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二話 前 [ミシュリーヌ視点]



 自分が他者と比較して類い希な才能を持っている、と自覚したのは二歳の頃だった。


 生まれ落ちて一年、まず初めに乳母がノイローゼになり、次に私を不気味がった母が一度屋敷を離れた。探究心を抑えきれずにあれこれと質問する私に嫌気が差したのだ。

 新しい乳母を探すも、誰も彼もが一月と保たずに逃げ出し、結局私には『遊び相手』として、家令の娘で当時十八歳だったルーシェが宛がわれた。


 身の回りの世話と監督は乳母が行い、一日中繰り返される面倒な質問に答えるのはルーシェの役目となった訳だ。

 もう少し自制を利かせれば良かったと今ならば思うけれど、あの頃の私は一歳半。流石に我慢の利く年齢でも無かった。


 目に付いた書物を読み耽り、疑問があればルーシェに尋ね、体力が尽きたら眠る。

 そんな生活を半年も繰り返した頃には屋敷の中にある本は全て読み尽くしてしまったし、流石にこの状態が一般的に見て大分異常であるということも理解した。


 公爵家としての職務は滞りなく回っていたが、不必要な別居状態が長く続けば続くほど、後々ちょっとした諍いの種になりかねない。

 少なくとも私が独り立ちするまでは過ごしやすい家であってもらわなければ、と手始めに、意思を伝えるだけの機械的な会話からコミュニケーションを主とした会話へ切り替えつつ、父を使って母を呼び戻した。

 少々気が弱く打たれ弱い面はあるものの、公爵家に嫁いだ身である。情緒が育った素振りを見せ、態度の落ち着いた私が娘として『支障が無い』状態であることを確認すると、然程迷う様子もなく戻ってきた。


 父が漸く見つけた王都でも指折りの教師を私に付け、早々に公爵家令嬢としての教育を始めたのも、母が戻ってきた理由のひとつだろう。自分が相手をする必要が少ないのなら、屋敷で過ごした方が過ごしやすいに決まっているのだ。


 父に対し、最初から適切に対処してくれれば良かったのに、などとは言うまい。

 その頃の父は、王宮にて第一王子のアルフォンス殿下と第二王子オーギュスト殿下について起きた問題の解決に当たっており、職務外の精神負担を減らすべくある程度の問題を切り捨てるのは、要職に就く者としては当然だった。私が父でもそうしたと思う。子供など放って置いても育つのだから。事実育ったのだし、問題も遺恨も無い。


 不満があるとすれば、付けて貰った教師の出来があまり良くなかったことくらいだろうか。指折りの、などと言わず王都一の者を連れてきてくれていれば、もう少し有意義な授業になったように思う。

 自力で補える範囲だったため問題は無かったが、少々面倒であったのは事実だ。


 しかして、小さな不満はあれど順調に成長を遂げた私は、三歳になると同時に『魔法適性』を見るべく中央神殿に出向いた。

 生来備わった自身の魔法の属性や魔力量を水晶石により判断し、将来どの程度伸びるかを見るのだ。大陸に生まれた者は大抵は、三歳程度で体内の魔法回路が定着し安定した結果が出るようになる。

 シュペルヴィエル家が司る魔法属性は『水』だ。四大精霊の加護を受けた高位貴族としてその血を絶やさぬように、基本的には『水』に適性のある者と婚姻を結び血を繋いできた――のだが、私の魔法属性はどういう訳か『闇』であった。


 水晶石が黒く光り始めた時の神官の引きつった顔は今でも覚えている。名家であるシュペルヴィエル家から、よもや魔族の象徴とも言える闇属性の者が現れるとは思わなかったのだろう。

 付き添いに来た母は悪魔の子を産んだのではないかと卒倒しかけ、家令は急いで伝令の精霊を父へと飛ばした。

『魔力量、質共に十分すぎるほど優秀であるが、〝闇属性〟である』との報告を受けた父は、出来うる限り早く神殿へと向かい、神託の間にいる全ての者に金を握らせて黙らせた。


