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一話 後 [ダニエル視点]

(女子vs女子の厨二派手バトル展開が好き)



 一週間が経った。

 約束通り、サンクの日の放課後に第六闘技場へと向かう俺は、始まる前から疲労感に溢れつつも、普段と変わらずミミィの後ろに付き従っていた。


「……なあ、本当にそんな馬鹿げた理由だったのか?」

「ええ、本質的にはそうよ。笑ってしまうでしょう? 全く、正義感に溢れた愚か者って一番面倒よね」


 うんざりしながら問いかける俺の手元にあるのは、この一週間でミミィが集めた『ペルグラン男爵家』の情報を纏めた書類だ。

 木製のボードに留められたそれらに書かれているのは、何ともくだらない『誤解』と稚拙な『策略』の報告である。


 結論から言えば、ノエル・ペルグラン男爵令嬢は正真正銘、心の真っ直ぐな御令嬢であり、同時にあまりにも乗せられやすいお人好しの阿呆だった。


 ノエル嬢は孤児院から引き取られ、特待生として我が校に編入した訳だが、彼女と時期を同じくしてもう一人、新入生の中にも『ペルグラン家』の男爵令嬢がいる。

 名をロザリー・ペルグラン。ノエル嬢が言っていた『ロザリー』というのが彼女であり、一応はノエル嬢の義妹ということになる。


 このロザリー嬢がくせ者だった。くせ者、というか愚か者だった。


 見目麗しい御令嬢だが身体が弱く、男爵家で蝶よ花よと育てられたせいで儚げな見た目に反して酷く傲慢に育ってしまった彼女は、何とその底なしの欲を抑えきれず、『王太子の婚約者になりたい』と願ってしまったらしい。というより、もはや『自身が王太子の婚約者になるべきである』と信じて疑っていない様子だそうだ。


 特待生の上に編入生であるノエル嬢を橋渡しとして数々の有力貴族の令息とも懇意にしているばかりか、義姉を隠れ蓑にして王太子アルフォンスとも顔を合わせているらしい。


 話だけ聞けば男好きの碌でもない女としか思えないのだが、どうも周囲の人間を信奉者にすることには長けているらしい。

 関わった令息たちだけではなく義姉であるノエルもロザリーを『病弱で健気な麗しい令嬢』だと思い込み、それこそ、ロザリーが黒と言えば白も黒になる勢いで信じ切っているようだ。


 その生粋の悪女が今回の事態にどう関わってくるのかと言えば、答えは単純だ。

 どうやらこのロザリー・ペルグラン、王太子アルフォンスの『婚約者』をミミィだと勘違いしていたらしいのだ。

 どうしてそんな勘違いが起きたのかは理解に苦しむが、第一王子でありながら外交の関係で他国へ婿入りすることになっているアルフォンス王子の婚約が伏せられていることと、俺が公爵令嬢であるミミィの婚約者としてはあまりに知名度が低いことから、何かしらの情報の行き違いがあったのだろう。


「それにしたって、少し調べれば分かることだろうに」

「調べたのよ、自分なりの方法でね。手段が間違っているのだから結果が間違うのは当然のことだわ」


 ペルグラン家は此処数年、正直に言ってあまりいい噂は聞かない。領地経営に関しても当主の手腕が鈍ったとも言われているし、各所で恨みを買ってもいるらしい。もしかしたらこの機にペルグランを潰そうとした他家がロザリーを唆した、という線も有り得る。


 ともかく、ロザリーは勘違いしたまま、アルフォンス王子とミミィの婚約を破棄させるつもりでノエル嬢を焚き付けた。彼女は孤児院から拾われた恩もあり、盲目的に溺愛していた義妹に言われるがままミミィに決闘を申し込んだ────というのが今回の事態の発端だ。


