質に取ったどころで、それを気遣ってくれるほどミミィは優しくはない。


 だからこれは、俺を狙って持ちかけられた脅しだ。

 何処の誰が首謀者かは分からないが、黙って言うことを聞かなければ、この子供を殺すと言っているのだ。


 弱ったことに、俺にとっては暴力に訴えられるよりもよっぽど解決の難しい問題だった。


 仮に何処ぞの誰とも知らぬ相手だとして、幼い子供の首が腐り落ちる様なんて見たくはない。

 しかも、こんな追い詰められた目をした子供の。


 抵抗の意思はないことを示すように両手を上げると、少年は僅かに肩の力を抜き、そしてそれを自分で律するように鋭い動きで俺を指差した。


「それと、そのチョーカーを外せ」

「…………多分、後悔することになると思うんだが」

「いいから外して捨てろ!」

「…………分かった」


 絶対に譲れない事情があるのだろう。少年の目には薄らと涙の膜が張っており、今にも雫となって零れ落ちそうだった。

 彼を刺激しないで済むよう、最小限の仕草で首元へと手を伸ばす。頸の金具を外せば、チョーカーはすんなりと首から離れた。


 路地裏に廃棄された樽の上に、軽く放り投げる。出来れば後で回収したかったが、難しいだろうな、と思った。

 ミミィの莫大な魔力が込められた品なので魔物や野良猫が持っていく心配はないだろうが、逆に金に困ったような人間が拾って売り捌いてしまうだろう。


 売られた方が回収しやすかったりするだろうか。逡巡の合間では判断がつかなかったので、ひとまず俺は目の前の少年に集中することにした。


「外したぞ」

「……ついてこい、余計なことは喋るな」


 強張った声で告げた少年の背を追う。入り組んだ裏路地の更に奥へと進み、一際深い影の落ちた角で立ち止まる。

 彼は、苦虫を噛み潰したような顔で首に下げたネックレスを手に取ると、叩きつけるようにして漆黒の宝玉を地面へと叩きつけた。


 途端に、地面に円形の魔法陣が展開した。少年の首に刻まれたものと同じ、人類史には記録のない魔法術式だ。

 多分魔族のものだな、と頭の片隅で考えた頃には、俺の身体は黒く眩く光に包まれていた。



 ────目を開くと、見慣れない景色が広がっていた。

 広大な森だ。空は紅く、黒い針葉樹ばかりが並んでいる。人類の生活圏ではないことは確かだった。随分と遠くに来たものだ。


 召喚術式を転移に応用しているのか。

 多分、上手くやらないと再構成された身体がバラバラになって死んだままになるやつだな。


 手のひらを見下ろし、指の動きを確かめる。身体に異常は無いようだった。まあ、今の所は、という話だが。

 鬱蒼たる森を少年の案内で抜けると、立派な城が建っていた。全体的に黒々と陰鬱な色合いをしている中に、妙に弾けた色の宝石が散りばめられていた。


 物語の魔王城と言うものが現実にあったとしたら、きっとこんな形をしていることだろう。ちょっとばかり、センスがあれだが。

 少しどころではなく嫌な予感がしたが、なんにせよ、俺に引き返すという選択肢はなかった。




「────ああ! ダニエル様! お待ちしておりましたわ……!」


 連れられた城で、俺は見知らぬ女性に出迎えられた。長い黒髪と緋色の瞳が特徴的な、少し幼い顔立ちの女性だ。

 少なくとも、俺は顔を合わせたことはないし、記憶にもないので貴族でもない。

 そもそも魔族の術式を使っている時点で面識がなくて当然なのだが、あんまりにも親しげな笑みを浮かべているから、一瞬何処かで会ったことがあったか、と思ってしまった。

 無い。さっぱり無い。


「お会いしとうございました、ダニエル様! どうかわたくしのことは、アリアと呼んでくださいませ……」


 ただそうなると、彼女がやたらと此方に好意的な態度を取っていることに疑問が湧く。

