東龍の国の医聖のおはなし。です
医師になんかなるんじゃあなかった。
俺はいつもそう思う。
俺くらい頭がよくて働き者ならもっと効率のよい稼ぎ口がいくらでもある。子供のころ、同じ私塾に通っていた奴は科挙に受かり、今や立派な屋敷を構える役人様だ。頭のできはむしろ俺のほうがよかったくらいなのに、俺のほうはいまだに診療所の雑用どまり。世間は見る目というものがない。
医師は徒弟制度でなりたっている。俺は一門ではそれなりに古株なのだが、金と名声は全部師父が持って行ってしまう。診療所で実際に病人やけが人を診ているのは俺や他の弟子たちで、師父が実際に出てくるのは役人や貴族などのお偉方が来た時だけだ。お医者先生と呼ばれていても俺自身は薄給だ。独立したくても元手がたまりやしない。
友人の家で飯でもたかろうかと街を歩いていると、妙な店を見つけた。あばら屋のような粗末なつくりの店で、看板におおきく異国の文字で『Abracadabra』と書かれている。
怪しい上に何の店かもわからない。にもかかわらず、なぜかそれなりに人が出入りしている。
話の種に入ってみるか。軽い気持ちで戸をひらいた。
「いらっしゃいませ~」
店内には若い娘が一人いた。この国の衣服をまとっているが、肌の色からして西国の者のようだ。髪の色も薄く、目もどこか不思議な光り方をしている。
「……ここは、なんの店なのだ?」
「なんでもありますよー、店内にならべてあるものと、あとはこちらの目録から取り寄せもできます」
「なんでも、なぁ。表の看板はなんと読む」
「アブラカダブラ、と読みます。古い異国のまじないの言葉です」
「ふむ」
店内をぐるりと見回す。食べ物から使い道のよくわからない道具、書物まで雑多にものが並べられている。どうせガラクタだろうと興味もなく見回していると、文の配達もすると書かれた張り紙を見つけた。
「この、文ってのはいくらかかるんだ」
「はい。場所にもよりますけど銅銭一枚で受け付けてます。どこでも2日もあれば届きますよ」
「銅銭一枚? 二日? いくらなんでも嘘だろう?」
「そう言われるだろうと思いまして、初回のみは無料で受け付けておりますー。光州でも深州でもお好きなところに文が出せますよ」
「ホントかぁ?」
胡散臭い話に眉をひそめる。そういえば、深州の実家に帰った兄弟子から手紙が来ていた。忙しさにかまけて筆不精になっていたが、ここはひとつ返事でも出してみるとしよう。
その場で紙を買い、筆も借りて文をかきつける。
「ありがとうございます。お返事はどうしましょうか。ご自宅までお届けもできますが、こちらで受け取ることもできます」
「いや。届けるには及ばない。またそのうち立ち寄るのでそのときに受け取ろう」
「かしこまりましたー」
こんな怪しい店に自宅を教えてなにかあってはたまらない。どうせタダだし、手紙が届けば儲けものという気分で店を出た。
それから数日後。いつもどおり診療所の雑用をすませ、ぶらぶらと街を歩いていた。もうあの店のことなどさっぱり忘れていた。今日も友人の家で飯を食わせてもらおうかと考えていると、突然道端で声をかけられた。
「あら、お客さん」
「ん? ……おぉ、あのときの」
あの怪しげな店の娘であった。なにやら手荷物を抱えて歩いている。
「お手紙、返事が来ていますよ。お店まで来ていただければすぐにお渡しできます」
「何? まだあれから数日しかたってないぞ。どういうことだ」
「速くて安いがうちの売りですから」
物の怪にでも馬鹿されたような気持ちで娘についていく。店には確かに文が届いていた。適当につくった偽物かもしれぬ。疑り深い目で文を読むが、たしかにそれは兄弟子の文だった。綺麗に整った字も、なにかと古典を引用したがる文章もそっくりそのままだ。
「ど、どうなっている?」
娘に問いただす。兄弟子のいる深州までは馬を飛ばしても半月はかかる。どんなに頑張っても数日で返事がくるはずがない。
「それはですねー」
娘は得意げに話しだした。
この店は西洋の賢者が始めた店で、大量の方術使いを抱え込んでいるらしい。彼らの術を使い、街と街とを網目のように結んでいるのだという。本来は商家が食い物などを運ぶ仕事などを引き受けているらしいが、そのついでに文や商いも行なっているようだ。
俺は驚いた。我が国で仙道・方術士といえば、俗世のことなど知ったことではないと深山に隠れ住むものだ。戦が起きようと飢饉が起きようと自分たちは隠り世で霞をくって知らん顔をしている存在である。国が違えば事情も変わるということだろうか。
