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三話 前 [ミシュリーヌ視点]


「こんにちは、ミミィ様! 今日の放課後、共に新しく出来た喫茶店に参りませんか? ウィルレラ国で修行した方が始めたお店だそうです!」

「あら、いいわね。たまには貴方の薦めに乗ってみようかしら」

「味の保証は致しかねますが、きっと楽しんで貰えると思います!」

「……私をそんな文句で誘うのは貴方くらいよ、ノエル」

「なんと! それは恐れ多い名誉ですね!」


 午前の授業を終え、昼の休憩に入った頃。魔導訓練棟から駆けてきたらしいノエルは、二階のバルコニーから中庭のテラスに飛び降りると、そのままの勢いで中央のテーブルにいる私に放課後の誘いをかけた。


 近道に使うには便利なのでしょうけど、淑女としては大分どうかと思う移動手段ね。まあ、この破天荒な特待生にわざわざそんな指摘をするものはもはや居ないのだけれど。

 この子、私とは違う意味で『触れてはいけない存在』として扱われていることに気づいているのかしら。


 褒めてもないのに照れたように笑い始めるノエルが元気よく去っていくのを見送って、少し冷めた紅茶に口をつける。対面に座るダンも同じようにノエルの背に目をやり、何だか微笑ましいものを見るように唇の端を少し緩めた。


「ノエル嬢はいつも元気だな」

「ええ、ちょっと元気過ぎるくらいね」

「新しく出来た店──というと、海岸の丘に出来た店かな。美味かったら教えてくれ、俺も行きたい」

「それは構わないけれど、あまり期待しない方がいいわよ。ノエルが見つけてくる店は大体何処か微妙だから」


 ダンには今日の放課後、魔術研究部の部長に乞われて研究の手伝いをする予定が入っている。ランベルトとの決闘でダンの実力を目の当たりにした部長にどうしても、と頼み込まれて断り切れなかったのだとか。

 どうせダンについて調べた所で大した成果が上げられるとは思わないのだけれど、誠実に頼まれた以上は無下にすることも出来ないのだろう。

 そもそも研究の第二段階における魔術形式の検証自体が間違っている、と教えてあげるつもりはない。

 あのまま間違いを突き詰めていけば部長の目的とは違う分野への足掛かりになる気もするのよね。私が欲しいのは其方側の研究結果だから、ダンを協力させる対価として受け取るのならこのまま間違ってくれていた方が都合が良い。


「『微妙』なのに毎回付き合ってやるんだな」


 上手い方向に転がればいいのだけれど、なんて思いながら焼き菓子を摘まんだところで、苦笑交じりの声が耳を撫でた。目を向ければ、やや呆れた様子のダンが小さく笑っている。


 まさか決闘後にここまで仲良くなるなどとは思っていなかったのだろう。その点に関しては私も完全に同意見だった。ノエル・ペルグランと此処まで付き合いを深める予定は無かったし、今だってそうだ。

 あの子が勝手に突き進んでくるから、押し返すのも面倒なのよね。ただ、まあ、それも別に悪くは無い辺り、きっと私はあの子を相当に気に入っているのでしょう。


「だって面白いもの。私なら絶対に選ばない店を選んだ挙げ句、案の定ろくでもない料理が出てくるのよ。しかもあの子、馬鹿正直だから美味しくないものが出て来たら『昔食べたユヴィキ草の味がします!』とか言い出すのよね。店内で雑草の名前を大声で出した挙げ句、店主に向かって『もしや隠し味に使用されているのですか?』なんて聞き始める始末よ」

「………………それは、また、なんというか…………怖い物知らずだな」

「馬鹿にされているのかと怒った店主に対して更にユヴィキ草の有用性と栄養について唱え始めるから、一旦置いて出て来たことがあるわ。知ってる? あの草、茹でると味が酷くなる代わりに数枚で魚一匹程度の栄養が取れるようになるんですって」

「……いや、知らなかった。あの草、食べられるのか」

「非常食って呼んでたわ」


 ノエルと共に出掛けると、やたらと食べられる草花について教えられる事が多い。彼女が育った孤児院ではそのようにして食料調達をしていたのかと思えば、単にノエルが自分で見つけていただけのようだった。

