12 通信
ようやく地球を光学望遠鏡で直接肉眼で観測する距離になった。
もちろん見るだけなら今まででも見ることは出来たが、意味のある観測が出来るという意味で、その距離に近づいたということだ。
月面基地や出発に使ったラグランジュポイントのステーションも角度によっては確認出来るだろう。
そして今を逃すと二度と見ることが出来なくなるかもしれないのだ。
ここまであらゆる手段を使って加速を行い地球と接触できる軌道を維持してきたのだ。水星や太陽観測用のドローンに着いていた小型のエンジンや制御用のスラスタ。それら全てを取り外し船体に付け直して加速に消費した。
その甲斐あって地球は文字通り目の前だ。このままでは衝突してしまうほどに。減速し、かつかすめるような軌道に遷移しないと大気圏に突入してしまう。もちろんこの宇宙船に大気圏突入が出来る性能などかけらもない。そんなことになったらあっという間にバラバラになってさぞ美しい流星になることだろう。夜の部分に落下すればだが。
避けたら避けたで地球をかすめて吹っ飛んでいくだけだ、ここで減速して地球の衛星軌道に入らなければならない。二度と生きて地球に再接近する機会はないだろう。
減速に利用できる手段は限られている。メインエンジンを最大出力で動かして急ブレーキをかけるような減速を一発で決める。このために残したわずかな燃料を一気に使い切るのだ。
そのタイミングだが。
急に進行方向から点滅する光信号が送られてきた。ほぼ一直線上に数十万キロに点々と並んだ光の筋が出来て、それらがてんでに明滅している。
そうか、あれは通信だ。俺に向かっての。
アンテナ群は喪失したままだがこの距離なら架線の原始的なものでも交信が出来るかもしれない。
雑音が煩いだけだったので切っていた通信機のスイッチを入れることにした。
数百日ぶりにスピーカーが意味のある言葉を受信した。
ジョージはマイクに向かって叫ぶように声を出した。
しかし返信はなかった。
傍受した通信は明らかにジョージの機体に対する話題が交錯している。光による信号も返答のないジョージに対するものとわかった。
嬉しかった。
仕方がないこととはいえ自分のことなど皆忘れているだろうとさえ思っていた。孤独感に苛まれた長い孤独な飛行の日々だった。
俺はここにいる、と伝えたかった。ちゃんと生きていると。
だが作業用の短距離通信用の機器では受信は出来ても、送信にはあまりに非力だったのである。
意を決してジョージは機体の照明を点灯した。折角溜めてきた電力を消費してしまうが背に腹は代えられない。短い点滅を三回、長い点滅を三回、そして短い点滅を三回。一拍おいて同じことを繰り返す。二百年前から使われている信号。SOS信号だ。
これならどうだ。
まだ反応がない。だんだんイライラしてきた。おまけにしっかりと観測しておきたい地球も、手前に展開する光の帯のおかげで良く見えない。
もう、煩いんだよ。邪魔をしないでくれ。ここで速度を落とさないと地球の衛星軌道に入れない。
「マ・ブ・シ・イ・カ・ラ・ア・カ・リ・ヲ・ケ・シ・テ・ク・レ」
モールス信号では短文しか送れない。とにかく繰り返し照明の入切を行うジョージだった。
「怒ってますよ、眩しいって」
「何故だ、俺達の歓迎が嬉しくないのかあいつは」
一番近い船だけを残し、船団が照明を落とすまでには、なお十数分を要した。
そして光を使ったモールス信号による相互通信が可能となった。今度は先程までとは逆に、ジョージからの通信は船団全員が受信出来ることになった。
ジョージの意図はすぐに理解されたが、誰も返事をする気にはなれなかった。ジョージの船体映像は鮮明に捉えられてきた。あちこちが欠損し、穴だらけで一体どうやってその中で生命を維持できているのかさえ怪しい機体で、これから急減速を行うと言う。
本気なのか。ジョージの意識の正常を疑うものさえ出てきていた。
だが現実の問題として船団からはなんの手出しも出来なかった。彼我の速度差は秒速にして5kmを超えていた。船団からジョージ挺へランデブーすることは不可能だ。救助の手立てはないのだ。眼の前を通過していくジョージに手を伸ばすことは出来ないのだ。
「何やってるのよ。本校に連絡してジョージを救援する用意をしてもらうのよ!」
五号挺のマリーが本部船に向かって叫ぶように通信してきた。
「救援ってどうするんだよ。今のあいつに追いつける船はないぞ」
「馬鹿なの。ジョージは長楕円軌道の衛星軌道に入るんでしょ。戻ってくるんだから待ち構えられる準備ぐらい出来るに決まっているじゃない」
「しかし、あの状態でどうやって減速するんだよ」
「知らないわよ!ジョージがするって言ってるんだから出来るんでしょうよ」
ジョージ挺はやがて船団を追い越し地球に接近していった。
「ア・リ・ガ・ト・ウ・マ・リ・ー」と船体を点滅させながら。
しばらくしてジョージ挺は船体をゆっくりと回転させた。進行方向に向かってである。引きずっていたソーラーパネルは切り離され、船尾が進行方向に正対した。前方にメインエンジンがむき出しのフレームに支えられて突き出している。
そしてエンジンが点火された。
船体にまとわりつくように残っていた部品や何かの残骸が前方に飛び出していく。
ジョージはそれまで味わったことのないGの圧力に耐えていた。操縦席は高Gに耐えるような設計にはなっていない。
ジョージの意識はブラックアウトした。
「すごい減速だな」
「あのまま地球に突っ込むんじゃないだろうな」
「止まったぞ」
エンジンの噴射は終わり、速度と方向が安定した。
「どうなんだ、あれで軌道に乗れたのか」
観測班のコンピューターが最新の計測結果をモニターに表示した。
「だめだ、減速が足らないんだ。あれじゃあ軌道に入れない」
「すぐに計測したデータを送るんだ。ランデブー可能な船がいるかも知れない」
ジョージ挺は沈黙したまま艦隊から遠ざかっていった。