 適性外の魔法は伸び悩む、と言うだけで他属性の魔法を覚えることも無論可能だ。よって父は私に水属性の魔法を覚えさせることでシュペルヴィエルの名を守ることを選んだ。

 錯乱する母を落ち着かせてから職務に戻る父の背は随分とくたびれていたように見える。どうも、第二王子オーギュスト殿下が私と似たような状態だったらしい。

 『優秀すぎる程に優秀な第二王子』というのは、非常に扱いに困る。二人が双子なものだから尚更厄介なようだった。権力争いが内乱に繋がることもある、と父は日々思惑まみれの書類の山と会議に頭と胃を痛ませていた。


 それに加えて娘が『闇属性』などと知られれば、王宮内での発言権にすら影響しかねない、と大金を握らせ黙らせたのだ。そして、私にも『水属性の魔法を覚えるまでは不必要に屋敷の外へと出ぬように』と言いつけた。

 正直に言えばこの一年で基本属性の魔法は中級まで使えるようになっていたのだが、これ以上父の胃を痛めることも無い。私は屋敷内なら好きにしていいとの言葉通り、行商から買い付けた美しい昆虫の標本や魔導書、マジックアイテムなどを使って時間を潰すことにした。


 そうして屋敷の一室に引きこもった私がその『オルゴール』を手に入れたのは、屋敷に籠もり続けて一年が経った頃のことだ。

 信頼の置ける行商人から面白い物が在る、と渡された小さなオルゴール。一見何の変哲も無いように思えるそれは、繋がり合った二つのオルゴールの間で、持ち主の声を伝えて会話を可能にするらしい。

 音声を伝えるだけなら妖精で充分だと一度断ったのだが、このオルゴール、『触れた者がオルゴールに認められれば、その者が最も望む相手の元へと同個体のオルゴールを生じさせ、蓋を開いて音を奏でることでその者を呼び寄せる』そうだ。


 大した面白みも無い小道具だ。オルゴール如きが私を試そうなどとは笑ってしまう。

 その場で叩き壊しても構わなかったけれど、『運命の相手』だとかが案外好きなルーシェが興味深そうにしているものだから、一度くらい戯れに試してみるのも良いだろう、と買い取った。


「ルーシェ、あなたがあけても かまわないのよ」

「滅相もございません。私のような下級魔法しか扱えない使用人が使える代物ではありませんので」

「『うんめいのひと』がわかったら うれしいのではないの?」

「それは……嬉しく思いますが、私のような者には運命などという大層な相手は、」

「ねえ、まえから おもっていたのだけど。その『わたしのような』というのは やめてちょうだい、ふゆかいよ」


 美しい球状のオルゴールを前にまごつくルーシェを見上げれば、彼女は困ったように眉を下げ、謝罪の言葉を口にした。

 別に謝って欲しかった訳ではない。溜息を吐きつつ、金の装飾が施された白いオルゴールに触れる。


「あなたが じぶんのかちを どうおもっていようと かってだけれど、わたしのそばで はたらくかぎりは わたしのしょゆうぶつなの。わたしはつかえるものしかそばにおきたくないし、わたしが こうしてあなたを つきしたがえているというのは、ようするに あなたにかちがあって そうしているのよ。

 だから、かってにあなたのはんだんで あなたをおとしめるのはやめてちょうだい」


 己の探究心に振り回されていた状況を正しく理解した際、私にはルーシェ以外の侍女を選ぶ権利もあった。彼女より優秀な者は山ほど居る。それでも私がルーシェを選んだのは、私が自分の暴力的なまでの探究心に振り回されている間、付きっきりで相手をしてくれたのがルーシェだけだったからだ。

 自分よりも遙かに物覚えがよく知識を吸収していく幼児の相手をするのは、殆ど苦行に近い物が在る。雇われている以上は当然の義務ではあるが、人の心はそう簡単に感情を割り切ることはできない。

