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二話 後 [ミシュリーヌ視点]



 ────ダニエル・グリエットの名を知らないものは、今となっては学園内に一人も居ない。


 一年前、私とノエルの『決闘』によって知れ渡った私の婚約者は、進級し最上学年となる頃には『ミシュリーヌ・シュペルヴィエルの飼い犬』の名を返上した。

 私としてはもう少しその渾名で呼ばれていても構わなかったのだけれど、今では『ミシュリーヌ・シュペルヴィエルの騎士』なんて呼ばれているのが面白いから、まあ何方でも良いわ。


 名が知れようと知られまいと、元より表立って目立つ気は皆無なダンの態度は微塵も変わらなかった。

 いつものように私の後ろに付き従い、私の言葉に適当に相槌を打ち、あくまでもマイペースに私と共に過ごしている。

 周囲の目が変わった程度で、私たちに何か影響があるわけでも無い。いつものように学生として授業を楽しみ、気紛れに茶々を入れ、誤りは正し、気が向けば学内の催し物にも付き合う。学生を楽しめるのは一度切りだから、とダンを連れて入学したセレネストリア学園だけれど、結果としては案外悪くない学生生活を送れている。


 ただ、一つ問題があるとするのなら、御父様が未だに私の婚約者をダン以外の男にすげ替えようとしているところかしら。

 『この先一生お前の相手じゃ、ダン君が可哀想だからね……』と疲れた顔で呟いていたけれど、一体私の何処に不満があるというのか。私財だって一人で公爵家の蓄財を上回る程度にはなったし、私の発明で輸送経路の改善や魔石の効率的な活用法だって見つかった。社会貢献度としては充分だと思うし、この先万が一にもダンを路頭に迷わせるようなことはないのに。


 卒業前にもう一度釘を刺しておこうかしら、なんなら本当に屋敷を燃やしてしまったって──私が新しい屋敷を用意するのだから──構わないし、などと考えていた私は、そこでふと耳に留った言葉に首を傾げていた。


「留学生? 三年のこの時期になって?」

「特待クラスに入るらしい。西の方の島国から来るとか言ってたな」

「ふうん……西から留学というと、エルミネイト帝国かしらね」

「ああ、うん、確かそうだった」


 週末の休息日。いつものようにダンを呼び出しての茶会中、考え事に沈みかけていた私の意識に、少し気になる情報が入り込んだ。

 セレネストリア学園は国内では最高峰の魔法学校ではあるけれど、高等部の最終学年になって編入してきた所で得られる物が多いとは思えない。

 海を越えた島国――エルミネイト帝国から来るのであれば、目的はもしかしたら此方の有力貴族と繋がりを作りに来る事かもしれないわね。


「今年初めの新作発表会で話題になっていたコートの出店国が、エルミネイトだったよな」

「ええ、可愛かったわね、あれ」

「……ミミィはプルギアの物の方が好きかと思ったんだが」

「あら、もしかしてプレゼントしてくれるつもりだった?」


 各国のブランドがこぞって参加し新作を発表する場で披露された、鮮やかで斬新な素晴らしい洋服の数々を思い浮かべる。

 その中で最も私が気に入ったとダンが判断したのは、上質な生地と美しいシルエットのシンプルなブラックコート。予想通り、目に留めた物の中では最も気に入った一品だったけれど、エルミネイトの物も悪くは無かったから褒めてみたところ、ダンは少しばかり不安げな声で呟いた。

 今年の誕生日はコートなのかしら、と思いつつ尋ねれば、ダンは紅茶に口をつけ、バツが悪そうに目を逸らした。


「もう頼んであるんだが、キャンセルした方が良いか?」

「まさか、嬉しいわよ。これからはああいう意匠が流行っていくだろうし、私の誕生日にはぴったりね」

「……なら良かった」


 ほっとしたように息を吐くダンの口に、皿から拾い上げたマフィンを咥えさせる。唐突に押しつけられた菓子を躊躇うことなく囓ったダンは、ゆっくりと味わってから飲み込むと、甘さを控えた菓子の味に嬉しそうに目を輝かせた。


「美味いな」

「でしょうね」


 私が手ずから作ったんですもの、美味しくない訳がないわ。

 王都中探したってこれ以上に美味しい、貴方の口に合った物なんて無いと断言できる。持ち上げたままのマフィンに再度囓りついたダンは、やはりこの菓子を作った店について聞きたそうな顔をしていたけれど、私の笑みを見て『教える気が無い』と察すると無言で咀嚼を続けた。