 俺はてっきり、此処で『お前がミシュリーヌ・シュペルヴィエルの飼い犬か』と嘲笑でもされて、身柄と引き換えにミミィに何か取引を持ちかけるつもりだと思っていたのだが。


 そういえば、最近は称号が『騎士』に変わったのだったか、などと思った辺りで、俺を連れてきた少年が悲痛な叫び声を上げた。


「サラはどこだ! こいつを連れてきたら助けてくれるんじゃなかったのか!」


 此方を見上げていた緋色の瞳が少年に向かうと同時に、俺は彼を突き飛ばすようにして立ち位置を奪った。


 腹部への衝撃の後に、ぐっと息が詰まる。視界には、女の手に握られた豪奢な扇が映っている。

 反射的に風魔法で防壁を貼ったが、魔術式が異なるせいか、普段ほど防ぎ切れてはいないようだった。


「ああ! いけませんわ、ダニエル様っ!」


 堪え切れずに咳き込めば、悲痛な声を上げた女は膝をついた俺にわざとらしく寄り添った。


「こんな小汚い孤児を庇って怪我をなさるだなんて……やはり貴方様は清らかで美しいお方! あんな毒婦に誑かされて……おいたわしや……」


 毒婦、というのはミミィのことだろうか。訂正して欲しいが、恐らく俺がそれを口にすれば少年の首は腐り落ちてしまうに違いない。

 この女は、先ほど確かに子供には過ぎた暴力を振るおうとした。


「……誰なんだ、貴方は」

「わたくしはアリアーデ・キナ・エルビルパシュ、この魔界の王女ですわ。そして貴方様はわたくしの夫となり、魔界の王となる御方! そこのお前、この方の慈悲に感謝して平伏なさい。無礼な奴隷の身まで案じて下さる方でなければ、お前の首などとうに落としているのよ!」


 目眩がする思いだった。

 道を歩いていただけで、魔界の王女に攫われて婚約者にされそうになっている。


 口振りから察するに、彼女はミミィを知っている。知った上で、奪っても構わないと判断したのだ。

 それは魔族故の傲慢さなのか、王女ゆえの傲慢さなのか、それとも彼女個人が持ち合わせたものなのか、俺には分からない。

 ただ一つ言えるのは、ミミィが知ったら、とんでもなく怒るだろうな、ということくらいだ。


「こんな奴隷など放っておいて、わたくしとお話ししましょう? アリアのことを知ってくださいな」

「……彼は奴隷なのか? 人間は奴隷制を禁じている。貴方の振る舞いは、不愉快だ」


 口答えをすることで場が不利になることは考えた。だが、俺にだって我慢のならないことはある。


 目を見開いた王女は、両手を握り合わせると、わざとらしく目を潤ませた。


「申し訳ありません、ダニエル様! ですが、魔族は奴隷を禁じてはおりませんの。此処は魔界ですのよ、貴方は魔界の王になるのだから、早く慣れて頂きませんと」


 ひとつ、話が通じないのはよく分かった。

 やるせないことに、俺はこの類の手合いに対して有効な手段を持っていない。


 仮にミミィが俺の立場なら、言葉巧みに籠絡して、国を丸ごと乗っ取っているだろう。

 そして『囚われの姫』をやってみるのも面白そうだ、と俺を待つに違いない。


「…………だが、貴方は俺の妻になるのだろう。だったら俺の言うことを聞くべきだ」


 ミミィに聞かれたら俺ごと殺されるかもしれない、と思うと割と冷や汗が出た。

 目の前の魔族より、ミミィの方が余程恐ろしい。殺されるかもしれない。いや、本当に。殺されるかもしれない。


 けれども、今のこの場で、最も権力を持つ彼女に対して行動を諌める方法があるとしたら、彼女が俺に持つ不気味な好意を利用することだけだった。


 王女は何やら恍惚とした表情で、熱のこもった視線を俺へと向ける。


「アリアと婚約を結んでくださるのですね……! ああ、やはり運命の相手というものは、一目で惹かれ合うものなのですわ! うふふ、やはりダニエル様は、アリアの聖騎士様です……」