 それでも、ルーシェは少しも分からない学術書を必死に読み解き、少しでも私の役に立つようにと働き続けた。自己評価が低く芯が弱そうに見えるが、誰も彼もが投げ出しかけた仕事を成し遂げたのだ。

 彼女には、選ばれるだけの価値がある。


「……承知しました、今後は気をつけます」

「そうね、きをつけて。わたし、おなじことを にどもいうのは きらいよ」


 釘を刺せば、眉を下げて微笑んだルーシェは僅かに困惑を滲ませつつも頷いた。それと同時に、手の平で触れていたオルゴールが微かに熱を帯びる。

 魔法回路に問題がないことは感じ取っているから、危険性は無い。そのまま導かれるように魔力を注げば、淡く輝き出したオルゴールが上に乗せた手を持ち上げるように開き始めた。


 脇に立つルーシェの握り締めた手に力が籠もる。その目が期待に輝いているのを見て、やっぱり買い取ったのは正解だったわね、などと考えていた所で、開いたオルゴールから軽やかな音色が流れ出した。

 本来オルゴールに組み込まれている真鍮の筒と櫛歯が耳触りの良いメロディを奏でる後ろで、僅かに別の物音が響いている。徐々に近くなるそれがはっきりと聞こえるようになった頃、旋律が止んだ。


『…………なんだろう、これ』


 そうして私は、後に私の婚約者となる男――ダニエル・グリエットと出会ったのだ。




       ◇   ◆   ◇




 私としては、例えオルゴールに認められたとしてもこんな小道具が勝手に選んできた者が『私の望んだもの』であることを簡単に認めるつもりは無かった。

 与えられた物から最善を選び取るのは当然の権利だが、『最善』を与えられてただ満足するだなんて性に合わない。

 このオルゴールが選んだ相手が本当に『最も望む相手』なのか見極める必要がある。選ばれたという相手が真実『そう』だというのなら、行商人には次回は少し色をつけて代金を払ってやってもいい。


 想像よりも余程冷めた思いでオルゴールの奥へと語りかけた私は、気紛れに一時間ほど言葉を交わし、そこで『ダニエル・グリエット』が一般的な同年代の貴族令息よりも余程優れた知能と、柔軟な思考を持っていることを察した。

 口数こそ少ないが、此方の言うことを一度で殆ど全て正しく聞き取り理解する。分からないことは自分で『どこが分からなかったか』を把握した上で質問をしてくる。加えて、私と同い年。成る程、確かに試すには悪くない相手だ。


 ダニエル・グリエットという名を聞き、代を重ね領地経営が上手くいかなくなり始めている伯爵家を思い浮かべながら次の約束を取り付け、オルゴールを閉じる。


「まあ、わるくはないわね」


 珍しく、心の底からそう思っていた。完全に侮っていたオルゴールが、少しばかり価値のある物に見えてくる。

 小さく鼻を鳴らして紅茶の用意を言いつけた私に、ルーシェは口元に微かな笑みを浮かべながら腰を折って答えた。



 それから幾度かオルゴールを通して会話を重ねたけれど、私は一度もダンには名乗らなかった。

 公爵家の娘であることを伝えて何か面倒が起こるのを避けたかったというのもあるし、単純に、私が名乗ってあげる程の価値をまだ見出していなかったのだ。

 会話への反応は悪くない。此方の言うことを素直に聞くのも好感が持てる。ただ、圧倒的に知識量が不足していた。あと十年もすれば困窮しかねない伯爵家が次男であるダンにまで教育を施す余裕はないのだろうけれど、それにしたって放置が過ぎた。


 二週間が経つ頃には、オルゴールを通しての会話は大半が私の所有する書物の朗読になっていた。単に本を薦めるだけだと、グリエット家には手に入れることが難しかったのだ。

 どうしてそこまでしてやったのかと言えば、単にダンが読み聞かせた本の内容に対して口にする指摘を聞くのが楽しかったから、でしかない。


『しょくぶつは、そとからそそぎこめば まほうぞくせいが かわったりもするよね? どうしてにんげんは うまれつき きまってるんだろう。そとがわから かえられたりしないのかな』


