穂奈未の知る事実
穂奈未の家の前に立った俺はふと思う。もしかしたら穂奈未は1人になりたいから帰ったんじゃないか、と。また俺の中で脳内会議が始まる。インターホンを押すべきか否かということですら、なかなか答えを出すことができない。もちろん穂奈未を元気付けたいという気持ちはある、ありまくる。しかし、脳内は多数の「もし失敗したら...。」という妄想で支配されてしまい、結論が出せず動くことができない。自分のネガティブ思考の強さを改めて痛感する。何もできずに頭を抱えていると、ガチャリと扉の開く音がした。
穂奈未「やっぱり来てたんだね...。凌雅君。」
と、穂奈未は作り笑いをしながら、穏やかな口調で俺に声をかける。俺は結局、穂奈未から声をかけさせてしまったのであった。
凌雅「あ、えっと、その...。」
穂奈未「私があんな帰り方をしたから、心配して来てくれたんだよね。ごめんね...。」
しかも、謝らせてしまった。我ながら、本当に情けない男だな。
凌雅「こっちこそ、ごめん。全部見てたんだ...。」
そして、今すぐ何か言わなきゃと思って言った言葉は自白という始末。何やってんだよ、俺は。
穂奈未「・・・。」
正直者はバカを見るという言葉がある。その「正直者のバカ」とは、きっと俺のことなんだろうな。
穂奈未「公園で話していた時にはもう気付いてたよ。ふふ、凌雅君はホントに昔から隠し事が苦手だね。」
凌雅「・・・。」
ここまで思考を読まれてしまっては、もう何も言えそうに無い。ほんっと、絶望的にカッコ悪いな、俺って。
穂奈未「ここじゃ寒いよね。続きはうちの中で話さない?」
凌雅「あ、うん...。」
俺は穂奈未に案内されるまま、七浦家に入った。こんな時だというのに、俺は好きな女の子の家に入るというシチュエーションにとてもドキドキしていた。しかし、もしかしたらこの感覚すら建前であって、本当は穂奈未を元気付けるどころか逆に傷つけてしまったらどうしようとかいう気持ちが本心だったのかもしれない。
穂奈未「すぐに暖房つけるね。」
凌雅「ありがとう...。お邪魔します。」
俺はリビングに案内され、そのまま穂奈未の手振りに従って席に着いた。前にここに来たのは小学生の頃だったためか、部屋が少し小さくなったかのような感覚を覚える。
穂奈未「ちょっと待ってて、今お茶入れるから。」
凌雅「えっと...。」
俺が「いらない」と言う間も無く、目の前のテーブルにお茶が置かれる。冷たい麦茶だった。この時期であれば温かいお茶を出すのがおそらく一般的なのであろうが、猫舌の俺としてはむしろこちらの方がありがたい。さっきまで走っていたのを考えればより強くそう思えてくる。そして何よりも、穂奈未がそれを理解していたこと自体がとても嬉しかった。
穂奈未「正直に言うとね、私は凌雅君が追って来てくれるのを、あの時にはもう期待していたんだと思うんだ...。」
凌雅「・・・。」
なんだか気まずい。何を話せばいいのか言葉が浮かんでこない。俺の目線が下がり、テーブルの模様に照準が合わさる。こちらに向いていた目線を少し逸らして穂奈未は言葉を続ける。
穂奈未「ありがとう...。嬉しかったよ。」
凌雅「穂奈未...。」
穂奈未「・・・・・・。」
穂奈未はどうやら「言いたいことがあるけれど、言うべきか迷っている」様子だ。なんとなくではあるけれど、多分そうなんだろうと思った。ほぼ確信と言ってしまってもいいかもしれない。
凌雅「・・・・・・。」
俺は穂奈未をじっと見つめて次の言葉を待った。そしてしばらく経った後、穂奈未は申し訳なさそうにこちらを見て、ゆっくりと話し始めた。
穂奈未「私ね、なんとなくは気がついていたんだ。優雅君と華凛ちゃんが両思いなんだって...。」
凌雅「そっか...。」
穂奈未はうつむきながら言葉を続ける。
穂奈未「優雅君は人気者でいつも誰かに呼ばれてどこかに行くことが多かった。困っている人がいたら助けに行くし、頼まれ事は積極的に引き受けてた。優雅君が1人でいるところはほとんど見たことが無かったくらいに...。」