 孤児院には補助金が出るとはいえ、全員の生活を支えるには乏しい金額だ。出来る限り皆に良い思いをさせたい、と自分の食い扶持を自分で稼ぐことを考えた結果、どうやら『食べられる雑草を見つける』という奇行に走ったらしい────というのが建前であることは勿論理解している。


 強大な魔力を持つノエルは孤児院でも酷く浮いた存在であり、どうやらシスターも扱いに困っていたそうだ。人格的には善良であっても、本人すら制御出来ない力は周囲にとっては脅威でしかない。

 実際、怯えた子供達によって『悪魔』とまで呼ばれ忌避されたノエルは、敷地内にある廃屋同然の小屋に住まわされていた。自身で食料調達をしていた点から見て、恐らくは食事の割り当ても少なかったのだろう。


 一年前に調べた情報からの予想だが、恐らくそう大きく外れてはいない筈だ。

 更に言えば、この一件を本人は極めて前向きに捉えていて、事情を一部隠して話すのもノエル自身が気にしているからではなく、話を聞いた此方に要らぬ心配をかけたくない、といった気遣いだろう。そもそも気にしていたら『雑草を食べる』なんて話を自分から出す訳がない。


 雑草を食べていた境遇に対しては心配も憐れみも抱かないけれど、雑草を食べていた事実自体には少々言いたい所があるわね。『たまに虫がついていてお得です!』とまで言い出すのだもの。どこがどうお得なのよ。言いたいことは分かるけれど、分かりたくないわ。


 類い希なる魔力自体は素晴らしいものだったが、それはあくまでも貴族の子供として生まれれば、の話だ。

 血の繋がらない子供、それもこの先きちんと制御出来るようになるかも分からない程に強大な力を持つ者を喜んで迎え入れるような貴族はそう多くは無い。ペルグラン家の前に一度引き取ろうとした貴族もいたようだが、結局はノエルの力を制御する手立てがなく、孤児院に戻されたのだそうだ。


 そんなノエルを引き取り、セレネストリア学園に特待生として入学できるまでにしたのがペルグラン家だったのだから、彼女がペルグラン家に多大な恩義を感じるのも当然の話だった。

 ペルグラン家────より正確に言うのなら、ロザリー・ペルグランという女が、制御不能だったノエルを此処まで優れた魔導師にしたのだ。


 ロザリー・ペルグラン。くだらない勘違いから私とダンの仲を引き裂こうとした愚か者であり、ノエルの義妹であるあの女について探った時に出て来たのは、『聖女』やら『先見の女神』やらといった、極めて大仰な呼称ばかりだった。

 ペルグラン家の領地は王都からはかなり遠い。小さな土地でやたらと大袈裟に持ち上げられているだけかと思えば、ロザリーには本当に、『予言』としか思えない力があるようだった。


 大雨による水害を予知して領民を守り、父であるペルグラン家当主の大病を予言して適切な医師を呼びつけ、女癖の酷い当主に忠告を重ねて生活の改善を図る。

 おかげで領民からは『天の使い』とまで呼ばれており、そこに加えて『千年に一人の逸材』であるノエルを孤児院から連れてきたのだから、彼女の地位はまさに領地では神よりも尊い位置にあった。


 行いだけ見れば、まさに善良かつ優れた『神童』とも呼ぶべき人間である。

 ただ、その噂はあくまでも幼少期の行いから生まれたもののようだった。学園に入学する頃にはほとんど新たな功績の話はなく、ただ周囲からの信奉心だけが集まりつつあるようだった。

 そんな『神童』の行いの行き着く先が勘違いによる『私とアルフォンス殿下の婚約破棄』だった訳だけれど、これがまた、思惑が理解が出来ない。不可解に思って調べ上げるも、やはり出てくるのは異常なまでの『先見の明』に関わる話ばかりだ。