 昔(といっても一、二年前だけれど)の私が気に留めた箇所と同じ部分を気にして考え込む姿が何だか妙に可愛く見えたのだ。

 その日は時間の許す限り、人間に生来備わった魔法属性を変える方法について話し合った。その分野に関しては後々私の魔法属性を誤魔化す必要も出てくるだろうと研究し始めていたので、ついつい熱が入ってしまった。


 オルゴールを閉じた後、大きく息を吐いて冷えた水に口をつける。


「たくさん はなすと、ほんをよむときより のどがつかれるわね」


 次はどの本を読み聞かせようかしら、なんて考えながら本棚を見上げた私の横で、ルーシェが微笑んでいる。

 目をやれば、何だかバツが悪そうに視線を逸らされた。


「なあに? いいたいことがあるなら はっきりいいなさい」

「……いえ、…………その、お嬢様が楽しそうで良かった、と思っただけです」


 一度言い淀んだルーシェは、やや躊躇いつつも喜色を滲ませる声で明瞭に口にした。小さくはにかむように笑ったルーシェの目に、少しばかり惚けた顔の私が映っている。

 傍目から見ても分かるほどに楽しそうだったのかしら、私。

 喋りすぎて軽く痛む喉を水で潤しつつ、頬を摩る。グラスを持って冷えた手のひらは、熱くなった頬には丁度良かった。




 そうして、読み聞かせを続けて半年が過ぎた頃、私は再びやってきた行商人から、件のオルゴールについて『一つの問題点』を聞いた。


 なんでも、オルゴールには使用期限があるのだそうだ。

 希有な高レベルアイテムであり使用例が少なすぎる為に判明するまでに時間がかかってしまったが、どうもこのオルゴールは初めの使用から一年ほど経つと、オルゴールで会話した相手を忘却してしまうらしい。

 それまでに実際に見つけた相手に会えばその記憶は消えない。あくまでも消えるのは『オルゴールで会話をした相手』の記憶だ。


 大抵は『望んだ相手』が見つかり相性さえ良ければ直ぐに会おうとするものだから、問題にもならなかったようだ。更に言えば、『会えない』相手であるのならそのまま忘れてしまった方が良いに決まっている。

 全く、要らぬお節介を焼いてくれるオルゴールだ。

 魔力量さえ足りているのならば忘却に対抗することも出来る、とチェレギンは口にしたが、生来膨大な魔力を持つ私ならば兎も角、ダニエル・グリエットが対抗出来る魔力量を得るには到底半年では足りないだろう。そして、父に無茶を通すには、私の足場は未だ些か心許なかった。

 確認不足について謝罪を口にする行商人――チェレギンから幾つか高額商品を安値で買い取りつつ、私はグリエット家と婚約を結ぶ方法について考えてばかりいた。


 このまま順当に成長すれば、私は第一王子もしくは第二王子の婚約者になる。

 私が『駒として立派に使える』と知っている父は、王家との繋がりを作ることも当然選択肢に入れているだろう。一旦王族の婚約者となってしまえば、後々婚約を破棄するのは絶望的だ。公爵家との政略結婚ですら契約としては強い拘束力を持つのだ、王族相手など、少なくとも適齢期の間に破棄する力を蓄えることなど出来ない。

 どうにかしてダニエル・グリエットと婚姻を結んでしまうしかない。『後で容易く破棄が出来る相手』となら、一旦婚約を結ばせてくれる可能性もなくはなかった。

 私がダンとの婚約を無理に取り付けたとしても、『資金援助の申し出の為に次男を差し出したグリエット家』というレッテルさえ貼ってしまえば、いざというときには不始末でも捏造して此方側から破棄を出来る――と父は考えるだろう。


