暇人の考え事~理想の死とは~
死にたい…けど死ねない…どうすればよいのだろう…?
誰にも文句を言われずに今すぐ死ぬにはどうすればいいんだろう…。
そんなことをふと思った俺は、これからの行動にも活かせるよう、いろいろと考えてみることにした。
先に言っておくが、今から自殺しようってわけではないから大丈夫だ。…常日頃から事故死や突然死は望んでいるがな。
さて、本題に入ろう。まず俺が何を言いたいのかというと、先程も挙げた通り事故死なんか理想だ。誰も意図しないままに、そう、俺ですら意図しないままに死ぬ、これは合法的にありだと思う。自殺でもないし、思うところはあれど、仕方ない、と済ますしかなくなる。うむ、理想的だ。
通り魔に殺されるなんてのもいいと思う、理想。
これらのように、自分が意図しないままに死ぬのは他の人も文句を言えないし、自分自身にとっても突然なので思考を放棄することもできる。
ただ、現実はそんな都合よくないので、もっと別のアプローチをする必要がある。例えば…
他人に望まれた死
あいつ死ねばいいのに…そんなことを思ったことがないだろうか。もしあるなら、そう、その対象になればよいのだ。じゃあどうするか。簡単な話、恨まれればいい。呪術、怨念など、人の恨みとはすごいもので、その者を死に至らしめるほどにもなる。これを逆手にとれば、相手も自分の死を望み、自分も自分自身の死を望む、つまり相手の知らないところでWINWINの関係ができるのだ。相手が望む死なら素直に受け入れればよい。うむ、理想だ。
それを実現するためには、如何に自分が相手に生きることを望まれない人間になるかに懸かっている。要は、嫌な奴になればいいのだ。実を言うと、俺自身はこれを少しずつ実行していこうと思っている。別にまだ極端に嫌な奴になろうとしているわけではないが、最近、いい人とか言われることに少し抵抗を覚えるようになった。俺を必要とされないよう、邪魔だと思われるよう。
あとは…
誰にも気にされない死
別にあいつが死んだからってどーってことない、そんな死だ。うむ、理想。ただ、これはおそらく難しいだろう。なぜなら、膨大な過去が邪魔をしてくるからだ。人の記憶から消えるのは、簡単なようでそんな簡単ではない。印象を与えることはできても、印象を消すことはできない。ふむ、難しいことだ。
他にもいろいろ考えたが、どれも難しい。考えているうちに、難しい理由もわかってきた。それは…
周りの人がいい人過ぎる
そもそも他人が死ぬことに文句を言う人がいる時点で俺にとっては不思議で仕方がないのだが、そーゆー人はきっと、できた人間なのだろう。なるほど、そりゃ俺なんかが、そんな素晴らしい人たちに到底敵うはずがない。でも、そんな素晴らしい人たちでも、俺みたいな人がいるってことはわからないんだろう。そして、どんな気持ちにさせているのかも。
今日も俺は考える、理想の死を追い求めて。
結局今すぐには死ねないんですよね(笑)