 勿論、ノエル嬢としては本当に、『悪』を断罪するつもりで来た。彼女の正義感に嘘は無く、だからこそ尚更たちが悪い。

 正義は己にあると信じている彼女は、決闘で決着をつけるまでは此方の言葉を一切聞き入れる気が無かったのだ。


 だから、何の意味も結果も成さないと分かっていながら、ミミィは今日、わざわざ闘技場に向かっているという訳だ。


「全く、くだらない勘違いで私の手を煩わせるなんて、これだから田舎者は嫌ね。そのまま孤児院に引きこもっていれば良かったのに」


 悪態染みた台詞を吐くミミィの足取りは、言葉に反してひどく軽い。公の場で、自身に楯突いた相手を甚振れるのが嬉しくてならないのだろう。行動は兎も角ノエル嬢の『正義』が本物であるように、此方の『悪辣』も正真正銘、本物なのである。

 ノエル嬢には悪いが、ミミィの憂さ晴らしに付き合って貰うしか無い。ほんの少し哀れになり、思わず天を仰ぎ、ノエル嬢が五体満足で帰れるように祈ってしまった。





 第六闘技場の客席は、半分程が埋まっていた。廊下で聞きつけていた生徒は二クラス程度だったと思うが、少なくとも学園の半分が観戦に来ているように思える。

 一体何処からこんなに話が広まったんだ。というか、ここまで大事になっているなら教師が止め――――ないか。ミミィのやることに口を出す者など、もうこの学園には残っていない。


「お待ちしていましたよ、ミシュリーヌ・シュペルヴィエル様。当日までに闇討ちもあり得るかと警戒していましたが、流石に貴方もそこまで堕ちてはいなかったようですね」

「あら、どうして闇討ちなんてする必要があるの? 折角、公衆の面前で貴方を叩き潰せるというのに、わざわざ自分の手でその機会を台無しにするなんて意味が分からないわ」

「いつまで余裕ぶっていられるか、見物ですね! さあ、杖を取りなさい!」


 学園規則による決闘は、原則として魔法、または剣術を使用した一騎打ちとなる。

 闘技場内のみで使用できる『障壁を生じさせる魔石』を身につけ、相手の頭部の上に表示される『ポイントを換算したゲージ』を先に空にした方が勝者だ。

 高火力魔法を放っても互いに怪我をすることなく勝敗を決められるので安全性が高く、実技授業の試合でも使用されている対戦方法である。

 ちなみに、魔石は決闘終了後に自壊してしまう為、使用する生徒は買い取る形で使用料を払うこととなる。一個二〇〇ケトス。平均的な学生の食費で一週間分くらいといった所だ。


 特待生ということもあり魔法には自信があるのか、ノエル嬢は長杖を手にしている。

 魔法樹から削り取った杖は、長ければ長いほど魔力補助の力が強まり、威力が上がる。あまり長すぎても取り回しに困るから、まあ、身の丈より頭一つ分くらい大きいものが主流だ。

 上部に魔石を埋め込んだオーソドックスな作りの杖を構えるノエル嬢に対し、ミミィは迷うことなく腰元の剣を引き抜いた。


「貴方程度を相手にするのに杖なんていらないわ」

「剣、ですって? あ、貴方ッ、馬鹿にするのもいい加減にして下さい!」

「いいから掛かってきなさい。未だに名乗りもしない無礼者にはこれで充分だと言っているのよ」


 魔法適正が高すぎるノエル嬢は許された時間の全てを座学と魔法実技の鍛錬に費やしているのか、剣術の授業に顔を出したことは無い。それ故にミミィの実力を知らないのだろう。

 そもそも女子生徒で剣術を取っているのは学年の十分の一にも満たないし、ミミィが出席するようになってからは更に半分に減った。女子同士で組まされる分、模擬戦の相手になりやすいからだ。


 障壁が怪我は防いでくれるとは言え、痛覚はそれなりに残る。

 ノエル嬢のトラウマにならないと良いが、と若干目を逸らした俺が会場の隅に移動すると同時に、はっとしたように姿勢を正したノエル嬢が口を開いた。


「これはとんだ失礼を! ノエル・ペルグランと申します! この度、ミシュリーヌ・シュペルヴィエル様の悪行を食い止める為、婚約者様との婚約破棄、並びに一般生徒への被害防止の為に決闘を申し込みます! よろしくお願いします!」