 それまでにダンを父が認めるほどの男にしてしまえば、あとは私の方でどうとでもしてみせる。一番不味いのは、本当に『資金援助の為』にダンが私以外の令嬢と婚約を結んでしまうことだ。

 我が国では貴族の婚約は大抵、七歳程度で結ばれる。魔力が殆ど安定し、基礎魔法の扱いを覚えた頃だ。あと二年半あるが、既に話は出ている可能性もある。

 動くのは早いほうが良いだろう。考えを纏めるべく黙り込んでいた私が顔を上げると同時に、チェレギンが些か胡散臭い顔に愛想笑いを浮かべた。


「……ミシュリーヌ様。ワタシはそろそろこの辺で、お暇させて頂いてもよろしいですか?」

「すこし まってちょうだい。……そうね、あなたにひとつ、たのみごとをしようかしら」

「おや、頼み事ですか? 貴方様がワタシに?」

「ええ、このはんとしで かんせいしたものが いくつかあるのよ。うりあげのはんぶんは もっていってかまわないから、あなたをとおして うりさばいてくれない?」


 戸棚の隠し部屋の奥からルーシェに運ばせた魔導具を幾つか並べれば、チェレギンは商売の臭いを感じ取ったのか、片眼鏡を押し上げながら楽しげに笑った。

 大陸内でも数人居るかどうか、という『鑑定スキル』持ちの彼に認められた商品は恐ろしいほどの高値で売れる。前々から試作品を見せては改良を重ねていた魔導具たちは、少なくとも機能にも耐久性にも問題は無いはずだ。


「ふむ、これなら……そうですねえ、三万ケトスで買い取りましょう」

「ふうん? きまえがいいのね」

「そりゃあ、そうでしょう。此処まで精度の高い魔石研磨機は見たことがありません、ワタシが使いたい程です。此方の保管用ケースも素晴らしいですね、魔力の拡散を極限まで抑えている……輸送用に最適かと」

「もしかしてあなた、ぜんぶ じぶんでつかうつもりで かいとったのかしら」

「量産の許可を頂けるなら作りますがね、まあ、その辺りはお好きなように。ワタシはあくまで行商人です、工場を持つ気はありませんので」


 あっさりと三万ケトスを支払える程度には懐が潤っているらしい。金貨の入った袋を手渡したチェレギンは追加で作成した物があればまた買い取る旨を伝えると、いつものように夢馬レーヴに乗って去って行った。

 高レベル鑑定スキル持ちのチェレギン相手には、私の属性は筒抜けだし、それは父も了承済みだ。身を隠す必要も無く話せる相手が居るのは気晴らしにもなるし、彼は単純に人脈としてこれ以上無いほどに優秀で助かる。

 先代の頃から懇意にしている商人ということである程度好きに屋敷を出入りしているし、少なくともこれは『正当な金』として扱われるだろう。


「……これをどうにかして、じゅうばいくらいには したいわね」

「三十万ケトスですか? どうしてまた……」

「いざというときは いえをでることも かんがえているもの」

「えっ、お、お嬢様、そんなことをすればシュペルヴィエル家の血は、」

「そんなの、わたしのしったことではないわ。それに、おかあさまだって まだおわかいのだし、どうとでもなるでしょう」


 私が闇属性を持って生まれて以来、次子を作るのはしばらく後回しにされている。もし仮に再び闇属性を持った子供が生まれてしまった場合、その子供が自身の属性を隠せるほどの魔法適性を持ち合わせている確率がどれほどか、と考えればそれなりに適切な判断だと言えるだろう。

 私が魔法属性の隠匿技術を確立してから決定しても、魔法による適切な補助があればさほど問題はない。


「ど、どうとでも、と言われましても……」


 そんな予想を立てての物言いだったのだけれど、狼狽えるルーシェが可哀想になってきたので、「いざというとき、のはなしよ」と繰り返しておいた。そう、本当に、いざというときの話である。