 うっとりと呟いた王女は飛びつくように俺に抱きつくと、満足した様子でそれ以上少年に構うことはなかった。

 余計なことは喋らないでくれ、という思いを込めて、少年へと目をやる。

 突き飛ばされたまま呆然と固まっていた少年は、俺が視線に込めた意図を察してくれたのか、それ以上は何も言うことなく、存在感を消すようにじっと推し黙った。


「お部屋にいらしてくださいな。ダニエル様のために御用意しましたの」


 ミミィは、自分の所有物に要らぬ傷がつけられることをひどく嫌う。

 もちろん身体的な実害も含めるが、婚約者という立場である俺にとっての『傷』というのは、要するに他の女に関係を迫られ、不義の子を成すことだろう。


 王女と名乗っただけあるのか、行為については婚儀の後にしましょう、となんだか恥じらいつつ言われた。

 安堵と嫌悪が斑らに混ざった、なんとも言えない不快感を伴った感情が浮かぶ。


 王女は俺を一室へと案内して手枷をかけると、傷の治療をすると言って医師か何かを呼びに行った。


「…………参ったな」


 心からの言葉だった。


 脱出そのものは出来なくはない。人的被害を少しも頭に入れなければ、の話だが。

 少年の呪縛は、かけた術者が死ねば解けるような代物ではない。むしろ魔導師が死んだことで厄介な性質を露わにし、更に苦しめることすら有り得る。


 加えて言えば王都に戻る方法が現状見当たらない。その上、あの少年は自分の命以外にも人質に取られた大切な人がいるようだ。

 サラ、という人は何処に監禁されているのだろう。無事だといいんだが。


 それに、他にも捕えられている人達がいるかもしれない。

 魔族内で奴隷が居るのは、まだ彼らの価値観なのだから口を出す道理がないが、人間を攫ってきて奴隷にしているのは問題だろう。

 下手したら魔族対人間の戦争の火種にだって成り得るし。


 なんとも頭の痛い話だ。

 大体にして、彼女はどうして俺を選んだのだろうか。


 疑問には、その夜に答えを与えらえた。一冊の本を手に部屋へとやってきた王女は、夢見る少女のような顔で、熱を帯びた白い頬を緩めながら『聖なる騎士の伝説』について語った。


 誠実にして清廉、完璧な白の騎士は、悪の手によって城に囚われた王女を救い、二人は恋に落ちるのだ。どうもその『白の騎士』の絵姿が、俺に似ているらしい。

 こういうのは本来、類まれな美丈夫とかが描かれるものではないのだろうか。なんてことをしてくれたのだろう。俺は見も知らぬ画家をひっそりと恨んだ。


 そもそも、この場合は俺が『囚われの姫』だ。姫って顔でもないが。

 丁寧に整えられた漆黒の城で、もてなされるかのようにして監禁されている。豪奢な調度品に囲まれ暮らす様は、確かに王族に相応しい華やかさだ。


 だが、そこには妙な違和感があった。

 彼女は、本当にこの国の正当な王女だろうか?