 本人から感じる稚拙さや幼稚さとはあまりにも印象が異なる点が気になった私は、ロザリーの正体を探るためにチェレギンを呼びつけた。


 高レベル鑑定スキル持ちのチェレギンを相手に素性を隠せる人間は殆ど居ない。私ですら、属性を誤魔化す術を得て尚、チェレギンには筒抜けだ。

 ロザリー・ペルグランの異常とも言える力についても何か分かるかもしれない、と『和解の場』として用意しロザリーを招待した茶会にチェレギンを同席させたのが、決闘から一週間後のことだった。


 参加者は私とチェレギン、そしてロザリーの三人のみ。茶会というより密会染みている場にルーシェは渋い顔をしたけれど、調べれば調べるほど不可解な存在でしかないロザリーに、ダンやルーシェを不用意に関わらせるつもりはなかった。

 既に自分が犯した過ちについては理解していたのだろう。決闘後からは人が変わったように消沈し、何処か怯えたように過ごしていたロザリー・ペルグランは、私の誘いにも力無く頷くばかりで大した抵抗も見せなかった。


 その態度そのものにも、違和感ばかりがつきまとう。周囲が彼女の言葉を信じ切っていたのは、彼女がこれまで成してきた『予知』とも言える結果があったからこそだ。能力自体は本物だと言える実績があるのだから、仮に失敗したとしても何かしら対策や抵抗を見せると思っていたのだけれど、これは一体どういうことかしらね。


 招待状に記載した通り、誰も連れることなく一人で現れたロザリーはごく一般的な淑女の礼を取ると、やはり力の無い声で面白みの無い挨拶を口にした。


 顔を上げたロザリーの表情は強張っている。緊張とも怯えとも取れる青ざめた顔を眺めて数秒、マナーも何もない態度で脇に立っていたチェレギンが「おや」と呑気な声を上げた。


「なんと、珍しい。転生者ではありませんか」

「……転生者?」


 文献でも中々出てこない単語に訝しみつつ繰り返すと、ロザリーの肩が小さく跳ねるのが見えた。強張っていた顔が今度こそ恐怖に歪み、警戒を持ってチェレギンを視線を向ける。私のことはすっかり眼中に無い様子だ。

 どれだけ柔和に見せようとやはり何処か胡散臭い笑みを浮かべているチェレギンが、商品の説明をするときと全く同じ声音で口にする。


「此処とは異なる世界からやってきた魂が、此処の世界の者として産まれ直すことです」

「定義は知っているわ。実在するのを見るのは初めてだけれど、本当に転生者だというの?」

「ワタシの目に狂いがなければ、そうでしょうとも。転生者の多くは類い希な力を得て生を受けます、彼女は貴方様が仰っていた『予知』に当たる能力をお持ちなのでしょう」

「成る程ね。ところで、もしやと思っていたのだけれど、貴方もそうなのかしら、チェレギン?」

「いえいえ、まさか。ワタシはそんな大層な存在ではありません、そうですね、言うなればワタシは、転生者ではなく、転移者と言ったところでしょうか」


 頭の片隅に置いていた疑問をここぞとばかりに投げ掛かれば、チェレギンはなんともあっさりと答えを返した。

 神出鬼没を気取っている上に身を隠すように暮らしているものだからてっきり素性も隠したいのだと思っていたけれど、どうやらそこまで大きな秘密でもなかったようだ。


 転移者、という単語にも聞き覚えはあった。転移魔法の研究時の事故事例として、『他の世界から転移してきた者』が度々出てくる。

 ただ、実際は転移による記憶の混濁や身体の変化である場合が殆どで、本当に『世界』を跨いだ者は未だ居ないと結論づけられていた筈だ。

 転生者と転移者。各国の研究者が目の色を変えて求めるような研究対象が揃った訳だけれど、とりあえずこの場で重要なのは二人が何者か、ではない。ロザリー・ペルグランが今後一切私に害を成さないように処理すること、そして、もしも可能なら私の利になる手駒にすることだ。


「ま、ワタシの話はさておきまして。鑑定結果としては間違いないとは思いますが、如何なされるので?」

「一つ確かめたいのだけれど、貴方から見てロザリーの能力自体は分かるのかしら」

「能力……と言っていいのかは分かりませんが、少なくともスキル欄には『プレイヤー Lv.13』との記載がありますねえ。詳細に関しては何とも。転生者というのは些か鑑定しづらいようです、初めての経験ですね」