 淑女の手から直接菓子を食べさせるなんて、お母様が見たら卒倒しかねないけれど、私は餌付けみたいで面白いから好きよ。


 最後の一口を飲み込んだダンの口元についた小さな欠片を指で拭って、舐める。

 ダンの味覚に合わせた菓子は私には少し苦すぎるけれど、悪くは無いわ。目の前できょとりと目を瞬かせているダンを見つめながら笑い、ふと、此処でキスしたらどうなるのかしら、なんて考える。


 ――――と同時に、後方からルーシェの咳払いが聞こえてきたので、私はダンの頬に伸ばしかけていた手でカップを持ち上げ誤魔化した。




    ◇   ◆   ◇




「おはようございます、ミミィ様! 本日も良い天気ですね!」

「おはよう、ノエル。貴方は今日も朝から元気ね」

「それだけが取り柄ですので!」

「特待生様が何か言ってらっしゃるわ。嫌味かしら?」

「元気と頭脳と魔法適性が取り柄ですので! ではまた、午後の実習授業でお会いしましょう!」


 はっとして付け足したノエルは、挨拶代わりに挙手敬礼をして、やはり元気に走り去って行った。

 ノエルとは一年前の決闘後からの付き合いだ。予想通り頭の螺子が何本か抜けているけれど、基本的には善良で扱いやすい『良い子』である。だからこそロザリーなんて女に良いように扱われてしまった訳だけれど、あの女に関しては一年前の時点で既に手は打ったから問題は無い。


 ノエル・ペルグランという人間にとっては、『民の生活がより良く、素晴らしくなること』こそが正義であるいうことは少し話せば分かった。


 私の活動は小さな目で見れば数多くの諍いがあり、他者を虐げているように見えるけれど、大きな目で見れば皆の助けになる。当然私に利益があるからこそそうしている訳だし、刃向かってきた者を完膚なきまでに叩き潰すことほど面白い娯楽はないと思っているけれど、それでも、結果的には『民の生活がより良く、素晴らしくなること』のひとつである。


 決闘を終え、ロザリーの『くだらない勘違い』を諭し、誤解を解いた上で私の活動によって齎された利益に付いて語り聞かせた結果、ノエルは大げさな謝罪と共に私の『活動』を受け入れた。

 「ミシュリーヌ様は未来を見据えておられるのですね! 私のような若輩者にはまだまだ理解が及ばなかったようです……」と頭を下げるノエルを懐柔し取り込んだのが、決闘の一週間後の話だ。

 一年が経った今では、放課後に城下町のカフェに共に行くことすらある。友達、というには少しおかしいけれど、下僕という程支配下に置いている訳でもない、少し不思議な関係ね。


 ダンからは『あんな大規模戦闘かましておいてよく仲良くなれるな』みたいな顔で見られてしまったけれど、男同士だって戦いで友情を深めるのだから、女同士でもそれが起きたって不思議じゃないでしょう?

 それにあの子、目を離すと直ぐに騙されるから少し面倒を見てあげないといけないような気がするのよね。

 

 ノエルときたら、一年前に私に負けてから騎士団にまで通うようになってしまったのよ。

 お陰で変な癖がついているけれど、就職先は宮廷魔導師団なのに大丈夫なのかしら。王国騎士団と宮廷魔導師団は先代の頃から折り合いが悪くて、予算会議の時はいつも御父様が胃を痛めていた覚えがある。可哀想に、ノエルが入団したらもっと大変な事になるわね。


「ミミィは案外面倒見がいいよな」

「案外? 十年も婚約者の面倒を懇切丁寧に見続けた私が、案外面倒見がいい、で済むと思って?」

「いや、だってお前、割と苛烈な訓練内容で突き放すことあるだろ」

「その方が覚えが良いのだもの。面倒を見ていることに変わりは無いでしょう」

「剣術指導で真剣勝負になった時なんて、死ぬかと思ったんだぞ、俺は」

「死ななかったのだからいいじゃない」


 笑いながら告げれば、ダンはこれ以上何か言うのを諦めたかのように口元に苦笑を浮かべて目を閉じた。

 ここで諦めたということは、ダン本人も『まあいいか』と思っているということだ。確かに、実際死なずに済んで、それなりの腕になったのだから良いか、と思っている。

 手加減しているとは言え私と互角に渡り合えて、『それなり』だなんて笑ってしまうわよね。頭は悪くないはずなのに、どうしてこうお馬鹿さんなのかしら。こういう点ではノエルと似ている気もしなくもない。


 ……そうなると、もしかして私は私で思っているよりもノエルのことが好きなのかしら?