「条件が増えているじゃない、お馬鹿さんね、本当」


 背を正し、はきはきとした声で宣言するノエル嬢に、ミミィは小さく噴き出した。

 ノエル嬢を叩きのめす思いには微塵も変化はないようだが、ミミィはあれで案外、愚直な人間が嫌いでは無い。多分、ノエル嬢のこともそれなりに憎からず思っている、ような気がする。


 それよりもミミィが苛立っているのは、観戦席に座るロザリー嬢の方だろう。

 姉の横暴を止めたい、などとは言っていたがその実助長するように根回しをしていた彼女は、未だに王太子の婚約者が他国の王女であることを知らない。どうやら大分思い込みが激しいようである。


「え、えー、では、双方の要望を賭けてノエル・ペルグランとミシュリーヌ・シュペルヴィエルの決闘を開始します。両者、異論はありませんね? 構えて!」


 どうして俺がこんなところに、早く終わってくれ、と言わんばかりに青ざめた顔で宣言した審判が、開戦の鐘を鳴らした。

 鋭く重い一音が空気を震わせ、鼓膜を揺さぶるのと同時に、ノエル嬢が切り裂くような声で詠唱する。


火の精霊(フローガ)よ! その身に宿る厭悪をもって我が敵を塵と化せ! 爆散せよ(エクリクスィ)!」


 待ってくれ。あの子、初手からとんでもない魔法使ったぞ。


 杖の先端に収束した火の魔力が球となり、真っ直ぐに打ち出される。

 灼熱の魔球は対象を一メートル圏内に捉えると直ちに爆発し、無数に分かれた火球を前方へと弾き出す。障壁があるとはいえ対人に使用するには躊躇うだろう爆散魔法を、初めの一撃で放つとは。


「顔に似合わずえげつないことするのね、嫌いじゃないわ」


 対するミミィは相手にとって不足なし、と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべ、重心を低く構えると、地を蹴り前へと駆け出した。