 これから先、私の邪魔をするような真似をするならば正面から――――いえ、どんな手を使ってでも障害を排除してみせる。それだけの決意と衝動が、その時の私の胸にはあった。


 要するに、私は『もうダニエル・グリエットと話せなくなる』となったところでようやく、自分が彼を失いがたく思い、何よりも大事だと思える程に愛情を注いでいることに気づいたのだ。




 ────そこから先は早かった。

 一年間で私財を四十万ケトスへ膨らませ、人脈を広げ着々と準備を進めた私は、六歳の誕生日の直前、『誕生日のプレゼント』として『ダニエル・グリエット』との婚約を強請った。

 外部に持ち出しても構わない仕事を私が手伝うようになってから幾分甘くなった父が『なんでも欲しいものを言いなさい』なんて言うから、ここぞとばかりに言わせて貰ったのだ。


 欲しいものなんて決まっている。

 ダニエル・グリエットが欲しい。どうしたって欲しい。

 『麗しの美貌』を持つ第一王子と顔を合わせた時も、『百年に一人の天才』と持て囃されている第二王子と会話した時も、ダンと話している時ほど心が躍ることは無かった。

 私は彼に恋をしているのだ。顔も見たことの無い、どころか、もう私と会話したことすら忘れてしまっているだろう彼に。


 流石というか、父は然程悩むこともなく、名ばかり伯爵と化しているグリエット家についてすぐに記憶から拾い上げた。

 しかし、その中でも名前すら覚えられていない、次男であるというダニエル・グリエットが自分の娘に相応しいとは思えなかったらしい。


 婚約者は誕生日に選ぶようなものでは無いよ、などと本音を隠して諭すように言ってくるものだから、つい炎魔法で絵画を一枚焼いてしまった。対象を指定する高次魔法はそれ以上燃え広がることはないが、例え属性的に相性が良くとも同様の高次魔法でなければ対処が難しい。


「お父さまが『なんでもいい』と おっしゃったのでしょう? ご自分が いったことくらい まもってくださいませ」

「いや、だが、そんな婚約を結んだ所で我が家にメリットが無いだろう、ミミィ」

「そうですか。お父さまが そのように言うのであれば しかたありません、わたしは やしきに火をはなって シュペルヴィエルの名をすてます」


 焼け焦げ、灰と化した絵画を見やりながら深く溜息を吐いた父は、一体何がお前にそこまでさせるんだ……とぼやきつつも、了承の意を示して頷いた。

 これでも一応六年弱親子をやっているのだ。私がどれほど本気で、『やる』と言ったことは必ず実行する人間であるかくらい分かっている。


「少なくとも王族くらいでないと、相手するのが可哀想なんだがな……」

「あら、どういういみですか、お父さま?」

「そのままの意味だよ、ミミィ。お前の相手には少なくともオーギュスト殿下と同じ程度の頭脳と胆力が必要だ」


 などと、失礼極まりないことを呟いた父は、それでも私が意思を曲げないことを知ると渋々ながらグリエット伯爵家へ知らせの手紙をしたため始めた。

 どうやら父は私が思っているよりは、私のことを『正しく』見ていたらしい。政略の駒としてだけではなく、私の相手として相応しい男を探した結果、第二王子くらいしか居ないと考えているようだった。


 確かに知能レベルは釣り合っているでしょうけれど、それだけで決められても困るわ。

 今は水面下での冷戦と化しているけれど、オーギュスト殿下は継承問題の渦中にいるのだし、その婚約者だなんて身動きも取れないし厄介極まりない。国の為に身を捧げるような性分でも無いし、そもそもダンと婚約できないのならこんな国は滅びてしまえばいいとさえ思う。

 それに、何より私、あのひと嫌いなのよね。向こうも私のことはよく思っていない。大陸外の新説魔術理論について語り合ったときに「知識量だけで凝り固まった思考回路の持ち主」だの「斬新と無謀を履き違えている愚か者」だのを、聞こえの良い言葉で飾り立てて投げ合ってしまったのだもの。