 未知の体験が嬉しいのか、チェレギンは何処か喜びを感じさせる声音で告げた。商売に関わらない事柄で彼が楽しそうにしているのは珍しい。稀覯本を集める趣味があるとも言っていたし、希有な代物が好きなのだろう。実際、例のオルゴールもチェレギンの趣味が高じて手に入った代物だったようだし。

 胡散臭い笑みに喜色を滲ませるチェレギンは一先ず置き、対面に座るロザリーへと目を向ける。『転生者』であることを見抜かれてから、元より良いとは言えなかった顔色を更に悪くしていたロザリーは、目が合うと同時にさっと視線をテーブルへと落とした。


「『プレイヤー』……ねえ」


 少なくともこれまで私が目を通してきた文献には記載の無かったスキルだ。チェレギンでも読み取れない以上、本人の口から吐き出させる他無い。

 吐かせたところで私にとってメリットがあるか、と聞かれれば微妙なラインだが、このまま分からずに放置しておくのも据わりが悪い。分からないことを分からないまま放置しておくのは性分では無かった。


「ロザリー・ペルグラン。貴方の能力について洗いざらい吐き出せば、今回のことは不問してあげても構わないわよ。素直に口を割るか、それとも割らざるを得ない状況に追い込まれるか、好きな方を選びなさい」

「おや、それでは結果的には同じことでは?」

「自分から吐くか、吐かされるかくらいの選択肢は必要でしょう?」

「無意味な選択肢ですねえ」


 のんびりとした口調で呟いたチェレギンは、それでもわざわざ止める気は無いのか、一歩引いた様子でロザリーと私を眺めている。視線の先に居るロザリーは、挨拶以外に一言も発さなかった唇を細く開くと、やがて諦めたように息を吐き、静かに語り始めた。




    ◇   ◆   ◇




 ロザリーには生まれ落ちた瞬間から、視界に『正しいルートに進む方法』が見えているのだそうだ。

 視界の下部にある『天からのお告げ』(とロザリーは呼んでいる)には、常に『その時行うべきこと/これから起こる現象/次に成すべき目標』が表示されているらしい。

 例えば『イヴァン家の畑に害獣が現れ、三分の二が被害に遭う』だとか、『水魔法の適性レベルを10に上げる』だとかが常に示されているのだという。

 表示は他にも存在していて、枝分かれに分岐した目標が示されるものや、現在の自分のステータスなども見えているらしい。


 常にそんなものが見えていたら邪魔だと思うのだけれど。想像だけでも眉を顰めてしまった私の隣で、チェレギンが「ああ、わかります。邪魔ですよね」と呑気な声で同意していた。そう、やっぱり邪魔なのね。


 兎に角ロザリーにとってはこの世界において『進むべき正しい道』のようなものが常に見えていて、実際その通りにすることで領地の者の助けになったり、自分の評価が上がったり、周囲がより良くなっていったそうだ。初めは半信半疑で指示に従っていたロザリーも、やがて『進むべき正しい道』に従うことに疑いを持たなくなっていった。

 その通りにしていれば正しく、より良い結果が得られるのだ。ロザリーは表示される指示の通りにノエルを姉として迎え入れ、分岐した目標の中で最も良い道を選べていることに満足していた。


 そんな彼女に不安の種が生じたのは、その表示に『ミシュリーヌ・シュペルヴィエル』が現れ始めてからだという。表示によればミシュリーヌ・シュペルヴィエルは強大な魔力と公爵家の権力を使って私腹を肥やし、いずれは王家を乗っ取り民に圧政を敷くようになる『悪の権化』なのだそうだ。

 滅びに向かう国を救うためにはミシュリーヌ・シュペルヴィエルと第一王子アルフォンスの婚約を破棄させる他無い────そう書かれた表示に従った結果が、ノエルを使った『決闘』だった、という訳だ。