 此処まで来て気づくなんて、相変わらず感情に鈍くて少し照れてしまうわね、なんて幼い頃の自覚について思い出していた私と、その横でぼんやりと窓の外を眺めていたダンの前に────突如薔薇の香りが広がった。


 魔法の気配を察知したダンが私の腕を引いて僅かに下がる。ついでとばかりに身体を預けると、肩を抱くようにして支えられた。

 明滅する黄色い閃光に目を眇めると同時に、薔薇の花びらと共に人影が現れる。


 驚いたわ、転移魔法じゃない。確かエルミネイトで開発中の新しい魔法よね。輸送経路を魔術で補強しようとしているらしいけれど、今現在はあまり実用的とは言えない新技術。

 興味はあったけれど、今は国内整備の方に気を取られていてあまり気に留めていなかった転移魔法を直に見られるなんて、中々嬉しい一日の始まりね。

 恐らく、この先はちっとも嬉しくない始まりなんでしょうけど。


 嫌な予感と共に、目の前に現れた金髪碧眼の男を眺めていた私に、男は一つに括った長髪を見せつけるかのように靡かせ、端整な顔立ちを崩さぬまま、芝居がかった様子で片目を瞑ってみせた。


「ごきげんよう、シュペルヴィエル公爵令嬢。わたくし、エルミネイトで服飾店を営んでおります、ランベルト・キエザ・ジョヴァンバッティスタと申します。シュペルヴィエル様のお噂はかねがね伺っておりまして、お目にかかれて光栄です」

「ごきげんよう、ジョヴァンバッティスタ様。随分と派手な登場ね」

「美しいでしょう? ジョヴァンバッティスタ家にとって、美とは強さ! 美しさこそが力なのです、妥協は致しません。それこそ、初めてお会いする御令嬢の前では、特にね」


 確かに、言動は兎も角、彼の身に纏う衣服から魔法の発動、魔力操作に至るまで『美』があった。

 鮮やかな刺繍が施された外套を羽織り、奇抜な彩りをスタイルの良さでまとめ上げ一つの美として成立させている。彼以外がこれを着て、この言動を取れば一瞬で奇人変人の類いと切り捨てられるだろうが、長身の仕草のひとつひとつが美しいものだから、『そういうもの』と納得しかける強さがあった。


「それで? ご用件は何かしら、登場に見合った案件だといいのだけど」

「勿論! このランベルト・キエザ・ジョヴァンバッティスタの名にかけて、決して詰まらない用件などではありませんとも!」


 大仰な仕草で両手を広げたランベルトは、そのまま広げた手の先を此方側へと差し向けると、高らかに宣言した。


「ダニエル・グリエット殿! どうかミシュリーヌ嬢を賭けてわたくしと決闘をして頂きたい!」


 歌うような声で紡がれた台詞は、始業前の廊下によく響いた。

 しん、と静まりかえった廊下を歩く生徒達が足を止める。クラス教室から顔を出している者は、私と目が合うと同時に中へと引っ込んだ。賢い選択ね。

 台詞の名残すら掻き消え、静寂が落ちること数秒、斜め後ろで私を支えるように立っていたダンの口からぽつりと呟きが零れる。


「あ、俺か」


 ようやく、自分が当事者になっていたと気づいたらしいダンが間の抜けた顔でランベルトを見つめ返した。

 基本的にいつ何時もぼんやりと表情の変わらないダンは、付き合いの浅い者には何を考えているのか分からないと言われがちである。何も考えていない、とも言われがちね。でも私にははっきりと、『すごい面倒なことになった』と書かれているのが分かった。