そう言われてみると、ガラクタと思っていた店内の品々が急によいものに見えてくる。あれもこれも、西洋の方術士がつくった霊験あらたかな品なのだろうか。
「これは製図のための道具ですね。こっちは海の上で方向を調べるためのものです。そっちのは望遠鏡。遠くのものがおっきく見える道具です。それはお砂糖ですね。この本のおまけです。この本は砂糖の精製法について書いてあります」
打てば響くように娘は説明をしてくれる。よくわからない部分もあったが、西洋からきた最新の道具だというのはよくわかった。見るものがみれば宝の山なのだろう。桃源郷にでも迷い込んだのではないか。半ば夢心地で品々を見ていた。
「これは、……これっ!」
書物の一冊を開き、俺は思わず叫んだ。
「はい? ああ、医学書ですね」
「せ、西洋の医学書なのか。この国の文字で書かれているが」
「ええ、翻訳してあります。最新の医学書です。値段は銀二枚になります」
「銀二枚……」
買えない額ではない。いや、医学書ならば破格の安さだ。俺は迷わず財布の中身をすべて出していた。
「買った、買ったぞ!」
「ありがとうございます。お医者様ですか?」
「あ、ああ。そのようなものだ。しかし本当によいのか? 医術は門外不出の秘伝だろう。西洋では違うのか?」
「いえ、あちらでも似たようなものです。ですが」
娘はにっこりと微笑んだ。
「知識は広く共有されてこそ意味があるのです。個人で独占していてもなんの益もありません。知識が広まり、誰でもしっている『常識』となり、そして新しい常識の中からさらなる知識が生まれる。私たちは、世界の常識が変わるお手伝いが出来ればと考えています」
娘は、どこかこの世のものではないように思えた。人間をたぶらかす化生が姿を変えているのではないか。そう感じてしまうほどに娘の目に宿る光は強烈だった。
隠り世に迷い込んだような気持ちのまま、ふらふらと店を出た。家に帰ると書物が葉っぱに戻っているのではないか。そんな疑いすらあったが、しっかりと医学書は存在していた。
それから俺は医学書を読みまくった。朝も昼もなくぶっ通しで読み続けた。
西洋と東洋では医術にも大きな隔たりがあった。共通する部分も多く、そこから読み解いていくと西洋の医に対する考えが少しずつだが理解できた。図入りでわかりやすく、平易な文章で、実用的な医術が書かれている。これがあればそこらのヘボ医者など必要なくなるような本だ。
知識はためこんでいるだけでは意味がない。知ってしまえば使いたくなるのが心情ってものだ。俺だって医者の端くれだ。
だが、診療所でやるわけにはいかない。師父の教え以外の医術など使えば破門になってしまう。そもそも、西洋医術に用いる薬がない。いくらか共通するような薬草などもあるが、やはり体系的に別の学問なのだ。ほとんどの薬草はこのあたりでは手に入らない。
少し考えて、俺はまたあの店に足を運んだ。霞のように消え去っているのではないかと思ったが、ちゃんと店はあった。あばら屋のようだった店が少し小奇麗になっている。
「おや、お客さん。今度は何がご入用ですか?」
娘も相変わらずそこにいた。店のなかで何か書き物をしていたようだ。道具はここらにあるような筆ではなく、なにやら鳥の羽のような不思議なものだった。
「この本にのっているような薬品は、ここでは取り扱っているのか」
ここならば取り扱っているかもしれない。ただ、薬というのは効果なものだ。伝来品ともなればなおさらだろう。買えなくとも、医学書で見たものを実物で見るだけでもよかった。
「ええ、取り扱っております」
「ちょっと、見せていただけないだろうか。いや、見るだけでいいのだ」
俺の懐具合は察せただろうに、嫌な顔ひとつ見せずに娘は薬を出してくれた。小さな小瓶や缶がずらりと机の上にならぶ。
娘はひとつひとつ薬品や薬草の説明をしてくれた。娘はかなり博識で、俺が読み違えていた部分までしっかり教えてくれる。
「む。この部分はわかりにくかったですか?」
「恥ずかしながら」
「ふむ」
俺の話を聞きながらなにか書き付けたりもしていた。この娘の正体が気になったりもしたが、それ以上に俺は未知の医術の世界に心奪われていた。
「これだけ見事な薬は、さぞかし高いのだろうな」
思わず、そんな物欲しげなことを言ってしまう。乞食のような物言いに自分が恥ずかしくなる。
「いや。すまん。忘れてくれ」
「よろしければ、お安くお譲りすることもできますが?」
「本当かっ! ……いや、そんなうまい話があるはずがない。なにかあるのだろう」