「……ここまで聞いてもよく分からないのだけれど、その表示は入学時の時点で間違っていた訳よね? どうして急に誤った情報を表示するようになったのかしら?」

「それは……………、……私にも、分かりません」

「分からない?」

「ほ、本当に分からないんです! 私はこれまでずっとお告げを信じて来たのに、どうしてこんな、急に裏切られたのか、本当に……分からなくて……私は正しいことをしている筈なのに……」


 掠れた声で呟いたロザリーの態度は、少なくとも嘘を吐いているようには見えなかった。嘘と演技で周囲を籠絡してきたのだと思っていたけれど、彼女の力から考えるに、本当に何も考えずにただ『正しい』道を選んできただけのようだ。

 全てをその『プレイヤー』スキルのせいにして誤魔化すつもりなのかとも考えていたが、そんな小細工をする必要すら感じていないように見える。愚か者、という認識はやはり間違っていないようだ。

 義理の姉妹とは言え、どうやら似ているところは似ているらしい。二人揃って盲目的に『正しさ』などというものを信じ切っている。

 少し調べれば私の婚約者がダニエル・グリエットであることは分かったでしょうに、自分の信じるものしか見ず、調べることすらしなかったのね。


「まあ、もういいわ。終わったことだもの。貴方の妙な力も今回の件で万能では無いと判明したし、研究材料にもならなそうね。約束通り不問にするわ、迎えの馬車を呼んであげる」

「ま、待って下さい!」

「……なあに? 言っておくけれど、今後同じような理由で刃向かうのなら容赦はしないわよ」

「い、いえ、その、……わ、私、これからどうすればいいんですか」

「…………どうって?」


 予想していなかった言葉に首を傾げた私に、ロザリーは落ち着きなくあちこちに視線を逃がした。青ざめた顔には冷や汗が滲んでいる。

 白く小さな手をきつく握り締めたロザリーが、震える声で言った。


「だって、私はこれまで、正しい道を進めばよかったのに、急にこんな、間違えられて、変なことになって、何が正しいのか分からなくなって、そんなの、困るんです」

「困るって、私に言わないでちょうだい。それは貴方の責任でしょう?」

「わ、わたしは、私は正しいことをしようとしたんです! そうすればみんなが褒めてくれるから! 私でも正しいことが出来るから! なのに、貴方が急に、全部めちゃくちゃにして、こんなのひどいじゃないですか」

「……一応、私は今回の件では被害者である筈なのだけれど?」

「貴方がアルフォンス様と婚約していないからおかしなことになってるんじゃないですか! 私はこれまでずっと間違えてこなかったのに、貴方が、ッ」


 鬱陶しいわね、焼き殺してやろうかしら────なんて考えて無言詠唱をしかけたところで、茶会の前にダンから言われた言葉が脳裏を過った。

 ロザリーと話をしてくる、と告げた私に、ダンはいつも通り余計なことは何一つ聞かなかったけれど、それでも少し困ったように笑った。


 『俺はミミィが気の済むようにしたらいいと思うけど、出来たら誰も傷つかないと嬉しい』


 その言葉さえなかったのなら、すぐにでも事故として処理してあげたのに。大体、一方的に訳の分からない理由で決闘を申し込まれて受けてあげた上に更に意味の分からない理由で糾弾されるだなんておかしいと思わない?

 自分の失敗を正すためだけに責任を此方に押しつけるなんてどうかしてるわね。


 何事かを喚き、しまいには泣き出したロザリーを冷めた目で眺めること数秒、それまで空気のように側に立っていたチェレギンが、発言の許可を得るかのようにそろりと片手を上げた。


「あのお、ミシュリーヌ様。ワタシ、一つ気づいてしまったんですけども」

「何かしら、これ以上私を苛つかせない話題だと嬉しいわね」

「恐らくその『間違い』、このチェレギンが貴方様に渡したマジックアイテムが原因かと」

「…………それは、あのオルゴールのことかしら」

「ええ、ええ、その通りです」


 自身が原因である、と申し出た割りには少しも罪悪感の無い声で頷いたチェレギンは、困惑するロザリーと訝しむ私の前で、やはり胡散臭い笑みを崩さぬまま続けた。


「実はあのマジックアイテム、因果律の外から持ち込まれた代物でして。本来ならばこの世界には存在しない代物なのです。無論ワタシの元いた世界にも無いアイテム、要するに完全なる『異物』という訳でして、恐らくはロザリー様の能力自体はこの世界に則した結果を表示するものでしょうから、ことわりそのものが違う『異物』が混じったことで、本来のミシュリーヌ様との乖離が起こったのでは無いかと」