 顎に手を当てたダンが、暫く悩むように唸ってから、対面でポーズを決めているランベルトに向けてはっきりと言い放つ。


「悪い、断る。受けるメリットが微塵も無い」


 ではそういうことで、と私の肩を抱き、私ごと踵を返したダンの背に、理解の追いつかなさ故にぽかんと口を開けていたランベルトが帽子のつばを引き上げながら叫んだ。


「決闘を断るだと!? 貴公、それでも男ですか!」

「まあ、一応、女には見えないと思うが」

「なんて腑抜けた男なのでしょう! ああ、嘆かわしい! ミシュリーヌ嬢のように美しく、優れた女性の隣に立つ男が貴公のような者であって良いはずが無い!」

「それはそう思うけど、でも婚約者は俺だから、あー……出会った順番を恨んでくれ」


 淡々と告げるダンは、それでも決して私の肩から手を離すことは無かった。

 あら、案外こういうのも悪くないわね。というか、凄く良いかもしれない。成る程ね、ロマンス小説の女が『私を巡って争わないで』と悦に入る理由が分かった気がするわ。


 ダンは『たまたま選ばれた側』だと思っている節があるからか、私に向けて過度な執着や愛情を見せることは少ない。代わりに、控えめに「もっと良い男がいるんじゃないか」なんて言いながら私がダンを婚約者に置き続けるかどうかを確認し続けている。

 回りくどく消極的な態度が可愛く見えるのは、自信が無さそうにしつつも、私に言われたことはきっちり全てこなしているから。そうでなかったら、卑下に見せかけて自尊心を守ろうとしているだけの鬱陶しい男だもの。そんなの願い下げよ。


 そういう訳で、日頃受動的なダンがはっきりと婚約者の立場を口にして、守ろうとしている、というのは、私からすれば随分と嬉しいことだった。


 どうせダンに勝てるとも思えないし、戯れに一戦くらい交えさせても構わないと考えていたけれど、この分なら私が手を回してランベルトを黙らせてあげてもいいかもしれない。

 そんな風に考えて脳内の人物リストを探っていた私の耳に、舞台役者の如く高らかに告げるランベルトの声が届いた。


「貴公の仰るとおりです。わたくしと貴公の間にあるのは『出会った順番』、ただそれだけです! 圧倒的な商才、輝かんばかりの美貌、優れた頭脳を持ち合わせた彼女の隣に立つべきは、同じく才能に溢れた、強く美しいわたくしであるべきなのです! ダニエル・グリエット、貴公ではなく!」

「……いや、それを決めるのはミミィだと思うけど」


 確かに、その通りね。一分の隙も無く正論だけれど、ランベルトは一切聞き入れるつもりはなさそうよ。

 もはや呆れつつ眺める私とダンの前で、ランベルトは額に手を当て頭を振ると、愚かな、と呟いてから手のひらを此方に向けて言い放った。


「そもそも、貴公のような平凡な男にはミシュリーヌ嬢の隣を歩むのは重荷ではないのですか? 見たところ、彼女のことをそれほど愛している訳でもなさそうですし、結局は権力目当てなのでしょう? 強く熱く深い愛情を持ち合わせたわたくしならば、彼女を心から愛し、幸せにすることが出来ます!」


 あらあら、流石に今のは聞き逃せないわね。此処で〝召喚〟してやろうかしら、などと苛立ち任せに考えていた私は、ふと隣に立つダンが静かに、ただ静かにランベルトを見つめていることに気づいた。

 普段は眠たげな黒い瞳が一度ゆっくりと瞬き、一切の光を取り込むことなく、冷えた視線をランベルトへ向ける。


「……そこまで言うなら受けるよ。とりあえず、これに勝ったら、俺の方がアンタより強くて、ミミィを愛しているってことになるんだろ?」


 ぶっきら棒に言い放った声に籠もった確かな怒りに、ランベルトは一瞬、気圧されたように唇を噛んだ。表情こそ笑みを浮かべているものの、頬に滲んだ冷や汗は隠し切れてはいない。

 困ったわね、怒らせちゃったじゃない。何だか他人事のように眺めていると、私の前で恥はかけないとでも思ったのか、持ち直したランベルトが再び高らかに宣言した。


「ええ、わたくしも男です! 勝負に負けたのなら潔く身を引きましょう! その代わり、わたくしが勝った暁にはミシュリーヌ嬢を我がジョヴァンバッティスタ家に迎え入れます!」

「……まあ、そこはミミィの意思を尊重して貰って。明日の放課後で良いか、第八闘技場の予約取っておくからさ」

「あら、学内決闘のつもりだったの?」


 留学生の場合に適用されるのかは知らないけれど、ランベルトが明言していないから普通の決闘だとばかり思っていたわ。でもそうね、このままの勢いだと面倒なことになりそうだし、学園長の許可は私が貰って来てあげましょうか。