「いいえ? ただ、条件はひとつだけあります」
「それみろ、条件とはなんだ」
こちとら貧乏医者だ。強請られるようなものはなにも持っていない。
「お金儲けをしないのなら、この薬を譲りましょう。タダで施しをしろとはいいません。庶民でも気軽に利用できるような値段で、あなた一人の衣食住を賄うのに困らないくらいで、儲けを出すことは許可します」
「……それで、本当にこれを安値で譲ってくれるのか?」
俺からしてみれば願ってもいない条件だ。こちとら師父の言いつけ通りの医術ばっかりで飽き飽きしていたところだ。この薬と医学書で、思う存分やりたいように医術ができるなら願ったり叶ったり。
知識を広めるためというのは、あながち嘘でもないのかもしれない。それでなければ本当に化生の類か。だとしたらそのうち俺はとって食われるのかもしれない。
だが
「買った! 条件通り儲けは出さん!」
「毎度ありがとうございます~」
なけなしの金をはたいて薬をそろえた。今のまま師父のところで飼い殺されるよりはずっとマシだ。
さあ、これであとには引けない。
一応、俺は世間的には高名なお医者センセイの高弟である。実際は召使に等しい扱いで飼い殺されているのだが、患者や世間の人はそんなことは知らない。
なので、近所の人や知り合いなどがちょくちょくやってくるのだ。金がなくてちゃんとしたところにかかれないような人もいる。転んで膝をすりむいただの、晩飯が傷んでいて腹痛だのと、わざわざ医者にいかんでもいいようなことでやってくるのもいる。
これまでは適当に気休めを言って追い返してきた。薬もないのだから気休めの言葉か、せいぜい鍼くらいしかできることはない。本格的に治療なんぞしたら師父や他の医師から闇医者あつかいされて破門になってしまう。
だが、薬は手に入った。ならばやることはひとつだ。
「どうです。傷の具合は」
「おかげ様でもう、このとおりよ。これからはお隣さんじゃなくてセンセイって呼ばないとねえ。ああこれ、お礼というわけじゃあないけど食べてくださいな」
「桃ですか。こりゃどうも。ちょっとだけ傷を見せてもらってもいいですか?」
「気の利くセンセイねえ」
「今までどおりお隣さんでけっこうですよ」
やってくる近所の人たちに、俺はあの西洋の薬を使っていった。薬をつかったときはきちんと経過を記録して、自分の目で学ぶ。薬など普段は縁のない人ばかりなので、薬の正体を怪しむ人はいなかった。
儲けは出さないと約束した俺だったが、もともとそんな心配は無用だった。なにせ、金があるならちゃんとした医師にかかるはずだ。俺のような者のところにくるのは金のない貧乏人ばかりで、代金がわりにちょっとした食い物や酒を置いていく者が多い。
おかげ様で生活は楽になった。だが、評判を聞きつけたのか貧乏人がぞろぞろとやってくるようになり、診療所にいるときよりも忙しいような有様になりつつあった。
「くそ。貧乏人どもが。ちょっと優しくしてやったらつけあがりやがって」
文句はあるが、多くの数の人間で薬を試せるのは楽しい。俺は夢中になって薬を使って行った。
使っているうちに、まあ当然の欲求が出てきた。
『西洋の医術と俺らの医術を合わせたらどうなんだろう?』
一緒に飲めば効果があがったりするのだろうか。逆に副作用があったりするのだろうか。そんな疑問がむくむくと湧いてくる。
このあたりの薬草や薬の値段は高い。というよりも一部の医師が買い占めていて出回らない。診療所にいけばあるが、それを使うわけにもいかない。諦める気にもなれず、かと言って診療所の薬を盗み出すほど大胆にもなれない。悩んだ末に、薬の併用は危険かもしれないと、自分を無理やり納得させる。
なので、鍼と組み合わせることにした。
文献を読む限り、西洋に鍼という概念はない。こちらの医学でも鍼と薬は組み合わせて使うことが多いので、西洋の薬とも一緒に使うことはできるはずだ。幸い、俺の患者は貧乏人ばかりだ。間違って死んでも、まあ寿命だと急病だかいえばそれで済む。というか、診療所でも死人はだいたいそれで済ましている。
軽い人体実験気分でやり始めたのだが、意外にもこれがなにも起こらなかった。
「なんだ。死人の一人二人でるかと思ってたのに」
劇的に効果が上がるようなこともなく、その逆もなかった。副作用で死んだりもしない。痛みを伴う病気や症状を薬で治療するときに、鍼で痛みを和らげるといったやり方はうまく行った。
