第三話
ヤマトと二十四万の兵は国境を出ると右に曲がって海沿いを進み、ホムラとナデシコと二十四万の兵も国境を出てすぐに左の山沿いの道へ入っていった。偵察に出しているフギンとムニンからの報告はヤマトとホムラに随時届くようになっていた。
バルザート軍は今も五十万の軍勢を率いて向かってきているらしい。
そのバルザート軍内部では大将バルジと副将ビートが話をしていた。
「ビート副将よこの戦、どう思う?」
でっぷりと太った太鼓腹を馬上で揺らしながらバルジが聞く。
「どう、とは?」
それに答えるビートは、がっしりとした筋肉質な体つきをしている。同じ貴族でも大違いだ。
「今回の戦では、敵は兵力を二分しているそうだ。おそらく、エルゲイツ軍が来てくれているのだろうな。これで奴らの兵力は半分。さらに、我が軍の後ろにはには第二軍が待ち構えている。これで勝ったも同然ではないか?」
バルジはそう言うが、ビートはそうは思わなかった。
「それはどうでしょうか。あの国は小さいながらも、<勇者の国>と呼ばれるほどの強国です。そう簡単に勝てるとは思えません。しかも、今までに放った斥候もいまだ帰ってこない。あちらに相当な人物がいてもおかしくはないでしょう」
「いくら勇敢な兵がいてもその数が少なければ圧倒的大多数の兵に負ける。その兵がどれだけ強くてもな。相手が質で勝るのならこちらはそれに打ち勝てるだけの数を用意すればよいのだよ」
この男はそれで何人の兵士たちが命を落としていくのかわかっているのだろうか。当たり前の話だが、兵士だって無限にいるわけではないのだ。
「人間が相手ならそうでしょう。しかし、奴らは傭兵を雇ったと聞いています。それもとびきり強力な傭兵を」
「傭兵? そんなものに負ける訳がない」
「それは、どうでしょう。相手はSSクラスの傭兵、”黒鬼”ヤマトです。たった一人で七千の軍をほぼ無傷で全滅させるような男です。今回はその七倍以上の数がいますが、やはり油断はできません。まともにやりあえばこちらが負けてもおかしくはないはずです」
「ビート副将。その負けるという発言は戦時逃亡罪にも当たる。発言には気をつけよ」
この男はあの男の恐ろしさを分かっていないんだ。だからこんなことが言えるんだ。
おそらくこの五十万の中であの男と戦ったことのあるのは俺だけだろう。あの男とは六年前に戦ったが、それでも敗北したのだ。まだ少年だったあの男に。
ビートはバルザートでその戦功が認められて貴族になるまで、盗賊だった。そのときに、ヤマトと戦ったのだ。その時は十人のチーム編成だったが、全員が少なくとも全治一ヶ月の重傷を負ったのだ。たった十六歳の一人の少年に。それもなすすべもなく。
天才の一日は凡人の百日に勝るという。あの男もこの六年間寝て過ごしたわけではないはずだ。あの時の倍は強くなっていてもおかしくはないはずだ。
「ですが……」
「ですが?」
言いよどむビートにバルジが詰め寄る。
「実は、あまり言いたくはないのですが、私は六年前に彼と合間見えまして……」
「なんと。それで、どうだったのだ?」
「十人でかかって瞬殺、軽くても全治一ヶ月の重症でした」
バルジは驚いているのかあんぐりと口をあけている。だから言いたくなかったのだ。
「とにかく、やつは危険な男です。慎重に行き過ぎて不足はありません。どうかそれだけは分かっておいて下さい」
ビートの剣幕にバルジはこくこくと首振り人形のように何度も頷く。
本当に大丈夫だろうか――ビートの胸中には不安が山のように残るだけだった。