 「流石に、帝国から来た留学生に怪我を負わせるのはどうかと思うんだが……」と零すダンに許可を得てあげる旨を伝えると、分かりやすく安堵した顔になった。


「それじゃあ、また明日の放課後に」

「ええ、正々堂々、良い勝負をしましょう」


 爽やかな笑みと共に言い放ったランベルトに、ダンはなんとも言えない顔で無言を返し、私の肩を抱いたままクラスへと向かった。





「────ミミィが決闘を受けた理由が、今なら分かる気がする」


 放課後。第八闘技場の使用許可を得たダンは、翌日の放課後に予約を入れると、疲れの滲む溜息を零してそう言った。

 まだ何も始まっていないと言うのに、仕事終わりの御父様のように首を回している。


「あら、そう? 今回はノエルの時とは少し毛色が違うように思えるけど、どんな理由かしら」

「……うーん、なんというか、……そうだな」


 癪に障る、と小さく呟いたダンに、私は思わず噴き出していた。


 笑いの波が引かず、そこから声を上げて笑い始めた私に、ダンは首元を掻きながら目を逸らす。

 拗ねないで頂戴。笑うつもりなんか無かったのよ、本当に。でも、なんだかおかしくって。

 殆ど使われない廊下だから、人目を気にすることなく子供のように笑う私に、本気で照れ臭くなり始めたらしいダンの耳が僅かに赤く染まるのが見えた。

 この一年で、ダンの背は私より十センチも高くなってしまった。同じくらいの目線で可愛かったのに。


「馬鹿にして笑ってる訳じゃないのよ、ただ少し嬉しかっただけで」

「……嬉しい、ね」

「ええ、そうよ。私、案外ダンに愛されてるのね、と思って」


 珍しく本心から素直な気持ちを口にすれば、隣に立っていたダンは顔こそ赤いものの、微かに眉を顰めた。

 あら、怒らせてしまったようだけど、理由が少し分からないわね。何か失言でもあったかしら、と思考を他所にやっている内に、私の背は煉瓦造りの壁に押しつけられていた。

 履いている靴のヒールの分もあり、今の身長差は五センチしかない。ほぼ眼前に迫るダンの顔に浮かんでいたのは、怒りと言うよりも呆れだった。


「ミミィまでそんなこと言うのか」

「……だって貴方、愛してるだなんて言ってくれないでしょう?」

「普段過ごしてて、言うタイミングなんか無いだろ」

「馬鹿ね、そのくらい自分で見つけてよ」


 意識していたよりも拗ねた口調になってしまった私に、ダンは微かに瞠目した。その発想はなかった、という顔だ。

 恐らくだけれど、ダンは無意識に私から『愛していると口にしてもいい許可』を得なければならないとでも思っていたのだ。〝飼い犬〟だなんてあだ名を付けたのは誰かしら、言い得て妙ね。


「じゃあ、今言ってもいいか?」


 もう、本当に馬鹿なんだから。かわいいひと。

 愚直なまでに許可を得ようとするダンに微笑みを返し、抱き締めるようにして私を見下ろす彼の唇に人差し指を押し当てる。


「駄目よ、勝ってからにして」


 『絶対に勝ちなさい』と同義の言葉を口にすれば、ダンは一度ゆっくりと瞬き、唇を笑みの形に吊り上げた。




    ◇   ◆   ◇





「――――ではこれより、ダニエル・グリエットとランベルト・キエザ・ジョヴァンバッティスタの決闘を開始します。両者、構えて!」


 翌日、第八闘技場にて。

 互いに剣を手にしたダンとランベルトは、どうして毎回俺が審判なんだ、とでも言いたげな、心底くたびれた顔で合図の手を上げる教授が立つ高台の前で向き合っていた。

 多分、貴方が学園内で一番まともだからじゃないかしら? 授業も一番マシだしね。

 心労ばかりが増えていくらしく、最近では胃痛の薬が手放せないらしい教授の青白い手が、振り下ろされる。開戦の鐘が鳴り響いた。


 先に動いたのはダンだ。開始位置からの強い踏み込みから一瞬で間合いを詰め、下から上へかけて弾くように斬り掛かる。勢いを殺せなければまず間違いなく剣を弾かれて得物を失う一撃を、ランベルトは両手で握り締めることで受け止めてみせた。