 ダンが私に釣り合っていないというのなら、これから幾らでも育ててみせる。私自身、私の決定に誰も口を出させないよう、力を得る努力を怠るつもりはない。

 正式な書面として受け取った伝令妖精が飛び立つのを横目に、私は計画の第一歩に思いを馳せ、機嫌良く唇の端を持ち上げた。




      ◇   ◆   ◇




 名ばかり伯爵のグリエット家に、シュペルヴィエル家からの婚約の申し込みを断る術など無い。

 難なく婚約者の座を勝ち取った私は、初めて顔を合わせる日に向けてこれまで以上に身なりに気を遣った。肌に一つの傷も無く、髪は丁寧に梳いて艶を保ち、自身が一番美しく見えるドレスを選んだ。


 元々、お母様似の美貌があるのだ。そこに磨きをかけた以上、誰が見ても、大陸一美しい令嬢だと口にするだろう自信があった。


 ――――だというのに、ダンと来たら、挨拶に来たときに私ではなく、私の後ろにある蝶の標本に目を奪われていたのよ。信じられる?


 わざわざ御両親が揃って尋ねてきているというのに、その目に映るのは大陸外から取り寄せた珍しい蝶の標本ばかり。

 あんまりにも素直に上の空でいるものだから、笑いを堪えるのが大変だったわ。


 グリエット夫妻と簡単な挨拶を交わしたあと、ご両親のことは父に任せて、私はダンと二人きりになった。

 ルーシェが用意してくれた紅茶のカップに口を付けつつ、ようやく堪えずに済む笑い混じりに語りかける。


「あなたがダニエル? あんがい、かわいいかおを しているのね」


 短く整えた黒髪に、同色の瞳。平凡な顔立ちと言えばその通りだけれど、丸みを帯びた瞳の奥が時折興味を持って輝くのが可愛らしかった。

 気もそぞろな様子のダンは、そこでようやく私を意識の中に入れたのか、真っ直ぐに此方を見つめた後、どこか不思議そうに首を傾げながらそれを口にした。


「……ねえ、どこかであったことある?」

「あら、どうしてそうおもうの?」

「うーん……なんか、そんなきがして」


 思わず零れ出た、と言わんばかりの幼い問いかけ。その言葉を耳にしたとき、私がどれほど嬉しかったか、きっと彼は一生知らないままだろう。

 オルゴールで交わした会話の相手のことは、忘れてしまう。内容は覚えていても、何処の誰と交わしたものかは思い出せない。やがて記憶の整合性を取るために会話の相手を知り合いに置き換えてしまう。彼の中では、私から学んだことはきっと家族の誰かに習ったか、家庭教師に教わった記憶に書き換わっているだろう。

 それでも、私の声を記憶の何処かで覚えていてくれたのだ。きっと、本人すら自覚しない内に。


 やっぱり、彼が好きだ、と素直に思った。絶対に手放したくない、とも。

 ダニエル・グリエットが私の傍らに居てくれるのなら、どんな手を使ってでも彼を繋ぎ止めようとさえ思った。

 恋って恐ろしいのね。探究心とも、知識欲とも違う熱。自分の中にこんな感情があるだなんて、本当に、心の底から驚いてしまうわ。


「会うのは きょうが はじめてよ」


 嬉しさから綻ぶように笑った私に、ダンは納得が行かないように首を傾げつつも、深くは考えないことにしたのか「そっか」と頷いてみせた。




 晴れて正式な婚約者となった私とダンは、それから月に数度と、誕生日のパーティで顔を合わせるようになった。

 本当は毎日だって会いたいくらいだけれど、ダンには中等部入学までにまだ覚えなければならないことが沢山あるそうだ。多分私が教えた方が早いと思うけれど、あまり性急に事を進めてグリエット伯爵家への負担になるのは避けたい。本格的に口を出すのは十歳前後くらいからにした方が無難だ。