「その理屈だと本来の私は第一王子と婚約をしたことを笠に着て好き放題に国を荒らし圧政を敷く女、ということになる気がするのだけれど」

「きっとミシュリーヌ様なら上手いことそうするのでしょうねえ」

「まあ、出来なくはないわね。やらないけれど」

「『やらない』と判断する要因になったのはダニエル様と出会ったこと、だとワタクシめは思うのですが、如何でしょう?」


 伺いを立てるように首を傾げたチェレギンの言葉にふと、『ダンと出会わなかった自分』を想定してみる。

 確かにあのまま成長を続ければ私は第一王子と婚約を結ぶことになっていただろうし、第一王子であるアルフォンス殿下にも同じように『教育』を施そうとしただろう。そして、私の要求に応えられない殿下に失望したに違いない。


 人間関係の不和を調整することの重要性は理解しているが、私もやはり人間である以上、感情をただ切り離すことは出来ない。というより、そもそも私は己の感情に従って生きるタイプの人間であって、どう考えても民のために生きる王族には向いていないのだ。


 能力の高さだけを見て適性があると判断されれば、結局は『お告げ』の通りに圧政を敷く暴君と化すだろう。まず確実に、政策に従えない軟弱な民の方が悪い、と思うでしょうね。本当に、驚くほど上に立つものに向いていないわ。少し呆れてしまうレベルね。


 そうならずに済んだのは、チェレギンの言う通り、ダンと出会ったからだろう。世界中の何処を探しても、彼より私に相応しい男はいないと断言できる。

 ダンと過ごすのが一番楽しいのだから、それ以上を求める必要なんてないのだ。無論、探究心は別として。


「まあ、そうでしょうね。私が国を滅ぼす動機なんて、王族包みでダンと私を引き離そうと画策された時くらいだわ」

「何卒、安寧の為にも是非ともお二人には円満でいてもらいたいものです。さて、そういう訳で、ロザリー様の『間違い』はワタシの仕出かしたお節介によるものだったのですが、ここで一つ提案させて頂いても?」

「提案?」

「ロザリー様の身柄をワタシに預けて頂きたく思います。ペルグラン家にも話を通して頂けますと助かりますが、まあ、ともかく、少なからずワタシが原因のようですから、なんとか出来るアイテムでも共に探し回ろうかと」

「……貴方が人助けだなんて珍しいわね、チェレギン」


 身柄を預ける、というからには、ロザリーの生殺与奪権はチェレギンに移るということだ。馴染みのある商人の連れを害するのは私にとっても利が無い。ただ、原因となった詫びにしても、チェレギン自身にも何の利もない話ではあった。

 純粋な人助けをするような男には到底見えない。それはロザリーにとっても同じだったのか、彼女は未だに涙の残る目に懐疑と怯えを乗せてチェレギンを見つめていた。


「要するに貴方様は『この先を一人で、何の(しるべ)もなく進んでいくのが恐ろしい』んでしょう? このままミシュリーヌ様に責任をなすりつけ、自分の能力を過信して生きていくのなら、きっと貴方様は一生そのままです。それは原因を作ったワタシとしても流石に忍びない。

 貴方様がどのような暮らしをしていたかは分かりませんが、少なくとも一人で生きていける力を育てることは出来ます。恐らく貴方の力を既に知っている者たちに囲まれていれば独り立ちは難しいでしょう。ワタシならばそのお手伝いが出来るかと思うのですが、どうでしょう?」

「…………あなたと共に旅をする、ということ?」

「ええ、そうです。男と二人旅は恐ろしいですか? まあ、ワタシとしては娘と同じ年頃の女性をどうこうしようという気はありませんが、信頼出来ないというならば断って頂いても構いませんよ」