 金属がぶつかり合う音が響き、離れる。上から押さえつけようと力を込めたランベルトの剣を捻るように躱したダンは、半身で構えつつ、落ち着いた声で呟いた。


「思ってたより強いな」

「それはどうも。貴公も、見目よりは俊敏なようですね」


 ダンは基本的に『勝てない勝負』はしない。自身を不出来だと思っているからこそ、不安要素のある勝負はなるべく避けて通るし、避けられないのならば『負ける要素』は全力で潰していく。

 よって、多少の怒りはあれど受けた時点で勝てる勝負だと考えていたのだろうけれど、ランベルトの実力はダンの想定よりは上だったらしい。それでも、負けるつもりは毛頭ないだろうけれど。


 剣筋の癖を確かめるように斬り掛かるダンと、押され気味ながらも上手く受け流すランベルトの長剣がぶつかり合う音が響く。


「ランベルト様~! 負けないでー!」

「ランベルトさまー!」


 私とノエルの時ほどではないにしろ程々に入っていた観客達の中には、編入したてにもかかわらず既にランベルトのファンとなっているらしい女生徒がひとかたまりになって並んでいる。

 今年入ったばかりの新入生を含むそのグループでは、声援を上げる一年と、私の顔色を伺う二、三年生で見事に分かれている。別に良いのよ、応援しても。どうせダンが勝つもの。


「なんと、ダニエル様もあれほどの剣の使い手だったのですね……!」

「まあ、そうね。幼い頃から私が手ほどきしたのだし、あのくらいは当然よ」

「ミミィ様が!? でしたら私にも是非、」

「嫌よ。貴方、日が暮れるまで何時間も付き合わせるじゃない」

「い、一時間で我慢しますから……!」


 今にも泣きそうな声で縋り付いてくるノエルを軽くあしらいつつ、闘技場内に目を戻す。人の何倍も努力するような天才に一々付き合っていられないのよね、お断りよ。

 大体、今回の一件はノエルも原因なのだから、反省して逆に私のお願いのひとつでも聞いたらどうなのかしら。


 編入生であるランベルトが私の婚約者についてまで知っていたのは、どうも特待生として学内の説明を任せられたノエル経由だったらしい。

 一年前の決闘から逆に盲目的なまでに私を信奉するようになってしまったノエル──本当に、この子こういうところが困りものよね──が、いかに私が国の未来のために動いていて素晴らしいのかを語り続け、元々私に興味があったランベルトの好奇心を更に煽ったのだ。


 ここ十年ですっかり伝説の行商人として名を馳せてしまったチェレギンを介して私の名を知っていたランベルトは、元より私とも業務提携を結べないかと考えていたようで、目を付けていた商売相手が有望な令嬢となれば、それは当然、『手に入れてしまいたい』と考えてもおかしくはない。まあ、手段はおかしいけれど。


 多分、実際に私とダンを見た上で、本気で自分の方が上回っていると確信したからこそ申し込んできたのでしょうね。学外で暴力行為によって婚約者の座を奪ったのなら問題だけれど、学園内では両者合意の上での規則の範疇で収まるし、『己の力』を示した上で『惹かれ合った』ことにするのならある程度の障害を取り除くことが出来る。

 貴族社会と言う枠組みに囚われきる前に『実力であらゆるチャンスを掴むことが出来る』のが、セレネストリア学園における利点の一つであると言われている。どうしても手に入れたいものがあるのなら手段を選ばない、というその判断自体は嫌いではなかった。


 ただ、今回のランベルトに限っては悪手としか言えないでしょうね。

 意匠を見る目はあっても、力量差を測る目は無かったという所かしら。優れた才能がひとつあるだけでも十分だもの、そこは誇ってもいいと思うわ。ただ、誇りも過ぎればただの驕りなのよね。