 それまではたまの逢瀬を楽しもう。

 標本の作り方を教えて以来、ダンは遊びに来るたびに珍しい昆虫に目を輝かせている。熱中しているものに対しては驚くほどの集中力を見せるダンが伯爵家では不出来だと扱われているのは、つまりは彼の興味を引く教え方を誰一人出来なかった、ということだ。

 勿論、私を除いて、の話だけれど。


 そうして、私は九歳の誕生日から、着々と練っていたダニエル・グリエット育成計画を実行した。

 引き続き学術の指南は徹底的に、宝石への目利き、絵画の審美眼、社交界の流行を教え込むところから、魔法と剣術の手ほどき、紅茶の淹れ方まで、『私の婚約者』として徹底的に磨き上げた。

 教えれば教えるほど飲み込んで、驚くほど成長するものだから、後半は父に認めさせるだとか何だとかは頭から抜けていて、ただ楽しくなっていた。

 ダンは「俺は説明されないと分からないからなあ」なんて己を不出来な男だと思っているけれど、逆に言えば、彼は『説明さえきちんとされればなんだって出来る』のだ。


 規格外な私が側に居るものだから基準がおかしくなっているのか、ダンは宮廷魔導師の資格を取れるレベルの魔法と飛び級で騎士団に入れる剣術を覚えても尚、自分のことをその辺に居る普通の男だと思っている。

 普通の顔をして口にするその勘違いが妙に面白くて可愛いと思うし、ダンが優秀であることを必要以上に知らしめるつもりはないから誤解は解かないで置いている。変な虫がついても嫌だもの。


 大事にしまい込んだ髪飾りと耳飾りは、無くしたくないから自室以外でつけるつもりはない。誕生日に履かせて貰った靴も同じようにしまってある。この屋敷が爆散魔法で吹き飛んだってこれだけは残るように三重防御魔法をかけてあるのだ。


「お姫様に憧れる気持ちなんてちっとも分からなかったけれど、確かに靴を履かせて貰うのは良い気分ね」


 つい先日迎えた誕生日に贈られた靴を、折角だから履かせて頂戴、と言い放った私に、ダンはいつも通り表情に乏しい顔で頷き、傅いて私の足を手に取った。

 ああいうときに妙な照れも芝居がかった様子も無いところが、ダンの良いところだ。彼の行為には一切の気負いが無い。まあ、時折私に気圧されている所はあるけれど、それはそれで可愛いから、問題ないわ。


「お嬢様、あれではお姫様というより、女王様かと」

「あら、言うようになったわね、ルーシェ」


 思い出に浸りながら目を閉じていた私に、側で控えているルーシェがやや呆れがちな声をかけた。

 付き合いもこれで十四年になる。すっかり物言いに遠慮が無くなったルーシェに笑いかければ、彼女はやはり呆れたように眉を下げつつ小さく笑った。

 椅子に腰掛けると、後ろに立つルーシェが濡れた髪に香油を塗り、丁寧に馴染ませる。魔法で乾かした髪を梳くルーシェの手つきは慣れたものだ。


「……こんなによくお似合いなのに、ダニエル様の前ではお付けにならないのですか?」

「いやよ、恥ずかしいもの」


 鏡に映るのは、耳元で揺れる黒曜石の耳飾りだ。私の魔力属性をイメージしているのか、それとも、自身の色を込めたのかは知らないけれど、意匠が凝っていて気に入っている。

 揺れる飾りを指先で弄びつつ、鏡越しにルーシェと目を合わせる。小さな溜息を落とした彼女は、心底不思議だと言わんばかりの声で呟いた。


「…………傅かせて靴を履かせるのは平気で、贈り物の装飾品を目の前で付けるのは恥ずかしいのは何故なんです? 私、お嬢様のことがちっとも分かりません」

「そこに関しては、私も私のことが分からないのよね。どうしてかしら」


 不思議ね、と呟いた私に、ルーシェは肩を落としながら溜息を吐いただけで、特にそれ以上口にすることは無かった。




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