鍼と薬の組み合わせでうまく行ったものも書き留めていく。いつか自分の診療所が開けたら、こんな新しい治療を売りにしてみたい。そう思って俺はどんどん貧乏人どもを治療していった。
二月ほどだろうか。隠し事はできないもので、ついに師父にばれてしまった。夢中になってやりすぎたのだ。どうせ、ウチの診療所にはこない貧乏人ばかりだからと思って油断していた。どこかから評判がもれたのだろう。
あっさりと俺は破門になった。もう少し師父には大事にされているかと思っていたのだが、あっけないものだった。もぐり行為を許しては他の医師から睨まれるからだろう。牢屋にブチこまれないだけマシだと思うことにした。
「どーすっかなぁ」
この街にももういられない。独立した兄弟弟子のところに厄介になろうかとも思ったが、師父が手を回していそうな気もする。小さい村に潜り込むか、旅籠で旅人相手の医者でもやろうか。金さえあれば郷里に帰って自分の診療所を開いてもいいのだが。
思えば、あの娘はやはり物の怪の類だったのではないだろうか。物語では怪異と取引をした者はだいたい悲劇的な結末を迎える。だとしたら俺の場合はちょっとばかり結末が地味だ。薬を悪用して縛り首にでもならないと読んでいるものは面白く無いだろう。
そんなことを考えていると、戸をひかえめに叩く音に気がついた。患者だった人だろうか。
「誰だ?」
「どうも」
戸を開くと、そこにはあの娘が立っていた。さっきまでの妄想もあって、少し不気味に感じる。
「……なにか用かい」
「いえ、この度の件。私にも責任があると思いましてお詫びにと」
「そんなことか。別にいい。俺が好きでやってたことだ。貧乏人相手だからって好き勝手やったバチが当たったんだろう」
話してみると、やはり普通だった。異国風のいでたちではあるが、言葉は達者だし、普通の小娘だ。
「これから、どうされるおつもりですか? どこかあてでも」
「破門されちまったから、とにかく遠くに行くつもりだ」
「先立つものはおありですか?」
「あったら苦労せん。あれば故郷に帰って自分の診療所を開くさ」
茶でも出そうかと思ったが、どこにしまったか忘れてしまった。思えば客に茶を出したことも殆ど無かったような気がする。そんな自分の無精さにあきれていると、娘がまたにこりと笑った。
「ひとつ、提案があります」
「なんだ」
「貴方がやった鍼治療と薬品の相性についての研究。ついでに、鍼治療を含む東洋医術についてのあなたのすべての知識。それを私が買い取りましょう。診療所を開いて、故郷に錦を飾るくらいのお金は出します」
あの薬を売ったときと同じ目をしていた。人間かどうか怪しんでしまうような、強い意志の光。
「師父に教わった医術を売れということか?」
「はい」
「医術は素人が真似をすれば危険だ。門外不出なのはただ独占のためだけではない」
「あなたの買った医学書も似たようなものですよ。そもそも、興味本位で鍼と薬品を組み合わせた人間の言葉とも思えませんね」
俺のことを見透かしている。改めてこの小娘が何者かが気になった。今度こそ、化かされて食われて終わる結末なのではないだろうか。
別にいまさら師父に恩義もない。それでも、染み付いた慣習が俺を縛った。医を独占するための方便なのかもしれないが、素人が安易に薬を使うのは本当に危険なのだ。だが、目の前にある大金に手を伸ばさないほどには、俺は聖人ではない。
たっぷり悩んだあと、俺は口を開いた。
「いいだろう。売った。だがひとつ質問がある」
「なんなりと」
「おまえは何者だ?」
俺が問うと、娘はパチンと指を鳴らした。
すると、娘の衣服が霞のように消え、代わりに異国風の見たこともない衣装に変わる。
いや。俺はこの格好をどこかで見たことがある。あれは―
俺が思い出す前に、娘は言った。
「人は私を、救世の賢者と呼びます」
そうだ。魔王を倒したという四英雄。その一人。賢者。この国で言うところの仙人。
魔王が倒されたときは街のいたるところに姿絵が貼ってあった。間違いなく、この娘だ。
「さて! まずはよその街で執筆活動に移っていただきませんとね。故郷に手ぶらでは格好がつかないでしょうから。ついでに他の医学書を翻訳する手伝いをお願いできませんかね。どーもこの国の言葉は専門用語が難しくて」
「あー……、その。なんだ。これからも西洋医術と東洋医術を混ぜていこうと思ってんだが」
「ふむ?」
「その研究も売るから薬安く卸してくれ」
「毎度ありがとうございます!」
娘―賢者は笑って言った。ずいぶんと気安い仙人様だ。
ま、これでしばらくは食うに困るまい。