凌雅「・・・。」
心の中で俺はこう付け加える。「そして1人の時は必死に勉強しているのであった」と。あいつ、ホントにスゴく頑張っていたんだな。そして、穂奈未はそれをしっかりと見ていたんだな。
穂奈未「気がつけば、私は優雅君とあまり話さなくなってた。一緒にいる時間は結構あったはずなのにね...。」
凌雅「・・・。」
あれだけたくさんの人がいたら、1人当たりの会話時間は短くなるだろう。それだけじゃない、「人気者の優雅君」と長く話すためには、他の人の会話を奪ってでも話をしようというある種の競争力が必要になってくるだろう。いわば「優雅君争奪戦」だ。優しい性格の穂奈未では分が悪いのも当然なのだろう。
穂奈未「優雅君もみんなもすごく楽しそうに過ごしてた。あの頃は本当に楽しかったな...。でもね。」
凌雅「うん...。」
俺は相槌を打って次の言葉を促す。
穂奈未「2年生の終わりの頃、ある3年生の先輩が優雅君に告白したの。結果はフラれたってことだったんだけど、その時に優雅君が言ったらしいの。他に好きな人がいるって。その時からなのかな、みんな優雅君の気を引こうと必死になってた。」
凌雅「・・・。」
卒業の日に告白するのは珍しくはないだろう。一方で、勝手な抜け駆けは許さないという「暗黙の了解」ができるのも珍しくはないはずだ。まあ、どちらもギャルゲーやラノベで得た程度の知識でしかないので推論の域を出ないが。要するに先輩が「暗黙の了解」を破ってしまったことで「優雅君争奪戦」が本格化してしまったということだろう。
穂奈未「そしてそれだけじゃ終わらなかったの。優雅君に対するアプローチが通じないと分かると、今度は優雅君が好きな人は誰なのかという話をみんなするようになって。話が進んでいくうちに、行動も段々と過激になっていって...。」
凌雅「・・・。」
優雅はとても真面目な人間だ。そしてとても誠実な人間だ。穂奈未も俺もそれはよく知っている。一度誰かを好きな人だと決めたら、フラれたりでもしない限り気が移ることはないだろうと思う。二股も浮気も絶対しない。これに関しては100%言い切れる。命賭けたっていい。
穂奈未「・・・・・・。」
さっきとは違うこの沈黙は、もうこれ以上は言えないということなのだろう。ならば、こちらも無理に聞く必要はないだろう。
凌雅「もう、いいよ...。」
穂奈未「ありがとう、ごめんね...。」
結局俺は穂奈未を元気づけられなかった。これだけ色々なことがあったのに、俺は何も知らなかったんだな。人と関わるのが怖くて、自分を守ることに必死で、穂奈未がこんなにも苦しんでいることに気付かないで、今日まで過ごしてしまっていたんだな...。
凌雅「こっちこそ、何かごめんな...。」
穂奈未「凌雅君は、何も悪くないよ。」
凌雅「...ありがとな、穂奈未。」
外に出ると辺りは真っ暗だった。
穂奈未「遅くなっちゃってごめんね。」
凌雅「別に構わないよ。」
ふと空を見上げると、おうし座が見える。俺の誕生月の星座だ。3月でもこの時間は未だに冬の星座がよく見えるな。
穂奈未「凌雅君は本当に星が好きだね。」
凌雅「うん、小さい頃の夢は宇宙飛行士だったし。」
穂奈未「今は違うの?」
凌雅「文系に進んじゃったからなぁ...。それに勉強とかしたくないし。」
穂奈未「もう、留年とかしても助けてあげないからね!」
凌雅「ごめんなさい、宿題はちゃんとやりますから!」
気がつけば、小さい頃のいつかようなやりとりをしていた。穂奈未の声にも覇気が戻っている。少しは俺の来た意味もあったのかもしれないな。
穂奈未「気を付けてね。」
凌雅「おう。何かあったら連絡して...、いや何もなくても連絡待ってるよ。」
穂奈未「うん、ありがとう。」
穂奈未が見えなくなる角を曲がるまで、俺は後ろ向きに歩きながら手を振って帰路に着いた。