 一際高く強い音が響き、ランベルトの手から長剣が弾き飛ばされた。

 膝をつくランベルトの呼吸は荒い。手を伸ばすには遠すぎる位置に転がる長剣に駆け寄る余裕も無さそうだ。

 対するダンは、額に軽く汗こそ掻いているものの、殆ど息を乱している様子も無い。ランベルトも少しは善戦したのね。ちょっと見直したわ。


「く……っ、此処までですか……」

「……諦めるのか?」

「ッ! ――――いいえ! まだ勝負はついておりませんッ、これほどの実力者と判明した今、全力を尽くさねばそれこそ礼を欠くと言うもの!」


 叫ぶや否や、ランベルトは膝を突いたまま掌を前方に向けた。白い掌の中心で発光する魔方陣。体表に直接刻みつけることで無詠唱呪文を可能とする魔術の一種だ。

 息を呑んだダンが脇へ避けると同時に、閃光と共に雷が放たれる。空気を切り裂く一閃は、到底人の身では躱しようのない速度でダンを狙い撃つ。

 半円を描くように足を運ぶも、ダンのゲージは確実に削られ始めていた。


 身を乗り出すようにして観戦しているノエルが、私の隣で惚けたように呟く。


「素晴らしい技術ですね……三年目で編入してきたのも、既に此処まで磨き上げていたからこそでしたか」

「ノエル、貴方もしかして彼に気があるの?」

「え? え、いえっ、そういう訳では! そもそも、それならミミィ様に告白をした時点でもっとショックを受けています!」

「それは確かにそうね。ふうん? じゃあ他に誰か、良い相手はいないの?」

「い、良い相手ですかっ? そう言われましても……」


 恋愛の話には慣れていないのか、ノエルは頬を赤らめつつ言い淀んだ。これは『居る』わね、間違いないわ。

 こんな猪突猛進の爆弾みたいな天才、一体何処の誰が引き取ってくれるのかと少し心配していたけれど、少なくともノエルの方に気があれば後はどうとでもなるでしょう。


 闘技場の方では、風魔法により身体に加速効果を付与したダンが閃光を躱し始めていた。

 肉体に『加速』をかけることの難しさを理解している魔術研究部の部長が雄叫びを上げてダンを応援している。ランベルトを応援する女生徒の声援と混じって、会場は沸きに沸いている状態。初心なノエルから聞き出すにはこのくらい騒がしい方が良さそうね。


「誰なのよ、教えなさい。まさかダンじゃないでしょうね」

「そんなまさか! ミミィ様の婚約者を相手にそのような懸想、言語道断です!」

「けれど、言えないような相手ってことは、やましいことがあるのではなくて?」

「違います! その、相手の方に迷惑が、かかってしまいますから」

「だから、誰なのよ。それ以上隠したら、徹底的に調べ上げるわよ」


 隠されると妙に気になってしまう。擽られた探究心から、距離を詰めて問い質した私に、ノエルは普段の溌剌さが嘘のように縮こまってから、ぽそりと呟いた。


「……オーギュスト様です」

「なんですって」

「元よりアルフォンス様を通じて文のやり取りはあったのですが、は、半年ほど前から、卒業後のことで相談に乗って頂いていて、とてもお優しく、気づけば……その、」

「優しい? 外面が良いの間違いでしょう?」

「オ、オーギュスト様はお優しいです! 自身の才能を鼻に掛けることなく日々努力されていて、民のことを一番に考えていらっしゃいます! とても素敵な方です……!」


 一体誰のことを言っているのかしら。オーギュスト殿下は未だに私に会うと嫌味と知識披露にいそしんでいらっしゃるのだけど? 好きな女の前では優しげな良い男の面を見せたいということ? あの男が?

 まあ、良いわ。事実かどうかの裏付けが取れたら、次に顔を合わせた時にはからかって差し上げましょう。

 想い人の話が余程恥ずかしかったのか、真っ赤な顔で蹲ったノエルが少しも反応を返さなくなってしまったところで再度闘技場へと目を向けた私は、そこでようやく、地に伏したランベルトと、その前に立ち、呆れた顔で此方を見つめるダンとの勝負の結果を知ったのだった。


「……あら、すっかり見逃していたわ」


 思わず呟いていた私の言葉は聞こえていなかっただろうに、ダンは軽く肩を竦めると小さく口を動かした。

 だと思った、と苦笑交じりに呟かれたそれに小首を傾げて微笑みを向ける。

 だって、勝つと分かっていたのだもの。見に来たのは単に、そうした方が面白そうだったから、それだけよ。


 審判による勝利宣言を聞いたダンは、一仕事終えた、と言わんばかりに深い溜息を落とすと、ランベルトに肩を貸しながら闘技場を後にした。




      ◇   ◆   ◇




 ランベルトとダンの決闘から一週間。

 私の手元には、ダンが勝った証として、ランベルトの服飾店との契約書が在った。此方側に有利な条件で業務提携を結び、魔石加工の過程でついでに手を出していた宝石類をエルミネイト帝国にも卸すことになったのだ。


 国内有数の服飾店であるランベルトの店を足掛かりに出来るのは素直に喜ばしい。本音を言えば転移魔法の研究論文が欲しかったが、それは流石に無茶が過ぎた。今は素直に、予定が五年は早く済んだこと、宝石の輸送費をランベルト側が転移魔法で持ってくれるだけで儲けものだと考えておこう。