 射程圏内に入った火球が弾け飛ぶ。通常の戦闘であれば顔面を削り取り頭蓋骨を破壊し、上半身を穴だらけに焼き溶かし内部から爆破する魔力の塊。

 襲い来る無数の球を、ミミィはコンヘラル鋼の長剣で薙ぎ払った。


「────なっ!? わ、私の魔法を弾くなんて! 一体どのような素材で出来てるんですその剣は!!」

「ダン! この無知な小娘に教えてやりなさい!」


 あ、説明が面倒だからって投げたな。

 ミミィの反撃に狼狽えつつも、見事炎の障壁により追撃を避けたノエル嬢に聞こえるように、声を張る。


「北の都ヒエムストの氷山から採れたコンヘラル鋼だ。あらゆる魔法の『発動』を凍りつかせ、無に帰す覇者の剣──と、鍛冶屋は言っていた」

「魔法剣! それも至上鋼とは、全く、驚かせてくれるものですね!」


 俺としては、ノエル嬢の威勢に驚いているところだ。大抵、魔法師を目指す学生は魔法での攻撃手段を絶たれると戦意を喪失しがちである。

 これまで磨いてきた技術が通用しない相手、となれば攻撃手段を変える他ない訳だが、切羽詰まった戦闘中に慣れない手段に頼るのは大分神経をすり減らす行為だ。

 早々に諦め、負けを受け入れてしまった方が楽ではある。どうせ、学内の決闘であるのだし。


「優秀な剣術使いであることは認めましょう! ですが、あくまでも剣は使い手の力を発揮するための道具────貴方に相応の腕があるかどうか、試させて頂きます!」


 ノエル嬢は自身の首を薙ぐように振るわれた一閃をまたも躱し、長杖を地へと突き立てた。ローブを翻し、懐から短剣を取り出したノエル嬢が、迷い無く自身の手の平を裂く。


「契約の女神エルミティアに捧ぐ! 我が血肉、我が命、我が魂を対価とし、異界の門より破邪顕正の王を顕現せよ!」


 障壁無効の自傷ダメージによりゲージが極限まで削られ、握られた拳から滴る血が、赤く燃えるように輝く。

 召喚魔法とは、これまた派手なものをぶちかましてくれたものだ。


 確かにこれならば魔法を無効化するコンヘラル鋼にも物理的に干渉できる。

 だが一体、彼女は何を喚び出したのか────当初、冷やかし半分で見に来ていただろう観客達は、背後に広がる魔方陣の向こうから現れた『名も無き八首の竜王』を目にした瞬間、彼方此方で悲鳴を上げた。


 召喚師にとって『絶対の六王』と呼ばれる最高位召喚魔の中でも特に召喚難度の高い竜王を、こうもたやすく召喚するとは。もはや〝特待生〟などと言う言葉では到底足りない、千年に一人の逸材である。

 ノエル嬢を入学させた際、授業料免除どころか報奨金が出た、という噂もあながち間違いではなかったということか。

 ノエル嬢がミミィの実力を侮っていたのと同じ程度には、此方もノエル嬢を侮っていたのかもしれない。


「あら! 古龍召喚なんて、随分と面白いことするわね」


 弾むようにトーンを上げたミミィの声に、俺は何処か頭痛を覚えつつ空を見上げた。

 あれは完全に、『お気に入り』を見つけた時の反応である。どうやら、ノエル嬢に相当興味を唆られてしまったようだ。


 八首の竜王は、その首ごとに魔法属性が異なる。火/水/土/木/雷/毒/光/闇の八種の属性が高威力の息吹となって放たれる上、黒く艶やかな鱗は『物理攻撃』以外の全ての魔法を無効化し、地を揺らす巨体は爪を振るうだけで街を薙ぎ払うとまで言われている。