 普段となんら変わりない笑みで続けたチェレギンは、そのまま答えを聞く気があるのかも分からない態度で口と閉じると、のんびりと窓から中庭の花を眺め始めた。

 彼からすれば、ロザリーがこの話を引き受けても、そうでなくても、特に困らないのだろう。少なくとも自分に責任の一端がある以上、提案だけはした、という形だ。

 迷うように視線を彷徨わせていたロザリーは、意外にも即答はしなかった。先を見通す聡明な令嬢として大事にされていた身だ、てっきり即座に断るかと思っていたが、彼女の中にも迷いがあるようだった。


 確かに、既に『お告げ』が正常に働いていない以上、これまで同じ生活は出来ないだろう。

 甘やかされてきた令嬢にしては迷う素振りがあるのは、彼女の転生前とやらが関係しているのだろうか。泣き喚くだけにしても、しっかり此方に責任をなすりつける度胸はあったものね。


 静まりかえった室内で、特に返事を急かすこともなくのんびりと風景を眺めるチェレギンの鼻歌と、既に興味を無くした私が焼き菓子を手に取る微かな音だけが響く。三枚ほど飲み込んだ所で、掠れた呟きが響いた。


「…………よろしく、お願いします」

「おや、承諾して下さるとは思いませんでした。それでは、まあ、一旦今日は解散ということにしまして。後日御父様の方にお話しさせていただきましょうかね」

「…………はい」

「ミシュリーヌ様、大変心苦しいのですが、口添えをお願いしたく。ちなみに此方、トエト鉱山にて最近発見されました新種にございます」

「別にそれは構わないけれど、ロザリー嬢は私に何か言うことはないのかしら?」


 馴染みの気安さ故に真正面から賄賂を渡してくるチェレギンに軽い調子で返しつつ、俯くロザリーへと目を向ける。ひくりと肩を震わせた彼女は躊躇うように唇を開き、細く息を吐いてから、絞り出すように謝罪の言葉を口にしたのだった。




      ◇   ◆   ◇




 かくしてロザリーはチェレギンと共に旅立った。

 時折届く報告を見るに案外上手くやっているらしい。転移者と転生者ということで、此方には分からないところで通じ合うような部分もあるのかもしれない。何にせよ、私にとっては彼女が二度と面倒を起こさず、此方の手を煩わせるようなことがなければそれでいい。


 ノエルは義妹の突然の旅立ちに驚いていたけれど、彼女が『研鑽のために師事した』と聞くと驚くほどあっさりと納得した。

 例の一件以来塞ぎ込んでいたロザリーが元気を取り戻した(ように見えた)のも受け入れた理由だろうけれど、ノエルは基本的に、人間はみんな自らの力を磨くために生きている、と思っている節があるのよね。何の疑いようも無く当然だと考えているところが厄介だわ。


 姉妹仲は極めて良好らしい二人は度々手紙のやり取りをしている。ノエルを唆したのは事実のようだが、ロザリーもそれが正しいことだと信じ切っていた訳で、騙しているだとか良いように使おう、だとかは考えていなかったということだ。素で悪を断罪するつもりで来た辺り、限りなく似たもの姉妹ね。


「見て下さい、ミミィ様! ロザリーから手紙が届いたのです! 運河の街にいるそうですが、風景画が一枚同封されていました!」

「あらそう。あの子、意外に絵のセンスはあるのね」

「ええ、そうです! 家に居た頃もよく私を描いてくれました! 人物画もとても上手なんですよ!」


 放課後の喫茶店にて。ノエルは持参した手紙を掲げると、快活な笑みを浮かべて素直な褒め言葉を並べ立てた。

 自慢の妹について話すノエルの顔には、ロザリーへの好意だけが溢れている。例の一件は『行き過ぎた正義感の暴走』として片付けられており、今ではノエルの奇行を見た生徒の間で噂になる程度の騒ぎでしかなくなった。

 唆された当人であるノエルもそれは疑っておらず、『正義と正義がぶつかった結果』だと思っている。実際のところ双方共に欠片も正義など無いわけだけれど、わざわざ訂正する気も無い。