 王族が暮らす城にしてはあまりに護衛らしき存在が少ない。

 そもそも、いくら王女が望んだとはいえ、魔族には魔族の正当な血筋というものがある筈だ。

 俺のような人間を軽率に城に招き入れ、あまつさえ結婚したいだなんて、国王が許すとは思えなかった。


 けれども、多数の奴隷を抱え、彼らを魔法で脅し、命を盾にこき使っているという事実は変わらない。

 サラというのは、少年の妹なのだそうだ。兄妹二人、母を亡くして、もとより愛情に欠けていた父に売られて此処まで辿り着いてしまったらしい。

 二日目の夜、王女が『買い物』をした時の話で聞いた。


 少年やサラという人に手を出さないように、という言葉には従う素振りを見せたが、彼女はそれ以外の言葉はほとんど取り合おうとはしなかった。

 結局のところ、彼女も憂さ晴らしに使える奴隷を早々に処分するつもりはないから、俺の言うことを聞いたふりをしているだけなのだろう。


 もし此処にミミィが居たのなら、一瞬で魔力によって効果を上書きして食い止めた後、治療に当たることが出来るのだが。

 ただ、この状況で、俺を攫うのに加担した人間をミミィが助けてくれるとも思えない。俺を傷つけることは、ミミィの矜持を傷つけることと同義だ。


 不得手ではあるし時間がかかるが、少年を助けるのは、気づかれないように気を払いつつ俺がやるしかないだろう。


 この生活が長引けば長引くほど、ミミィの怒りを収めるのは難しくなる。なんとか言って止めたいが、その言葉が見つからない。

 ミミィは俺の不義を疑ったりはしないだろうが、怒りを覚えるか否かは別だし、それを我慢してくれるかどうかも別である。

 どうにかして、ミミィが辿り着く前に、俺が彼らを救わねばなるまい。でないと、みんなまとめて火の海で屍人と踊る羽目になる。


 ……参ったな。

 どうして俺は敵ではなく味方の、それも愛する婚約者への対処で頭を悩ませているのだろう。

 なんとも難しい問題だった。






「ダニエル様……アリアは幸せ者ですわ……」


 不甲斐ないことに特に脱出の手立てもないまま、三日が経ってしまった。

 王女はうっとりとしなだれかかり、日がな一日、俺の側で過ごしている。魔族の王女というのは、何も仕事がないらしい。羨ましいことだ。


 ところで。俺はミミィがこの城に辿り着くこと自体は、一欠片も疑っていなかった。


 チョーカーには莫大な魔力が込められており、誰が見たってあれこそがミシュリーヌ・シュペルヴィエルの与えた証だと思うだろう。

 外して捨てさせたこと自体は確かに正しい判断だ。あれがあれば、ミミィは何処にいようと俺を見つけることが出来る。


 ただ、あれはそもそも、付け続けること自体が重要なのだ。

 継続的に特殊な効果の施された魔道具を身につけることは、その身に魔法式を刻むことに等しい。本人の魔力にすら同化し、一生を共にする首輪だ。

 つまるところミミィは俺に、一生物の首輪をつけようとしている。指輪より先に、だ。


 …………。

 王女もミミィも、まあ、やっていることは似ている。

 どちらも、相手を自分のものにするためなら手段を選ばない。


 ただ、ミミィは俺を鍛え導くことで、与えられるものは全て与えてくれた。

 俺はミミィのそういうところが好きだ。彼女は気に入った者には試練を与え、それを乗り越えたものには相応の褒美を与える。


 今俺の隣で満足げに身を寄せる彼女は、奪う側の者だ。俺という存在を消費しているだけで、彼女が俺にもたらすものは何一つないだろう。愛でさえ、だ。

 彼女は幻想を愛し、理想に付き合わせるための人形として俺を求めた。


 俺は別に、俺自身を蔑ろにされるようとどうということはない。傷つくようなプライドは持ち合わせていないし、実際、俺はミミィに比べれば不出来で凡庸な男だからだ。なんたって、少年に刻まれた術も三分の一ほどしか解除できていないのだし。


 けれども、俺の人格そのものを無視してまで愛されることには、素直に嫌悪感を抱いた。この歳になって初めて苦手なものが分かったとも言える。

 これはなんというか、かなり、気色が悪い。





「……ロニー、もしも呪縛が解けても、下手な態度は取らないでくれ。同時に偽装はしているが、君がおかしな行動を取れば作動しないことがバレる」

「…………分かった」


 王女がいない隙を見計らって、俺は少年の首にかけられた呪縛を少しずつ解いていた。

 はっきり言って、こういう細かい作業はあまり得意ではない。

 だが、そんなことを言っている場合でもなかった。もう一週間も経っている。割と本当に恐ろしい。何って、動きがないことが、である。


 城に来て五日が経つ頃には、ロニーは俺に対する警戒心を解いたようだった。

 自分の呪縛を解いてくれると察したのはもちろん、もしかしたら妹も救ってくれるかもしれない、と分かったからだ。


「…………なんで助けてくれるの?」


 少年は、心細そうに揺れる瞳で俺を見上げた。彼は、俺が奴隷の人たちの身を案じて逃げ出さないのだと気づいている。貴族がそんなことをするだなんて、平民の彼からすれば信じ難いことなのだろう。