 正直、一対一の決闘で召喚するような存在ではない。決して無い。


 審判の教師は既に蒼白顔で、地に降り立つ古龍を見上げている。

 俺もうこの仕事辞めようかな、と思っているのがありありと分かった。俺としては辞めないで貰えると有り難い。彼の授業は分かりやすくて好きだ。


 闘技場に張り巡らされた三重防衛魔法が軋む音がする。空を破ろうかと言わんばかりに大気を震わせる古龍の咆哮に、観客席の数人が気絶した。

 対するミミィの顔は涼しいものだ。口元に余裕たっぷりの、どころか、ひどく楽しげな笑みすら浮かべている。


「〝対価〟を払ったとはいえ、たった一人で古龍を召喚せしめるなんて面白い方ね。ただの愚か者かと思っていたのだけれど、どうやら度を越した愚か者のようだわ」

「貴方のような者に褒めて頂かなくとも結構!」

「いえ、特に褒めてはいないけれど。もう、貴方って、本当にお馬鹿さんなのね」


 心底楽しんでいる声で笑ったミミィは、静かに左手を前方へ伸ばし、掌を地へと向けるや否や詠唱を開始した。

 艶やかな声が静かに呪言を詠み上げる。


「〝死は甘く 終焉は芳しく

  腐敗と患苦 彼等こそが愛しき臣下

  我が礎となり 玉座へと導き給え

  腐朽の軍団(ベスミェールチエ)〟」


 途端、ミミィが手を翳していた地を突き破るようにして、無数の腕が現れた。

 守るべき『王』を中心に、半径十メートルの円の中で次々に現れた屍人の兵士達は、瞬く間に出現範囲を拡大し、統率の取れた軍隊となる。

 目には目を、召喚魔法には召喚魔法、という訳だ。


「────グールの軍隊ですか! 竜王様! 光の息吹を!」


 一糸乱れぬ連携で古龍の鱗を貫きにかかる腐朽の軍団を前に、ノエル嬢が指示を出すが、屍人の兵士は堪えた様子もなく巨躯へと群がる。


「な、なんて規格外な……!」


 通常、グールと呼ばれる屍人たちは光魔法を忌避しているが、ミミィの臣下達には意味を為さない。彼等の属性は闇ではなく、『悪』である。

 ちなみに彼等、普通に俺のことも襲ってくるので、それとなく、更に距離を取っておいた。五体くらいなら何とかするが、流石にあの量は困る。


 今度こそ戦意喪失したように思えたノエル嬢だったが、軍団の群れが掲げた玉座に座り足を組むミミィを見上げる彼女の目には、未だ強い輝きがあった。


「此処までの実力者とは思いませんでした! もし違った形で出会えていたら、是非とも友人になりたかったものです……!」

「そう? 私は今でも大歓迎なのだけれど、どうかしら?」

「ご冗談を! 貴方は倒すべき悪であり、虐げられる一般生徒の為、そして男爵様とロザリーから受けた恩に報いる為、私は全力を尽くさねばならないのです!」


 大歓迎、とまで来てしまった。相当お気に入りになってしまったようで、ノエル嬢の未来を、これまでとは別の意味で案じるしかない。


 それにしても、いよいよ決闘ではなく戦争、しかも大戦争の様相を呈してきたな。


 焚き付けた当の本人ですら、こんなことになるとは思っていなかったのか、観客席のロザリー嬢は少々引き攣った笑みを浮かべている。

 そりゃそうだろう、『神話級の古龍』対『禁忌の軍隊』による全面戦争である。恐怖を覚えない方が難しい。


 八色の息吹を吐き出し、時に焼き払い、時に凍り付かせ、無数の落雷を発生させながら暴れる古龍と、其の体にまとわりつく不死の軍団。

 夢に出そうだな、と何処か遠くを見つめつつ溜息を吐いた其の時、ミミィが動いた。


「そろそろ決着をつけようかしら」


 玉座に腰掛けたまま片手を掲げ、指を鳴らす。高く響き渡った音は、おそらく指先に集められた魔力が擦り合わされ弾けたことで生じたものだ。


 空気を揺らし伝わる音を捉えた屍人達が、一斉に動きを止め、振り落とされぬよう古龍の身体にしがみつく。

 表皮を完全に覆い尽くした無数の屍たちは、次の瞬間、一斉に我が身を爆弾に変え爆発した。


 苦しげな咆哮が響く。円状に広がる衝撃波は防護壁を通り越し観客席にまでダメージを伝え、逃げ惑う生徒達にちょっと強めの平手打ち程度の一撃を与えた。

 当然、古龍の傍らに居たノエル嬢にも、防御魔法で防いだとしてもそれなりのダメージが通る。そして、彼女は召喚の際の対価によって自身の体力ゲージを極限まで削っている。