「それから此方、ミミィ様宛にも手紙が同封されていました!」

「……私に? 何かしら」


 旅立った当初は謝罪を綴った手紙が一通だけ届いていたけれど、それ以降はチェレギンからはともかく、ロザリーから私の方には連絡はないのが常だった。別に欲しいとも思わないからそれ自体は構わない。さして興味もない相手の近況なんて、状況把握以外に聞きたくもないものね。

 向こうもそれは理解していることだろう。ならば、連絡を寄越すというのは余程伝えたい何か────恐らくは厄介事がある、ということだ。


 差し出された封筒は、至って簡素な代物だった。余計な装飾は何もないそれを、ノエルから受け取って開く。

 拝啓、から始まる妙にかしこまった挨拶を読み飛ばし、本題に目を通す。


『私のスキルに新たな反応がありました。文字表示の一部が判読不能になっており詳細はわかりませんが、恐らくはミシュリーヌ様やその周囲を狙った何らかの存在による攻撃があるかもしれません。何もなければ一番良いのですが、ノエル姉様に万が一のことがあってはならないと思いお伝えしました。くれぐれもノエル姉様の安全をよろしくお願いします』


 スキル、という文言を目にした瞬間、自分でも目が細まるのが分かった。ロザリーの持つ『プレイヤー』とやらは、この世界における最善手を表示するスキルだ。だが、レベル上げを怠った今、スキルの情報自体への信頼が薄い。

 チェレギンの見立てでも、今からレベルを上げるには相当の努力が必要だと判断されていた。

 そんなスキルの情報を貰ったところでわざわざ対応する気にはなれない。ロザリーも、此方が真面目に受け止めるとは思っていないだろう。それでも連絡してきたのは、被害を受ける対象が『ミシュリーヌ・シュペルヴィエルの周囲の人間』を含んでいるからだ。つまりは、ここ一年ですっかり私に懐いているノエルが巻き込まれるのを恐れている。


「全く、清々しい程あなたの心配しかしていないわね」

「? 何か心配するような事態でもありましたか? 学園生活は順調です、と送っているのですが」

「……ノエル、他人宛の手紙を覗き込むのはやめなさい」

「はっ、これは失礼しました! 興味が勝ってしまい……!」


 対面から覗き込むように立ち上がっていたノエルが、慌てて着席する。見られたところで困るのは自身の偉業の正体を知られる羽目になるロザリーだけだから構わないのだけれど、単純なマナーの悪さについ口に出してしまっていた。

 ノエルは貴族令嬢と言うには何もかもが足りない。足りなくても一切困らないほどの才能があるとはいえ、人として当然のマナーくらいは身につけておいても良いだろう。マナーを知った上で破るのと、知らないで破るのでは意味が変わってくるもの。


「それにしても、『何らかの存在』ね……」


 想定される敵は人間であるかも怪しいらしい。それがスキルの情報不足によるものか、それとも本当に人間ではないものが敵になるのかは分からないが、もしも有り得る未来だとすれば興味のない話でもない。


「ねえ、ノエル。明日は久しぶりに訓練に付き合ってあげましょうか」

「ほっ、本当ですか!? ミミィ様が直々に!? この間のように直前で『やっぱりダンと遊んでいてちょうだい』なんて突き放しませんよね!? 本当にミミィ様が!?」

「本当よ、だからそんなに喧しく騒ぎ立てないで。鬱陶しいわ」


 椅子を倒す勢いで立ち上がったノエルは、そのまま嬉しそうに両手を組むと、夢見る乙女のような仕草でうっとりと明日の予定に思いを馳せ始めた。顔だけ見れば健気な少女でしかないけれど、頭の中は最近威力を上げることに成功した爆散魔法の効果のことしかないだろう。


 ところで、この店にはもうノエルとは一緒に来ない方がよさそうね。

 引き攣った顔に何とか笑みを浮かべている店主を横目で眺めながら、私は静かにグラスに口をつけた。




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[良い点] ノエルは大型犬みたいでかわいいな
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