 それに、今回の件でダンに十分な力があると御父様も認めてくれたのだし。総合的に見れば充分な結果ね。


「ところでダン、いつになったら言ってくれるのかしら?」

「何を?」

「……私、勿体ぶられるのは嫌いなのよ。知っているでしょう?」


 休息日の午後。ランベルトの手から受け取った契約書を直接私の部屋まで運んでくれたダンに、この一週間待ち続けていた言葉をねだるも、本当に分かっていないのか、それともとぼけているだけなのか、非常に怪しい答えが返ってきた。

 流石に目を見ていないと判断がつかない。契約書を引き出しへしまい、振り返った私の目には、なんとも居心地悪そうにソファに腰掛けるダンの姿が映った。


 これは完全に誤魔化している方のパターンね。諦めの良いダンにしては珍しい選択に目を瞬かせていると、軽く俯いたダンは頭を掻きながら浅い溜息を落とした。


「…………本当は試合の後に言うつもりだったんだよ。でも、ミミィがノエル嬢と話し込んでるから」

「あら、私のせいなの? 貴方の度胸が足りないだけじゃなくて?」


 揶揄いを込めて笑みを向ければ、ダンは鼻の頭を擦りながら「それもある」と小さく零した。

 貴方のそういう、素直ですぐに譲ってしまうところ、好きよ。勝つと信じていたからこそとはいえ、婚約破棄が掛かった試合を放って恋愛話に花を咲かせていたのは事実なんだもの、もう少し怒ったって構わないのに。

 此処は私の方も少し折れるべきかしら。ダンから貰える言葉が少ないのも確かだけれど、私も足りているとは言えないのだし。


 なんて考えながらソファまで歩み寄ろうとしたその時、静かに立ち上がったダンが此方側へと足を進めた。


「……ミミィが、俺の贈ったアクセサリーを付けてくれるなら、俺も言う」


 鏡台の前で立ち止まったダンの指先が、大事にしまい込んである引き出しをなぞる。そこに、ダンから貰った髪飾りと耳飾りをしまってあることを知っているのは、私の他にはルーシェだけだ。

 部屋の隅に控え、静かに壁と同化しているルーシェを睨むも、目を閉じた彼女は素知らぬ顔で佇んでいる。


 全く、余計なお節介を。

 どうせ結婚したなら同じ部屋で過ごすのだし、その時でも良いじゃない。


 なんて思いつつも、指先は勝手に解錠魔法を描きつつ引き出しを開けてしまう。取り出した髪飾りと耳飾りをダンの手に乗せれば、彼は何を問うでもなく、黒曜石のイヤリングを耳朶へ飾り、白く細やかな花の彫られた髪飾りで軽く掬い上げた髪を纏めた。

 私の背後には鏡台があるから、対面のダンにも後ろ髪はよく見えていることだろう。抱き締めるような格好になったものだから、ついでにその肩に頬を寄せてしまった。

 耳元で、ダンの声がする。


「こんな大仰に仕舞わなくても、幾つでも贈るけど」

「ダメよ。初めては一度切りなんだもの、大事にしたいわ」

「……そうか」


 そういうものなのか、と呟くダンにそのまま体重を預けていると、やがてそっと背に腕が回る。

 ねえ、ダン。愛の言葉を囁くなら、丁度数秒前のタイミングが一番良かったと思うのだけれど、貴方ってどうしてそう、肝心な時に私の予想を外してくるのかしら。

 おかげで私の心臓は変に高鳴ってしまうのよ。本当に、困ったものね。


 小さく零れ落ちた私の笑みを催促だとでも思ったのか、柔らかい声で愛の言葉を囁くダンに、私は笑いを噛み殺してワンテンポ遅れつつ、同じ言葉を囁き返した。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 再読!この小説でしか得られない萌えを補給しました! 創作ありがとう!
[良い点] 目から鱗。 傲慢さが良い意味で発揮される、まさしく強者の理論。 そして、嫌味なく、清々しい程に「我が道を行く」主人公の行動が、読後感に爽快さを齎す、文章力に脱帽。 素晴らしい作品をありが…
[良い点] めちゃくちゃ好きなお話です!!!ありがとうございます! 強いひとと強い人のカップル大好物なのでニコニコしながら読みました! [一言] 両想い最高!!
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