「!? ────しまっ、」


 つまり、直接攻撃ではなくただの衝撃波であっても最後に残ったゲージを吹き飛ばすには充分ということだ。


 召喚魔法には召喚魔法を。爆散には爆散を。成る程、初手から派手にぶちかまされた物だから、ちょっとした意趣返しと言うところだろう。

 吹き荒ぶ熱風の中、呆然と立ち尽くしていたノエル嬢は、ふと気づいたように目を見開くと、頭を抱えて蹲った。


「こ、これが学園規則の決闘であることを失念しておりました……!」

「薄々そんな気はしていたわ、ゲージではなく命を削る気満々だったもの。貴方、『正義』とやらの為なら人を殺すことも、どころか自身が死ぬことすら厭わないのね」


 溶け消えるように霧散した玉座を降りたミミィが、頰にかかる髪を払いながら感心したように呟く。

 己の失態に愕然としていたノエル嬢は、そんなミミィの台詞にぱちりと一度瞬くと、心底不思議そうに首を傾げた。


「当然ではありませんか。悪とは滅びるべきもの、皆の平和を脅かし、安寧を崩す者を滅殺する為ならば命など惜しくはありません」

「あらあら、やっぱり気狂いの類ね」


 何を言っているのか理解できないとでも言いたげなノエル嬢を見下ろし、ミミィは喉を鳴らして笑った。

 歪んだ唇が弧を描き、深い笑みの形を取る。


「まあ、貴方が何であろうと構わないわ。勝負はこれで着いたのだから、宣言通り貴方の身柄は私の好きにさせてもらうわよ」

「……二言はありません、如何様にも成敗ください。しかし、もし出来るのであれば、私で憂さを晴らし、他の方々には手を出さないように──」

「あら、負けた側が偉そうに指図するつもり? 生意気ね、しばらく口を閉じていなさい」


 敗北を認め膝をついたノエル嬢は、ミミィの言葉に唇を噛み締め、悔しそうに眉を寄せつつも無言で頷いた。

 『決闘』にはある程度の魔法的拘束力がある。それ故に悪用する者も現れていたのだが、今では学園長の許可自体降りることが稀だ。

 実際『決闘』に縛られた人間を見るのは初めてだな……などとどこか感慨深い思いでノエル嬢を眺めていた俺は、不意にミミィに手招かれ、慌てて彼女の後方へ歩み寄った。


「つまり、貴方が条件として提示した『私の婚約者との婚約破棄』も無効となるのだけれど……今後、同じような不快極まりない発言を私の前で行う愚物が現れないように、この場で忠告させて貰おうかしら」


 シアンブルーの瞳が、ゆっくりと客席へ視線を滑らせる。

 悪辣姫と目を合わせることを恐れた観客達は即座に顔ごと視線を逸らしたが、下段中央、最もよく見える席で令息を侍らせ観戦していたロザリー嬢は、呆然としつつもミミィの視線を受け止めた。


「もし次、私と私の婚約者──ダニエル・グリエットの仲を引き裂こうという者がいるなら容赦はしないわ。私の実力はよく分かったでしょう? 歯向かうなら不死の軍団が血肉の一片すら残さず食らい尽くしてあげるから、覚悟なさい」


 ミミィの声はよく通る。拡声魔法も使った上での台詞ははっきりと、観客席全体に伝わったことだろう。

 今回ミミィが多少の手間をかけてでも決闘を引き受けたのは、これを機に自身の『婚約者』が誰であるかを示しておくつもりだったからだ。


 片腕を掴まれ、引き寄せられた俺の頬に、ミミィが唇を寄せる。

 軽い音を立てて離れていった唇に、何もそこまでしなくとも、と熱くなる頰を誤魔化しつつ照れ隠しにぼやいた俺の前で、ノエル嬢が勢いよく顔を上げた。


「〝ダニエル〟……?」


 ようやく気づいた、という顔だ。この一週間何度か言っていたのだが、少しも耳には入っていなかったらしい。

 見上げれば、同じく観客席のロザリー嬢も、日頃浮かべている儚げな表情は何処へやら、驚愕に目を見開き硬直しているのが分かった。

 数秒の後、硬直が溶けたロザリー嬢が叫ぶ。


「ま、待って下さい! 虚偽の申告で決闘の制約を誤魔化す気ですか!? 貴方の婚約者は、アルフォンス様の筈です!」

「私の婚約者がアルフォンス様? まあ、なんて恐れ多いことを言うのかしら。私のような下賤な者にアルフォンス様の婚約者なんて務まらないわ。私の婚約者はこの世にただ一人、ダニエル・グリエットだけよ」