 俺はなんと答えようか少し迷った。

 まさか、『早いところ助けて俺が自力で逃げ出さないと、多分魔王より恐ろしい存在が来てこの城を滅茶苦茶にするからだ』とはとてもじゃないが言えなかった。


「君の首が落ちるところを見た後で、よし、美味しい晩御飯を食べよう、とはなれないからな」


 なので、俺は本音の中でも当たり障りのないものを吐き出した。

 実際、無辜の民が魔族に利用され不遇の死を遂げた様を見た後で、楽しく食事をする気にはなれない。あの辺はいい店が揃っているから、訪ねる度に思い出すのもあまり嬉しくはなかった。


 俺のような矮小な人間は、手の届かない範囲についてまで守るようなつもりには到底なれない。

 けれども、目の前で被害に遭っている人間が、もしも自分の選択一つで救えるというのなら、まあ、それなりに頑張るつもりはあった。


「…………ありがと」

「礼は無事に終わってからにしてくれ」


 なんせ俺は囚われのお姫様も同然で、まだ何も出来ていないからな、と呟いた俺に、少年はちょっぴり笑みを滲ませながら、涙声で頷いた。




     ◇   ◆   ◇




 ────青天。とある魔の森にて。

 ロザリー・ペルグランは耐え難い頭痛に襲われていた。

 思わず蹲ったロザリーを、チェレギンが振り返る。馬上でなくて良かった、とロザリーは頭の片隅で思った。


「ロザリーさん? 如何されました」

「あ、頭が……割れそうなほど痛くて……」


 掠れた呻き声を聞いたチェレギンは、手早く魔法式縮小鞄(マジックバッグ)から簡易な野営用の寝具を取り出すと、ロザリーをそこへと横たえた。

 眼鏡越しの瞳がロザリーを確かめるように注意深く見つめる。


「スキルに異常が出ていますね。固有スキルへの対処は難しい、一旦鎮痛薬を飲みましょう」


 スキル『プレイヤー』。神が与えたもうた、気まぐれな残滓のひとつ。

 世界の行く末を見通し、万物を掌握する力すら得られる奇跡の力だ。


 だが、実際に無数に分岐するあらゆる特異点を網羅し読み取ることは至難の業である。

 年齢と共に人生の岐路に立つこととなるプレイヤーは、もちろん、それに応じてレベルを上げなければならない。

 鍛錬を怠ったロザリーには、もはや複雑すぎる世界の有様を読み取る力は皆無に等しかった。


 それでも尚、驚異的な力で持って捻じ曲げられる特異点には、スキルはきっちりと反応する。


『鬲疲酪縺ョ邇句・ウ繝 ゥ繝?ぅ繧「繝███ィ繝ォ繝吶Ν 繝斐██縺悟ゥ夂エ??

 ?r螽カ繧翫?∽ク也阜縺ッ諱 先?縺ォ髯・███ょ█ 轣ス縺ョ謔ェ霎」蟋███閨

 悶██倶ケ吝・ウ縺ョ蟆弱″縺ォ繧医▲縺ヲ荳也███ッ螳牙

 ッァ繧貞叙繧  頑綾縺 吶□繧阪≧縲』


「うう……文字化け……文字化けが……!」

「モ・ジバッケとは? 白煙狸(タモ・コッロ)の亜種ですか?」

「ぐうう……!」


 彼女の視界は完全にバグによって侵食されていた。チェレギンは淡々と鎮痛薬を飲ませ、ついでに水も飲ませる。

 彼の『鑑定』スキルは、少なくともこれが死に至る病や精神破壊に至る症状ではないことを見抜いていた。

 ただ、とても辛いだろうとは思うので、そっと氷嚢効果のある魔道具を額に置く。


「お、お姉様……が……危ない……」

「大丈夫でしょう。貴方の姉君は千年に一人の逸材、稀代の化け物でいらっしゃいますよ」

「あ、相手が………………」

「ああ、そればかりは。ワタクシめにはなんとも」


 ロザリーには〈予言〉の文面は読めなかった。けれども、本能で察する。

 これは明らかに超弩級の緊急事態が起きていて、尚且つ、規格外の『何か』が関わっているのだ。


 そんなもの、義姉か、あの『悪辣姫』に決まっている。

 ……あるいは、そのどちらもか。


 ロザリーは青ざめた顔で呻いたまま、久しぶりに、神に祈った。




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