 何とも面白そうに笑い混じりに告げたミミィの言葉に嘘偽りがないことは、決闘の制約による処罰がないことで証明されている。

 観客席のロザリー嬢は、遠目に見ても分かるほどに狼狽え、冷や汗を掻いていた。


「え、え? ど、どうして、おかしいじゃない、此処で勝てばミシュリーヌが学園を……そっ、そもそもどうして負けてるのよ、あんなの、あんなの書いてない……」


 蒼褪め、頰を押さえて震えるロザリー嬢を見上げるミミィは、ふと不愉快そうに眉根を寄せると、靴音を響かせて踵を返した。


「目的は果たしたわ、帰るわよ。全く、観客席だろうと私を見下ろすだなんて不敬極まるわね」

「観客席ってそういうもんだろ、そうでなきゃ試合が見えない」


 反射的に突っ込みを入れてしまった俺に、ミミィが目を細めたまま口元に笑みを浮かべる。

 冷ややかな視線に不格好な愛想笑いを返せば、指先で顎を持ち上げられた。


「ねえ、ダン? 今回のことは貴方にも多少責任があると思うのだけれど、どうかしら?」

「……何の責任だ」

「貴方が私の婚約者としてあともう少しでも名を馳せていれば、こんな下らないことしなくて済んだでしょう?」

「確かにそうだが、それでもこんな派手な方法で広めることを選んだのはお前だし、そもそも決闘を受けない手もあった、と思う、……多分」


 此方を見つめるシアンブルーの輝きに気圧され、尻すぼみになった俺の声を、ミミィははっきりと拾い上げた。

 白い指先が頰を撫で、軽く耳を引っ張ってから離れる。


「『受けない手』なんて無いのよ、そのくらい分かりなさい」

「何故だ? 負けたら破棄になるんだぞ、受けない方が良いに決まってるじゃないか」

「……そうね。ダン、貴方のそれは安全策と現状維持には最適な答えよ。でも、私の気はそれじゃ済まないの」


 首を傾げる俺の前で、ミミィは片眉を上げて笑みを深める。


「例えそれが愚鈍な勘違いだとしても、私と貴方の間を裂こうなどという者を許せる筈がないのよ。分かるかしら?」

「…………分からん」

「あら、何処が分からないの?」

「引き裂こうとする者を退けなければならないほど強く、婚約を結び続けようとする意味が、俺にはよく分からない。名ばかりの伯爵家よりももっと条件の良い男は山程居るだろう。それこそ、ミミィは綺麗で、頭も良い。身分だって素晴らしいし、商才もある。俺のような男と婚約を続けるメリットがないだろ」


 常々思っていたことを此処ぞとばかりに吐き出せば、ミミィはほんの一瞬、きょとりと目を瞬かせてから、口元に手を当てて笑い出した。

 一頻り笑い続けたミミィは、やがて笑い過ぎて滲んだ目元の涙を拭うと、やや呆れたように柔らかな口調で呟いた。


「馬鹿ね、ダン。恋なんて、メリットがあるからするものじゃないのよ」

「…………そりゃあ、普通はそうだろうが、貴族はそうはいかんだろ」

普通の貴族(・・・・・)はそうでしょうね。でも、私は普通じゃないもの、それでいいのよ」


 悪戯めいた笑みを浮かべたミミィはそれだけ言うと、振り返りもせずに闘技場を後にする。

 真っ直ぐ伸びる背を追いかけつつ、掌の汗を拭う。大規模戦闘を目の当たりにした衝撃で、手のひらが薄く汗をかいていた。

 いや、嘘だ。

 俺のこの汗は、単純に気分の高揚と羞恥から現れたものである。


「…………恋なんて、メリットがあるからするものじゃない……か」


 婚約者として十年過ごした中で、恋情を口にされたのは初めてのことだ。

 どうやら、ミミィは俺が思っているよりも余程、俺のことが好きらしい。その事実を、俺は素直に嬉しい、と感じた。

 面倒ごとには変わりなかったが、今回の件を仕出かしてくれたノエル嬢とロザリー嬢には少しばかり礼をしておきたいくらいだ。


 手土産に何を持って行こうか考えつつ、最後に闘技場を振り返れば、そこには茫然と立ち尽くす観衆と、ぽかんと口を開けたノエル嬢が見えた。

 うん、最近王都に進出した異国の菓子屋のものでも買っていこう。


 そうして、気が済んだらしいミミィの爽やかな笑い声と、一人納得する俺と、何もかもが無為となり固まった群衆だけを残して、この傍迷惑な騒動は一件落着となった。




 と、俺は思っていた。


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